見出し画像

「うつは甘え」と言う人に足りないのは優しさ(だけ)じゃない話。

「産後うつは甘え」という発言が話題になっていたようですが、炎上商法かな?とても卑しくさみしい注目の集めかただと思います。

さて、うつに限らず体調(メンタル)不良って、やっぱり自己責任だとか「気の持ちよう」だとか根性論で片付けられることがいまだに多いですよね。


これについてはずっと書きたいなあと思っていたことでもありますので、今日は、本当は深い「気の持ちよう」の意味について解説をしたりしながら、「うつは甘えなのか」ということについて自分が感じていることなどを書いていきたいと思います。

(わたし自身はうつと診断された経験がないので、病気や体調不良と置き換えて書いていきます。)


個人的な話になりますが、わたしはわりと虚弱体質で学校に行くだけでも疲れきってしまうような子どもでした。朝起き上がることができず学校に行けなかったことも数えきれないほどあります。

社会に出てすぐの頃は、ハードワークで心身ともにバグってしまい、なんとなく死を思うことも多かったです(これは会社辞めて遊びまくったら治りました)。


それに比べ、わたしの両親は大変元気な人たちなんですよね。異星人なんじゃないかって思うくらい体力あります。なので「大きな病気でもないのに毎日具合の悪い人が存在する」ということを彼らは知らないし信じられないし、理解が出来ないんです。

わたしが体力があって元気な人の感覚がわからないのと同じように、彼らもまた自分とは違う感覚を持った人のことがわからない。

わからないということに関しては平等だけど力関係がイーブンではないために、わたしの虚弱体質は「気の持ちよう」だとか「根性が足りない」という彼らの知り得る範囲での常識・価値観でいつもジャッジをされてきました。


先ほどの会社辞めて遊びまくった話のように、気持ち次第でびっくりするくらい体調がよくなることって確かにあります。

でも「気の持ちようで治る」って取ってつけたような言葉を他人に対して軽く言えるかたって、その本当の意味するところをわかっていないのではないかなと思うのです。

「気の持ちよう」っていうものの中身って、無理やりなポジティブのことでは決してなくて、自分を責めてしまう気持ちだとか無価値感とか罪悪感とか、それによる生きることへの恐怖を取り除いてあげることだとわたしは思っています。

つまり自己受容とか自分を大切にするとか自分を虐げないとか、そういうこと。

それなしに「がんばれがんばれ」って言われたって、元気になるわけないよ。


自分の気の持ちかたで体調が回復することはある。確かにある。

でもそれが弱っている人を追い詰めるための言葉であってはぜったいにいけないと思うのです。

他人の体調(精神)不良を「気の持ちよう」だとか「甘え」という言葉で切り捨てるのは、暴力です。こんな冷たい言葉ないよ。


ではそのように言ってしまう人に愛がないのか?というと、そういうことではおそらくないのですよね。

ただ知らないだけ。優しさがないというよりは圧倒的な知識不足です。

病気だけでなく、なんでもそう。当事者になってみて必要に迫られて初めて学ぶことってたくさんあるじゃないですか。だからわたしも圧倒的に知らないことだらけだし。

この圧倒的知識不足の状態で「自分の経験してきたことが全て」と思い込んで他人(特に立場の弱い相手)に自分の常識や正義・正論を投げつけたときに悲劇は起こります。

たとえば先ほどの例でいうと「体調(精神)不良は気の持ちよう」という言葉を投げつけられたほうが責められたように感じてとても傷付いたとしても、投げたほうは「正しいこと」を言ったはずなのになんで傷付くのかが理解出来ない。知らないものは想像が出来ないからです。


「厳しくするのが相手のためだ」という根性論を信じて生きてきて、特に困ったり そこまで深く傷付いたりせずに大人になれた人は、それ以外の価値観に触れる機会がなかった。必要もなかった。

だからそれ以外のものを信じられない。自分がそこまで深刻に困らずに生きて来れたから、「知る」というチャンスに恵まれなかった。それだけのこと。

先日『産後うつ発言』をされた人は 他人の感情をえぐって炎上させることが目的だったのかもしれませんが、そういうがっつりサイコパスみたいなのって本当に稀で、多くの人の場合はそこまで誰かを追い詰めようと思って「うつは甘え」とか言っているわけではなく、本当にナチュラルに根性論だとか自己責任論みたいなものを信じているんだなという感じがします。


そしてその方々自身も無価値感や劣等感を常に抱えている。

甘えるなって平気で他人に言える人は「何もない平凡な自分」を常に無意識で責めてるのかもね。

何か人の役に立っていないと、人に認められないと、わたしには価値がないから頑張らなきゃって、いつも自分を責め立てている。

他人や自分の体調不良を「甘え」だとか「怠けてる」と平気で言い放つことのできる人ほど、正義の仮面を被った『他人の承認がないと息の根の止まる甘えん坊』です。


自分には価値がないから頑張らなきゃという無価値感が自分の内側に向く人は心身を病み、無価値感が外側に向く人は過剰に他人に自分を承認させるようになる。

だからなんか「甘え」とか「怠けてる」とか そういう言葉の裏側には、それを言った本人自身の無価値感とか劣等感がヘドロのようにひっついているように思います。というか、もうヘドロにしか見えません。ちょっとそのヘドロ、こっちに投げてこないでよと思います。


だからもしね、そういう言葉を言われたとしたら、なんかまともにダメージ受けて傷付くというよりも「ああ、この人の中のヘドロがなんか言ってるー」とか「このカテゴリに関してはこの人は圧倒的知識不足なんだな」くらいに思っておけばいいんじゃないですかね。

いやそうは言っても傷付くけどね、本当。やめていただきたい(本音)。


でもなんかやっぱり「うつは甘え」みたいなのは時代にそぐわなさすぎてるし、そういうこと言う人ってポテサラおじさんみたいに声と態度がやたらとでかいから 優しい人は特に丸め込まれやすいと思うんだけど、

そうじゃないって思ってる人だって、声は大きくなくてもここにもいるし他にもたくさんたくさんいるからねって伝えたいなって思って、大変センシティブな話題ではありますが今日はこのトピックについて書いてみました。


上手く言葉に出来ない部分もあり、すごくわかりづらかったところ多々あったと思います。ごめんなさい。

お付き合いくださったかた、どうもありがとうございました。

またここでお会い出来ましたら幸いです(﹡ˆˆ﹡)


***

【優しいかた用】自分軸のつくりかた*.+゚


雑貨屋さんやってます。こちらもよろしくです(๑ ᴖ ᴑ ᴖ ๑)

画像1


普段はTwitterにいます。よかったら遊びにきてねん。

ではまたね~ヾ(*´∀`*)ノ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?