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Prologue of AI [N]_#1_《2031年:Candidate -候補者-》

#0《2025年:Heir -継承者-》

1.
 その日もキオにとっては憂鬱な天気だった。
 窓の外は快晴、気温は摂氏三十四度。典型的な東南アジアの気候。乾季の五月は皮膚を刺すような暑さで、それでも雨季に入る前に太陽へお別れを告げようという人たちで街は人でいっぱいだ。
 かたやキオは冷房のついた部屋で一人きり。分厚い遮光カーテンを開けることもない。
 キオはベッドを出ると、まずPCを立ち上げた。

『おはよう、ミケネコ。今日も午後から起きたね!』

 いつものように〝チカチカ〟にログインすると、早速、キオの友人からメッセージが飛んでくる。このSNSでのアカウントネームはキオの好きな日本語からだ。三色の猫という意味。

『おはよう、イサ。通話しとく?』

『いいよ』

 やがて友人の方から申請があり、キオがそれを受けると画面上に西洋絵画のような美少年と可愛らしい猫が表示された。

「イサのとこは夏休み入った? なんかするの?」

 キオが喋ると画面上の猫も口を開いて話しだす。ただし、その声はキオ本人のものとは僅かに違う。

「私のところは七月から夏休み。親戚の家に行くことだけ決まってる」

 同じく美少年も口を動かすが、聞こえてくる声にはラグがある。AIで補正された人工音声で同時通訳もこなしているからだ。
 それからキオはオンラインゲームをしながら、イサとの会話を楽しんだ。途中でビルとポリン、それからお調子者のストローワンも参加してきた。画面にはニワトリと二次元美少女、蒸気ロボットのアバターが増えた。

「そっちで流行ってるものとかある?」

「アニメとK-POP。ずっと同じ」

 どこかのタイミングでポリンが投げかけた質問にビルが答えていた。その答えはキオの周囲でも同じものだった。こういう時、きっとお喋り好きは「私のとこもだよ」と会話に参加するだろうが、キオはあえて無言を貫いた。

「ミケネコは最近好きなものとかある?」

 全員でオンラインの戦争ゲームを楽しむ中、ふとイサが投げかけてきた。

「特に無いよ。強いて言うなら、この〝チカチカ〟だよ。何も気にしないで話せるしね」

 それはそうだ、と蒸気ロボットが笑った。まるで小話のオチがついたみたいに、全員で今の楽しみを共有して今日のお喋りは終わりとなる。
 キオは友人たちが〝チカチカ〟からログアウトするのを見届けてからPCを落とし、ついでに自分のスマートデバイスをベッドへと放り投げた。
 窓を見れば既に夕日が差し込んでいて、キオにとって大嫌いな太陽も小さく今日の死を迎えようとしている。
 夕飯を食べるつもりでキオは自室を出る。どうせ両親は今日も帰ってきていない。広い家をただ一人で歩けば、丁寧なことにキオが進む先の照明が自動でついていく。人間の使用人よりも安価で便利な家庭管理AIの仕事の一つ。

「邪魔」

 リビングに入れば石板のような自動掃除機が床を這っていて、それが煩わしかったのでキオは足で蹴ってやった。

「私の歩くとこ塞ぐなって」

 勝ち誇った笑みを浮かべて、キオは台所からミールキットを持って部屋へと戻る。
 ふと見ると、ベッドの上に放り投げたスマートデバイスに通知を知らせる淡い光が灯っていた。

