エスパー魔美雑感(1) 「雪の降る街を」
(※)トップ画像は表題のエピソードのものではなく、適当です(笑)。
前置き
abemaでアニメ版のエスパー魔美が順次無料公開と聞いてからすでに2ヶ月近くでしょうか。
とにかく日々追いかけています。
サイトはこちら。
私は、アニメの一気見とかがすごく苦手なタチなので、一日一話のペースでも結構ひいひい言っていますが。
でも、得るものも多い体験です。
いつの日か、まとまった「エスパー魔美」論を書けたら格好いいと思うのだけど、今回はエピソード2つ分だけ語ることにします。
「雪の降る街を」と「学園暗黒地帯」
これを選んだのは、傑作エピソードだからというのもあるけど、この2つは「マンガくん」でたまたま読んだ記憶があるからです。
(購読していたわけでもないのにどうしてだろうかというと、おそらく祖父が孫用にと適当に見繕ってくれたものかと。自身でチョイスしたとは考えづらいけど「孫への土産用の漫画をなんか見繕っておくれ」と本屋に頼んで、実際に何か見繕ってくれるなんて時代がかつてはあったんでしょうか。ともあれそんな時代への思い出要素コミで。なお学園暗黒地帯は後編の掲載号でした。)
さて、話を始める前に一応こちら、原作マンガのサイトもご紹介。
てんとう虫コミックス
藤子・F・不二雄大全集
こういうことを言うとちょっとアレですけど、どちらも試し読みページがそこそこ多く、冒頭1話分をフルで読めたりします(てんとう虫コミックスの2,7,8,9巻を除く)。
原作を読んだことがない人は雰囲気だけでもご覧になってみては?
【以下、ネタバレありの感想】
「雪の降る街を」
(アニメだと46話。原作は「てんとう虫コミックス」4巻。「大全集」では3巻。初出は「マンガくん」1978年04号)
しかしこんな傑作エピソードをどう紹介したらいいんだろう。
芸術家青年と上品さを漂わせるお嬢さん。やがて、その二人は魔美のパパとママになるわけですが。
いずれ自分もこんな恋をして、こんなお嬢さんと結ばれるなんていうことがあるんだろうか、というようなことを考えた少年の日が自分にもあったような……(遠い目)。
若き画家さんが、いきなり電撃的に「運命」を感じちゃったりする若さも、どうしても告白できないウジウジ感も、本当にいいです。個人的にとっても共感です。
その頃を振り返るパパも、いい感じの「大人の余裕」があって素敵。
思い出の「ボタン」は(ちょっと雑ながら)ちゃんと保存していたのですね。
「雪の降る町を」(曲のほうは「町」表記)の歌はパパの若き頃に流行っていたのでしょう(一番下に書いた「補足」もご参照ください)。それをうら寂しく口ずさむ青年も、こういってはなんだけど、昔の若者らしい「いい味」です。
(というか、この辺の感慨はF先生なり周りの人なりの体験がいかにも反映していそうですね。漫画家なんていう浮草稼業の俺が結婚を申し込むなんて、みたいなことをお考えになったこともあったのかも。)
そして魔美ちゃんの一世一代の超能力。
タイムパラドックスものの大きな魅力の一つとして、「人の運命」というものの不思議さ、あるいはおそろしさ(恐ろしさ、畏ろしさ)を端的に描き出せる、という面があると思います。
その点で、このエピソードはすばらしい。
はじめはパパのロマンチックなラブロマンスをいたずら心で覗き見するだけのつもりだった魔美(興味本位ではないと、原作では言っていますけど)。
不意に、それが自分の存在そのものに関わる大問題だと気づき。
無我夢中で発動した超能力が、なんと過去に作用してしまう(たぶん)。
【この一連の流れが実に秀逸!】
それによって、現在の自分の存在が確保されるのだけど。
そもそも的に言えば、いずれ自分が(まさにこの場面で)超能力を発揮する未来があるということを前提として、自分が生まれるという過去があった?
(大げさに言えば、それが予め定められた宇宙の意思だった??)
……みたいな。
こういうストーリーになぜか人間は「運命」というものの不思議を感じて感銘を受けてしまうみたいなのですね。
その辺の(感銘与えツボの)押し方がF先生は抜群なのだろうと思います。
原作の細かいツッコミとしては、ボタンシーンのビジョンにおけるパパの衣装が、初回と2回目で異なっています。これはワザとなのかミスなのか判断に迷うところ。
ワザとだと考えた場合、そもそもパパの思い出自体があやふやなものなのではとか、そこに「入り込んだ」魔美のビジョンや超能力も、実はただの幻にすぎないのでは、とか。そういう含みをF先生は残そうとした……みたいに考えることもできて、それはそれで深いように思います。
さて、あの一見冴えない画家さんの良さをちゃんと見出してあげられたママさんも素敵(都合のいい男の願望といったらそれまでだけど)。
このあとも結婚まではいろいろあったかもしれないけど、それは読者が勝手に想像すればよいこと。
今回、久しぶりに原作も引っ張り出して読みましたが、最後に超能力が働くくだりは思いの外淡々とした描写で驚きました(そこがまたセンスなんですけどね)。
アニメ版はもっとドラマチックに演出していますが、こちらはこちらでまたセンスがよく。どちらをと言えば、これに関して私はあえてアニメ版を推します。
以下、特にアニメ版について見ていくと。
久しぶりに訪ねて来た旧友がブラジル帰りという設定になっていますが、これもとてもいいオリジナルだと思います。
彼が「雪女」さんとの話の続きを知らないのも、長く外国に行って音信不通だったからだと思えば自然です。そして友人が遠くへ行く(次にいつ会えるかわからない)というイメージは、そのまま「雪女」さんが「遠い人」になるという青年の焦りの気持ちにオーバーラップします。
「雪の降る町を」の歌をパパが口ずさみ、魔美が加わり、さらに帰宅したママも加わり、みんな揃って歌を歌い終わったところでエピソード終わり。原作どおりではありますが、このあたりのタイミングの測り方というか演出がまた上手い。文句なしです。
このラストシーンに限らず、アニメ版だとちゃんと音楽がつくのが嬉しい。それは当然といえば当然だけど、つけ方のセンスというのもあって、この回はそれも素晴らしいです。もっと言えば、この回は音による演出がいろいろなされていて、それがいい感じにハマっています。
「雪の降る町を」のピアノ演奏も、恐らくこの回専用でわざわざ録音してますよね。マイナーで寂しげなバージョンなんかも流れていることからして。
そしてこの回は魔美がずーっとずーっとヌード。感動のストーリーに痺れるべきなのか、魔美のヌードに痺れるべきなのか、思春期の少年だと頭の処理が追いつかずオーバーヒートすること必至です。
そういう面も含めてこの回は傑作中の傑作なのだと思います。
オマケに。
次回は「学園暗黒地帯」について見ていこうと思います。
《補足》
思いっきり乱暴に、パパをF先生と同い年、つまり1935年生まれと仮定するなら、連載の1978年当時、パパは43歳。
「雪の降る町を」がヒットした1952年には17歳ぐらい。
「雪女」さんを見初めたのが20代後半だとするなら、それは1960年代前半で、既に「雪の降る町を」はちょっとした懐メロ扱いでしょう。それを調子っぱずれに口ずさむ変な画家さんだった、と。
魔美が連載開始の1977年に14歳の中学2年生であるなら、生まれたのは1963年。パパは28歳頃。
うん、そう無理もない計算かな。
多分、当たらずと言えども遠からずといったところではないかと。