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自分と付き合うの嫌んなる〜 のお話し

人といる時、自分で「自分」の気持ちや感じてる事が本気で分からなくなっちゃってる。「ちょうどいい空気」になることしか、したの事なくて、できなくて。
そのせいで人と上手く関係を築けない。本当に築けない。苦しい。いつもいつも空気清浄機、みたいな感じでしか存在できない。苦しい。
昔はまだそれでも、自己開示全くしないつまらない私でも、いじられキャラという名の元、自分の色が透明でも、「瞬間的な私の反応」に面白がってくれていた。私に興味持ってくれていた。ま、その経験が今の私の悩みの元凶を作ったっちゃ作ったんだけどね、。

だって私たぶんものすごくつまんないもん。。そんなこと自分で分かってる知っている、けどできない。だから苦しい悔しい。全く何にも自己開示しない私と話していても何も面白くないって分かってる。会話において「言い換え」と「共感」しかしない、できない私と話してても何も面白味がない、よね。本当にそれは嫌になる程分かってる。ただそれでも上手い返しとか面白みのある返答ができていれば良いんだろうけど、「その場に染まる」ことに全エネルギー注いでる私に、その余力と頭の良さはは無い。自己開示何もしてないってことは弱みとか悩みとかをとにかくずーっと隠し続けるって事でもあって、それはつまり「人」と繋がるきっかけがないよなぁ、、。そこまで自己分析できているなら、自己開示とやらをやりゃいいじゃん、って思うだろうけど(私も思ってる)、この根深い問題って、もはやその生き方を18年やっていると「自分」のことが自分自身分からなくなってしまってるってこと。冒頭で話したように。その場に染まり切る私は、「私」がいない。長年無視してきたからもう出てこない、だからこそ見つけられない。もうね、一言で言えば、どうしたらいいか分からない状態なの。ただ苦しいっていう。ハハって感じでしょほんと。行き着く先は自分を含めて誰もしあわせにならない自己卑下。ていうか結局自分を一番苦しめる自己卑下。

漫画とか映画だったら、ここで画期的な方法で切り抜けるんだろうな〜。その映画のエキストラにも慣れていない私は、地道に人と無理矢理にでも関わっていくしか、ここを切り抜ける方法が思いつかなくて。だから、だから「無理かも」「大丈夫かな?」って心の叫びを必死に必死にフル無視して、割れるような薄い氷の上を歩くように勇気を出した。私はほぼ初めましての状態の中、二泊三日のサークルの合宿に行った。自分を、人と無理矢理にでも関わらせた。経験でしか心を納得させられないと、成長させられないと思っているから、知っているから、不安にのたうち回る脳を必死に無理矢理「馬鹿」にして。

けど、再確認するばかりだったな。楽しかったは楽しかった!ものすごく。
けど、自分で生きてないから、「楽しいの空気に自分が染まっている日々を過ごした」が1番表現として合っているかもしれない。悔しい。まだ、ほぼほぼ初対面だったからってのがあったかもしれないけど、これはそういう理由じゃ無さそうなの。今が心開いている最高潮になる可能性があって、ものすごく怖くて堪らない苦しい。だってまだ「人見知りしている」って逃げがあるから。違うの。いくら時を過ごしても人に心を開けないの。自己開示の怖さにどうしたら立ち向かえるのだろうか、。自分を変えたいのに。。もうこのまま電車でどっかいってしまいたい。

怖い。人と関わるのが怖い。ねぇどうして、、。勝手に作り出される被害妄想。小4の時の陰口の雰囲気が根っこにあるのかなぁ。それとも母の気分で生きてコロコロ情緒が変わる感じが、人の感情の全てを真っ直ぐ信頼できない根っこなのかな。まぁとにかく私は私を生きていかなきゃならないから、どうにかして折り合いつけないと本当に孤独死する。もう、自分1人で自分の面倒見るの疲れた。疲れ切った。けど優しさは受け取り方を知らない。もうさ、ハハって感じだね。

薄々どこかで分かってたけど、あまりにそのまんますぎると悔しいっていうか自分に期待できなくなるって。。
「自分」と付き合うの嫌んなる〜このまま電車でどこか行ってしまいたい〜。

あたたかさに慣れれば私も自分色を出せるのだろうか。人と居ても人の色に飲み込まれないで自分の色をそっとその空気に出せるようになれるのだろか。分からない。けど希望でしか物事は変容していかないから。
それだけは絶対的な事実だ。動物は生きるために動くのだ。「変化」が生きるという事なのだ。

最終日までなんとか誤魔化し持ち堪えたが限界だった。自分が消えて生きるのは、もう限界だった。3日目の夕食の時間、吐き気に冷や汗が出た。もう本当に限界だった。本当に何も残っていない勇気を限界まで振り絞って、「体調悪いので帰ります」と言って帰った。皮肉にも、三日間の中で一番「わたし色」だった瞬間だった。

そう、これは今その帰りの電車の中で涙と共に書いている。手に負えない、自分に対する愚痴の詰め込みボックス。不思議と1人で電車に乗ってから吐き気はどこかへ消えていった。その代わり、どうしようもない悔しさばかり増大し、また、癖の被害妄想にぎゅうっと苦しめられ始めている。あんなにいい人で、あったかかったのに、わたしの心は経験不足で、やっぱり人を真っ直ぐ信じられない。まだ、ね。そう、まだ、経験が少ないからこそ、それだけのこと。とそん私を私で宥める。誰か勇気出していってきたねってら撫でてほしいな。私の面倒をわたしだけでみるのは、もういい加減疲れたのです。

父に、体調悪いかもここまで迎えにこれる?って冗談半分で言ったら、大丈夫?の一言の前に、だから無理するなって言ったじゃん、そんな初対面みたいな人と、って柔らかく棘のある小言言われた。ごめんなさい。無理したい時もあるんだよ。無理したかった。人生を変えるきっかけが欲しかったから。無理したい時に無理できない自分のに嫌になってる電車の中。

つらつらと書いてたら、2500文字近くになってるね。私の人生を変えたくて動いた三日間は2500文字の想いと共に幕を閉じる。

とにかく今は楽しかった瞬間を抱きしめていよう。この世で唯一「絶対」のものである感情。私の苦しみは絶対であり、また同時に「楽しみ」も絶対である。

私をどうか、陰口言わずに受け入れてもらえていますように。面白がってもらえていますように。。手に負えない程の優しさをくれたのに、素直に受け取れない可愛げのない私を。甘えるのが上手な子になりたかったな。本当にごめんなさい。
人生で初めて受け取る、人のあたたかさを感じるたび、正直こころがびっくりしていた。
「ありがとうございます」は「ごめんなさい」上位変換だった。

誰にも言えない切実な願いをここに書いておきます。幸せになりたいなろうね。人とぶつかっていけ私。分からない時はわからないと言うんだ。素直さは可愛さだ。

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