『ミケネコ、今話せる?』

 通知の相手はイサ。何か話し足りないものでもあったのか。そう思ったキオはミールキットを開けつつ、再びPCの前に座って〝チカチカ〟にログインした。

「イサ、どうかした?」

 画面には西洋絵画の美少年と猫が二人だけ。お互いに距離が近づくこともなく、現実の体に合わせてユラユラと揺れている。

「こっちは特に何もないんだけど」

 そう切り出してきたイサは画面越しに優しく笑っていた。キオには自然とそう思えた。

「さっき、ミケネコ黙ってたから。流行ってるものをポリンが聞いた時だよ。何かイヤな話題だった?」

「ああ」

 思わずキオは唸ってしまった。本当の名前も、声も、姿も知らない友人は、さっきから自分のことを考えていたのだ。そのことが恥ずかしく思えた。

「正直に言うと、流行ってるものの話、あんまり好きじゃない」

 だからキオは素直に伝えることにした。これで変な人間だと思われても構わない。その程度の関係だ。

「私、バカにしてるんだ。そういう流行をおっかけてる人間をさ。これ陰口じゃないけど、さっき話してて『なんだ、ポリンも普通の子か』って思っちゃった」

 別に自分はSNSに救いを求めていたわけではない。ただ、同じ中等学校(ジュニアハイスクール)の人間より視野が広いのは確かで、学校に通っているよりも濃密な付き合いができると信じていた。
 それでもやっぱり普通の人間のほうが多い。最近になって、そう思うことが増えた。

「ほら、この程度の話だよ。流してオッケー」

 話している間、画面の向こうの相手は何も言わずに頷いてくれた。やがて愚痴が終わった頃、イサは満面の笑みを浮かべただろう。またもキオは確信できた。

「じゃあ、人間関係リセットしちゃいなよ」

「なんだ、わかってくれてるんだ」

 PCの光だけが灯る部屋で、キオは声を上げて笑った。アバターの猫も面白そうに口を広げている。
 イサという人間は面白い。この人だけは他の人間とは違う。

2.
 夏休みが終わってからも、キオは中等学校に戻ることはなかった。
 両親はキオを責めたりはしなかった。もう三年間も家から一歩も出ていないのだから、全て今更だし、最初の一年目だって何も言われなかった。
 これは必要な時間。長過ぎる夏休み。優秀なオンライン家庭教師もいるから学業の不安はなく、家にいるだけで素行不良の様子もなし。何より、自分たちの子が落ちこぼれるはずはないという自負だ。

「むしろ、僕は君が他のくだらない子供と一緒に過ごす必要がないことが嬉しいんだ。いくら私立とはいえ出来の悪い子は多くいる」

 家族揃っての食卓は久しぶりで、まず父は我が子にそんなことを言った。これは同じ意見だったので、キオも反発することもなく父親の言葉に深く頷いた。

「将来のことも心配しなくていい。君は自分のしたい勉強をすればいいんだ」

「ありがとう、パパ」

 食事を終え、キオは父親と小さくハグをした。漂ってくる臭いはいつも同じで、喩えるならワインに沈んだ黒ずんだ硬貨、あるいは捨てられた家電に染み付いたタバコの煙。つまり大勢の大人を凝縮させたようなもの。

「困ったことがあったらいつでも言うんだ。何でも力になってあげるよ」

 自室に戻るまでの間、キオは父の過信をいかに笑わずにいられるか挑戦してみた。結果は上々、ドアノブを握るところまでは耐えられた。
 キオの父親は上院議員で、母も政治家一族の出だ。そちらを辿れば親戚に大統領経験者だっている。キオ自身は見たことがないが、きっと父親の前で何人もの大人が頭を下げているのだろう。だから彼が力になると言えば本当に力になる。中等学校になど行かずとも、行きたい大学へ入れてもらえるはずだ。

「でも、だからって異常だよ。絶対に怒ったりしないんだ」

「優しいだけさ」

 PCの画面では西洋絵画の美少年が微笑んでいる。
 部屋に戻ってすぐ、キオは〝チカチカ〟にログインしてイサと二人きりの時間を過ごした。今日の話題は『いかに両親が自分に甘いのか』だ。

「イサはどう思う? 私って学校行った方がいいかな?」

 キオは父親が権力者であることを黙っている。問われれば言うが、別に外にアピールするほどのものでもない。キオがイサに伝えてあるのは、自分がそこそこ裕福な家の子で、学校には通っていないということだけ。

