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新卒入社から15年。いくつか転機がありました。(前編)
そもそも、なぜ今の会社に就職したのか
新卒で2007年に入社した今の会社。
一応大きな会社のグループ会社で、入社した当時の会社規模は大きすぎず小さすぎず。
内定した他の数社と比較して、安定性と将来性があるんじゃないか、と思って選択したのですが、正直あまり事業内容については詳しく調べておらず、条件面優先で選んだところがあったように思います。
自活できる給料がもらえる
勤務地は東京(その時住んでいた場所から通えそうな範囲)
フレックス制度あり(朝弱い)
社宅手当がある(東京一人暮らしは大変だもの)
それが最低条件で、あとはなんとなく興味がある業界や職種でいろいろ説明会や面接を受けていました。
やりたいこと、というものも、具体的には描いておらず、システムエンジニアとか、完全に理系の職種だよな、と当時思っていたもの以外は、基本的には何でもやろう、と思っていたのです(自分は典型的な文系)。
そういったわけで、この会社でこれがしたい!ということが明確になかった私は、実際に入社してみてからのGAPというものはなく、異動や業務内容変更も何度か経験しましたが、置かれた場所で咲きなさい、じゃないけど、いろいろ経験させてもらえてその時その時でがんばってきたと思っています。
そしてもちろんいい時ばかりではないですが、それぞれの仕事に楽しさややりがいを感じながら働いてこれたと思います。
ですが、勤続15年も経ちますと、当然いろんな変化が起こってきます。
転機その1:1人目の妊娠(フレックスフルタイム勤務)
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私は初期から悪阻が強く出るタイプでした。
吐き気がひどく、体調は最悪。もともと体力はない方で、普段から蓄えているものもないため、あっという間にグロッキー……。
健診ではケトン体も出るようになり、病院から自宅安静指示が出て、当時は今のように在宅勤務制度もなかったため、休職することになりました。
悪阻がなんとか治まった後は職場復帰するのですが、ここで片道1時間半という通勤が大きなネックになりました。
自宅はすでに購入しており、簡単に転居はできない状況。
都心に向かう通勤はもちろん満員電車。
フレックス制度のある会社だったため時差出勤することはできるのですが、帰りの時間も当然満員。
10:00~16:30のような朝と夜の通勤ラッシュを避ける勤務スタイルになったのですが、当時時短勤務という制度がまだ整備されておらず、フレックスマイナス扱いとなっておりました。
数ヶ月して人事から物言いが入りかけたその時。
今度は切迫早産診断が下りました。
再び休職、そして里帰り出産の予定だった私は、そのまま帰省し出産予約していた病院はNICUがないことから転院。
正産期に入るまでは実家で寝たきりの絶対安静生活となりました。
この妊娠経験で、
自分の体が自分の思うように動かないことがどんなに歯がゆいことなのか
気持ちだけではどうにもならないことがあるのだということ
他者に自分のリズムを乱されるのはストレスが大きい
ということを思い知りました。
転機その2:育休復帰(時短勤務)
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妊娠経過とは違って出産自体はとてもスムーズな安産。
産後は謎の湿疹が1ヶ月ほど続いたり慣れない育児で疲労することはあれど、子供は大きな病気をすることもなくすくすく順調に育っていってくれました。
しかし、住んでいる地域は保育園激戦地。
本当は1歳までは育休としたかったところでしたが、戦略的に7ヶ月で認証保育園に預けて職場復帰することになりました。
その頃は時短勤務制度が整備され、最大2時間の短縮勤務が可能となっていました。
そこで私はもちろん2時間MAXで申請。
保育園への送りも迎えも、家事育児を一手に引き受けたワンオペ。
夫は朝も早く夜もテッペン越えのハードワークで、当時の私はうまく頼ることができませんでした。
また当時は制度ができて間もないこともあり、その職場での時短勤務者第一号の私。
上司も同僚も、どのように受け入れたらよいのか、手探りであったと思います。
さらに復帰後の業務は未経験業務に変更されていました。
初めての育児と仕事の両立に加え、新しい仕事、新しい人間関係。
いろいろな初めてづくしで心身ともにあっという間に疲弊し、当然のように体調を崩しました。
それでも歯を食いしばって(時には泣きながら)働きました。
復帰後1年間は、本当に比喩ではなく毎日走りっぱなしでした。
今当時を振り返ると、改めてよく頑張ったというか、とにかく必死だったよなーと思います。
この1度目の育休復帰後の経験で、
何でも自分一人でやろうとするとうまくいかない
自分は人に上手に頼むことがうまくできない
自分のキャパは思っていたより狭い
ということを実感しました。
しかしすぐにというわけではなく、2~3年かけてようやくといったところです。
なぜそんなに時間がかかったかというと、なかなか自分自身がそのことを受け入れられなかったからです。
それはこれまでの自分の価値観というか、自分がこうあるべき、と思っていたことが、否定され書き換えられる過程だったからだと思います。
それは子育ての場でもたびたび発生しましたが、それはまた別の機会に書くことにします。
とにかく、うまくいくことが少なく、心身ともに辛い中で仕事で何か成果を出せることもなく、自分の職場での存在意義もわからなくなりながら、加えて当然ながら時短の分のお給料や賞与はザクっとカットされて目に見えて減るわけです。
え、何のためにこんな必死になってるんだっけ??
と考えるのは、きっとほとんど全てのワーママと呼ばれる人たちが通る道なのではないかと思います。
(続きは後編)
最後まで読んでいただきありがとうございます!