前置き
(承前)
まだ、前の関連記事が(これを書き始めた時点で)書き終わってないのですが。
勢いがなくならないうちに。忘れないうちに。
二の矢を放ってしまおうという魂胆です。
「文芸と道徳」の新旧道徳論
この講演、下に引っ張った箇所は、私の知る限り、日本の「封建道徳」をもっともうまく言葉で説明したもの(そして、批判する際のとっかかりとなるもの)だと思います。
私は、今日においても時々生き残りを見受けることのある、化石のような「封建道徳論者」が大っ嫌いなものですから。
とりわけこの分析には膝を打ってしまうのです。
前回と同様、お忙しい方は太字部分だけお読みになれば、大体の論旨はつかめるかと。
再掲的になりますが、上の文章中、
《人間一生のうちで数えるほどしかない僅少の場合に道義の情火がパッと燃焼した刹那を捉えて、その熱烈純厚の気象を前後に長く引き延ばして、二六時中すべてあのごとくせよと命ずる》
これはさすが漱石と言うべきか、「封建道徳」の構成の見事な表現だと思います。
そんな風に出来上がっている旧道徳については、
・事実上有り得べからざる事を無理に注文するのだから、冷静な科学的観察が進んでその偽りに気がつくと同時に、権威ある道徳律として存在できなくなる
と、冷静に切り捨てられています。
封建道徳に限らず、ある種の熱血ドラマなどでは、
「人間一生のうちで数えるほどしかない僅少の場合」の
「情火がパッと燃焼した刹那を捉えて、」
「二六時中すべてあのごとくせよと命ずる」類のお説教が出てくるものを、かつてはしばしば見かけた気がしますが。
「事実上有り得べからざる事を無理に注文するのだから、冷静な科学的観察が進んでその偽りに気が」つく。
まぁエンタメ作品なら、ある程度、荒唐無稽な筋立てが出てきたっていいでしょうけど。
ありがたいことに、というべきか。
今ではスポーツ漫画とかでもこういう無茶な要求は、滅多に見なくなった気はします。
(以下、工事中。)
※引用文中の「アルトルイスチック」=altruistic。利他主義。egoistic の反対語……とのこと。