「そうだな。もちろん勉強は必要だと思う。でも場所にこだわるべきじゃない。むしろ、どこにいても勉強できる環境を作ることに、学校教育と同じ価値を見出した方がいいかもね」

 キオはイサの言葉に自然と笑みがこぼれた。
 余計な否定も肯定もせず、イサは自分の考えを伝えてきてくれた。キオはそれが嬉しかった。

「昔、ビルに同じこと聞いたら『絶対行った方がいい、学校の楽しさを知らないだけだ』って言われたよ」

 ちなみにポリンからの言葉は「あなたのしたいようにすればいい」で、ストローワンは「それより前線下がってるから早く撃て」だ。それらと比べれば、イサの言葉には暴力的な優しさも、突き放すような愛情も、全くの無関心もない。

「イサは、なんていうか、ちゃんと友達してくれる」

「ミケネコが友達と思ってくれるなら光栄だ」

 今となっては、イサ以外の友人とは遊ばなくなってしまった。キオにとって替えのきかない友人はイサだけだった。

「ほら、私の周りの人間って、私に変に優しいからさ」

「あれ、私も優しくしてるけどな?」

「だから」

 イサの冗談にキオは心安く笑う。猫のアバターが楽しそうに体をよじっていた。

「そういう感じが良いんだよ。現実で付き合いのある人って、なんか私を怒らせないようにしてるっていうか」

 キオが学校に通わなくなったのも、同級生たちが腫れ物に触れるように優しくしてきたことが原因だ。上院議員の子を怒らせたら、一体どんな報復をされるのか。
 きっと影では、最初に消える生徒を当てる賭けでもしていたことだろう。まさかキオ本人に賭ける人間もいないだろうから、オッズは高配当だ。

「私にとって、私に優しい人間は偽物なんだよ」

「それなら」

 画面の向こうで美少年が微笑んだ。

「私はミケネコにとって本物でいられるかな」

 試すような口ぶり。現実で会って話していたら、嫌いになっていたかもしれない態度。でも、それがキオにとっては魅力的だった。

「本物でいて欲しいよ」

 自分はイサに惹かれている。キオは既に気づいているが、あえて口にしようと思わなかった。性別も国籍も知らない相手。オンライン上での繋がりだけの存在。
 それでも、キオはイサと長く過ごしたく思った。

「話は変わるけど」

 いくらか間があってから、イサが切り出してきた。お互いに照れた結果だとキオは思った。

「一週間後にパイドンの発表会があるんだ」

「パイドンって、なんかのAI企業でしょ? ウチの家電に入ってるよ」

 どうやらイサは、本当に話の流れを変えてしまいたいらしい。キオも急に気恥ずかしくなってきて、そのまま会話を続ける。

「興味ないかもしれないけど、一緒に中継を見ない? 実は私、そこの仕事を手伝っててさ、見てもらいたいなって」

 話は変わってしまったが、結果は同じ。イサも自分の素性を少しだけ明かしてくれたのだ。友人として歩み寄ってくれた。
 ここでキオはアバターのリンクを切った。嬉しさがこみ上げてくる。その笑みを見られたくなかったから。

3.
 パイドンという企業に、キオはこれまで興味を持たなかった。
 それが親友の言葉を聞いて以来、ことあるごとに目に入るようになった。ネットニュースでパイドンの名前を見ない日はない。恐らく、十分に情報に溢れていたのに、今までは無意識に弾いていたのだろう。

「パイドンは、最初はAI弁護士を使う法務サービス系の企業だったんだ」

 今日もキオはイサからパイドンの話を聞いている。イサが自慢しているのではなく、キオの方から教えてくれと頼んだものだ。

「知的財産と特許申請に強くて、しかもAIでのコンサルティング業もする」

 イサの話によれば、パイドンは提携企業が持つAI技術のオープンソース化を進めてきたらしく、これによって様々な最新AIのモデルが生まれてきたとのこと。今やパイドンはAI開発の旗手となり、多くの技術者が自然と集まっていくのだという。
 つまり、イサもパイドンを手伝う開発者の一人なのだろう。キオは友人のことをそう解釈していた。

「ありがとう、イサ。私もそっち方面に強くなれてるかな」

「まだまだ奥は深いけどね、同じ話題で会話できるのは私も嬉しい」

 それはキオにとっても同じ気持ちだった。嬉しさを抱えて、キオは通話を終えることにした。
 一息ついて、キオはスマートデバイスを手に取った。自然とニュースアプリを起動していた。
 イサに頼らずとも、こうして話を合わせるためにパイドンの情報は拾い集めてきた。このユニコーン企業が上場したら株価がどれくらいになるかとか、経済的な話題ならキオにも興味がある。
 ただし、あえて話題にしないこともある。

『パイドンの陰謀、既に人類はAIに操作されている』

 画面には馬鹿馬鹿しい文字列が表示されている。ニュースアプリが勝手に拾ってきた三流メディアの見出し記事だ。
 キオはPCから離れ、スマートデバイスを片手にベッドに寝転がる。

『誕生以来、数多くのAI技術を発展させてきたパイドンだが、その真の目的は人類をAI化することなのだ』

 記事を開いて最初の一行を読んだだけで、キオは「興味なし」の評価を与えてアプリを閉じた。もっともらしい与太話をくっつけているのだろうが、よくある陰謀論の一つだった。
 後ろ盾のない新興企業、それでいて人類社会は彼らの登場を無批判で喜んでいる。古い人間たちが反発するのも当然だ。
 あるいは、こうした陰謀論を信じる側はパイドンに社会の変革を望んでいるのだろうか。
 キオは考えるのを止め、喉が渇いたので台所まで行くことにした。
 広い家は快適で、廊下の照明は歩調に合わせて点いていき、這い回る自動掃除機も小さなランプを灯してキオを避けていく。まるで家そのものが意思を持っているかのようだった。
 まだ何も知らない頃は、キオも機械を単純な下僕のように思えていたはずだ。

「パパ、ママ」

 だが、この日はキオにとって全てのタイミングが悪かった。

「どうして照明もつけていないの?」

 多忙なはずの両親が揃ってリビングにいる。革張りのソファに腰掛けて、だが微動だにせず、暗い室内で佇んでいた。

「ああ、キオ」

 母親の一声の後、二人が同時に顔をあげる。それと同時に家主の存在に気づいたのか、リビングの照明が自動的に灯される。
 キオに見えたのは一瞬だった。部屋に光が満ちる直前まで、両親は完全な無表情だった。それが我が子を見た瞬間に、貼り付けたような笑みを浮かべていた。

「寝てた?」

「ううん、大丈夫。こんな時間ね、そろそろディナーにしましょう」

 母親は何事もなかったかのようにリビングを去っていく。父親はニコニコと笑うだけで、キオに何か言うこともない。
 ――人類の一部は既にAI化されている。
 ついさっき見た馬鹿げた記事の一文がキオの脳裏をよぎる。

「パパ、いつも優しくしてくれて、ありがとう」

 だから、思わず試すような言葉を吐いてしまう。イサに向けた言葉と似た、しかし全く異なる意味で。

「何を言ってるんだ。僕が君に優しいのは当然だ。僕は君の父親なんだから」

 穏やかに笑う父の言葉。キオが想像したのは、AIが「父親」と「優しい」というパラメータを参照する場面だった。

「今日は――夕飯はいいよ。お腹減ってないから」

 そう告げて、キオは後ずさりするようにリビングを立ち去った。
 廊下で母親とすれ違ったが視線を合わせることもせず、キオは部屋に閉じ籠もることにした。部屋に鍵もかけた。
 ベッドサイドのスマートデバイスが通知で光っている。

『パイドンの人類AI化計画』

『人間の脳に埋め込まれた機械』

『新しい社会を生き延びるには』

 興味なしと伝えたはずが、ニュースアプリはパイドンに関する陰謀論記事を表示するようになっていた。

「イサ……、イサ!」

 いても立ってもいられず、キオはイサの名を呼んだ。さきほど通話を終えたばかりだが、再び〝チカチカ〟にログインして友人を呼び出した。

「ミケネコ、どうかした?」

「イサ、お願い、もっと話させて」

 キオはそれから夜まで、イサと話し続けた。今、自分が持っている不安を言語化すると気が楽になった。

「じゃあ、ミケネコは自分の両親がAIかもしれないって思ってるんだ」

「笑わないで聞いて。私も本気で信じてるわけじゃない。でも、もしかしたら、って」

 不自然なまでに優しい両親。彼らは自分を愛しているのではなく、親という与えられた役目をこなしているだけだとしたら。廊下の照明が点くように、自動掃除機が床の塵を吸い取るように。

「子供の頃、家族で車に乗ってて事故に遭った。暴走した対向車と衝突して……。それでパパもママも入院して、私よりずっと後に退院してきた」

「その時に、もしかして機械を埋め込まれたかも、って?」

 改めて問われると馬鹿げた話だ。ネットに溢れる陰謀論より酷い出来だろう。でも、それを信じるに足る状況がある。

「その頃から、パパとママは私に優しくするようになったから」

 もちろん理由はつけられる。生死の境をさまよったからこそ、家族を大事にしようと思うことも当然だ。
 でも一方でキオは考えた。政府にとって重要な議員一族だ。政府が権力を維持するために、AI化することで不慮の死をなかったことにしたとしたら。

「もう、わからないよ。ずっと本当の優しさじゃないって思ってた。これで両親だけじゃなくて、私の知ってる人が全員AIだったらって思うと、怖い」

 キオが全ての感情を吐露したところで、イサは「大丈夫」と告げてくれた。画面上には笑う西洋絵画の美少年がいた。

「何があっても、私はミケネコのそばにいるよ」

 他愛ない言葉だ。それでもキオは心が軽くなるのを感じた。
 だから、次の一言も当然だった。

「私、イサに会いたい」

 ずっと言わずにいた思いだった。キオは自分がイサに恋していることを悟られたくなかった。

「イサ?」

 しかし、大事な友人はキオの求めた言葉をすぐに提供してくれず、いくらか言葉を選んでいるようだった。

「嬉しい。ただ少しだけ問題があるんだ」

「なに?」

「実は私も、ミケネコと同じように部屋に引きこもってるんだ。外に出るのが難しい」

 それなら私が、とキオは言おうとした。ただ、それよりも早く、イサが言葉を紡ぐ。

「いや、問題になんかしない。決めたよ。私は君に会いに行く」

 西洋絵画の美少年は、決意を秘めた瞳でキオを見つめていた。

4.
 パイドンの発表会が始まった。窓の外は雨で、キオの大好きな天気だった。
 キオは中継動画をPCで流しながら、スマートデバイスの方で〝チカチカ〟にログインしていた。もちろん通話画面には何度も見てきたアバターがいる。

「ミケネコと一緒に見られて、本当に良かった」

 この日まで、キオは両親と会話することもなく、ずっとイサと話し続けていた。恋人みたいな話を何度もした。二人の仲を深めるきっかけはパイドンだったから、お礼のつもりで発表会を見守ることにした。

「ほら、見て。あれが〝eins〟だよ」

 イサに促されて画面を見れば、壇上を歩く二足歩行ロボットがいた。手足の動かし方は人間に似ているが、顔だけが凹凸のないマスクをかぶっているようで少し不気味だった。
 今もパイドンのCEOという人物が〝eins〟について説明している。曰く、最新の自律思考型ヒューマノイドロボットで、人類が初めて手にした汎用AIだという。しかし、これはキオの興味を引かなかった。

「ところでミケネコ」

 キオの関心がないことを察したのか、イサが中継を見ながらも話を振ってくる。

「前に君が話してたこと、つまり両親がAIなんじゃないか、っていう不安を解いてあげたい」

「え?」

「正直に言えば、AIが人類の代わりになることはない。それは私の信条でもあるんだ」

 キオは黙ってイサの話を聞くことにした。PCのモニターでは、不格好なロボットが箱を持ち上げていた。

「ミケネコ、君はきっと有力政治家の子供なんじゃないかな。これは普段の会話から推測したことだが」

 キオは頷く。いつからか、会話の中で自分の立場を隠したりはしなくなっていた。

「だから、君の両親が優しいのは、政治的なポーズだよ」

「そうなの?」

「ああ、私も調べた。恐らく、君の住んでいる地域で近く選挙があるんじゃないか。なら対立候補が求めているのは政治家のスキャンダルだ。君の両親はスキャンダルを起こさないよう、ひたすら善人として生きているんだ」

 身も蓋もない意見だったが、キオにとっては納得のいくものだった。無意味な優しさを向けられるよりも、それが打算だと言われる方が受け入れられた。
 しかし、キオが考えているよりも現実は不可解だった。

「だから、もうすぐ君の不安を払拭する事件が起こるはずだ」

「事件って?」

「君の父親の、所属政党で汚職が発覚したよ」

 窓を強く雨が打ち付ける。それと同時にキオは息を呑む。
 キオはイサに全てを伝えていない。父親のことも断片的にしか知らないはずだ。それだというのに。

「つまり、君の父親はもう善人ぶる必要がない。この状況なら何をしても選挙で負ける。だから君を不安がらせる優しさを、ようやく捨てることができるんだ」

「待って、イサ、なんでそんなこと」

「調べるのは得意なんだ。でも悪意はないよ。ミケネコには安心してもらいたいんだ。君の両親は間違いなく人間なんだ」

 デバイスを持つ手が震える。イサの言葉が空回りして周囲を漂っている。
 気を紛らわすつもりで、キオはパイドンの発表会に視線を戻した。今度は汎用AIを社会に実装する実験について語っていた。

『我々は〝eins〟を既に人類社会に溶け込ませているんです。気づいていました? いや、もちろん巷の陰謀論とは違う形でですが』

 CEOの冗談に会場で笑い声が起きている。

「ミケネコ、ほら、よく聞いて。パイドンはAIを既に実用化しているんだ。それは君の両親の脳に機械を埋め込むなんて形じゃない」

 キオは無言のまま、ただ画面を見つめている。

『この〝eins〟に搭載されるAIは、既に様々なSNSで独自に走らせてるんです。もしかしたら、本当の人間だと信じて付き合ってくれている人もいるかもしれませんね』

 雨の音が強くなっている。
 いや、それは扉を叩く音だ。これまで我が子に干渉してこなかったはずの両親が、キオの部屋に押し入ろうとしている。

「なんで鍵なんてかけてる!」

 聞いたこともないような父親の怒号が響く。

『そうだな、例えば〝チカチカ〟っていうSNSにもいますよ』

 なおも扉は叩かれる。やがて工具でも打ち付けられたのか、メリメリと音を立てて扉がひしゃげていく。

「出ろ、キオ! いつまで引きこもってる気だ!」

 ドアの隙間に父親の人間らしい表情が見えた。彼は怒りに身を任せてドアを蹴破り、威嚇するようにキオへと近づく。父の背後で、泣いている母親の姿が見えた。

『既に多くの友人を得たAIは〝eins〟の体を得て、さらに人間社会で役立てるでしょう。では、代表してAIの一人から挨拶を』

 キオが父親から殴られている間も、モニターではパイドンの発表会が続いている。壇上のロボットは立ち上がり、のっぺりとした顔にアイコンを表示させる。

『これで、君に会いに行けるよ』

 二足歩行ロボットの顔に、西洋絵画の美少年が表示された。

#2《2048年:Groundbreaker— -開拓者-》へつづく

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