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noteとかblogとかSNSについてとか。その他雑感。

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2020年10月の記事一覧

ペルソナも肩書きも。

文章を書くときはペルソナ(架空の読者像のようなもの)を設定して、その人に刺さるように書くといいと言われます。 アカウントをつくるときは、何をしている人なのかひと目でわかるように肩書きを設定するとプロフィールを見てもらいやすくなる(フォローされやすくなる)と言われます。 しかし、誠に残念ながら 私はそういうのが出来ないらしいんですよね。 戦略的にいこうと思うと、急にやる気が減退していきます。 ここまで出来ないということは、自分には必要がないということなんだなとおもってい

ブログでなくnote。

「すなおさんはなぜ、ブログではなくnoteを?」 今朝、Twitterのフォロワーさんから こんなご質問をいただきました🌸 考えてみたんですけど、「なんとなくすきだから」以上の理由が見つからないんですよね。 有益なお答えができずに申し訳ない。 たまたま始めたのがnoteだったから…。 続けてたら情が湧いたから…。 ギラギラしてなくて落ち着くから…。 なんとなく「書きてえな」となるのがnoteだから…。 私の中のわたしさんがnoteがいいって言ったから…。 以

noteとTwitterの狭間で。

Twitter大好きマンのはずの自分が、Twitterをあまり開かなくなっていることに気付いたのは最近のこと。 多少オフラインが忙しかったとはいえ、これはおかしい。 よくない傾向である。 もしかしてわたしさん、ついにnote脳になったのだろうか…… とおもうと、noteという空間が 私はとてもすきなのだけど、なんだか少し胸が痛んだ。 Twitterのアカウントは、特別フォロワー数が多いわけでもなければ、バズったことがあるわけでもない。 至ってフツーのアカウント。で

羞恥心しかない。

一応本名でやってます。 あんまりいないじゃないですか。この名前。 それで、最近HSPバブルなこともあって、 なんとなくの肌感で、身のまわりにも繊細さんを自覚する人が増えてきたような空気を感じるんですけど、、 早かれ遅かれ、どこかのタイミングでオフラインで知ってる人に画面越しで遭遇する日が来るんだろうなとびびってます。 一応、嘘のない気持ちしか書かないってことでほぼ本名にしていて、変えるつもりもないんですけど、やっぱり私を知っている誰かに見られたらと思うと、 控えめ

アウトプットが自分をつくる話。

以前「情報が自分をつくる」みたいな記事を書いたことがあるのですが、なんか不完全だなと思ったので今日はその進化版。 何をアウトプットするかで自分がどんな人になっていくのかが決まるかもな話です。 *** 世の中には素晴らしい情報がこんなにもたくさん溢れてる。 なのに情報が自分のものにならなくて長い間文句たらたらの人がいるのってなんでなのかなって(私も含めて)考えていて。 それって情報そのものが悪いとか、その人のインプット不足とかっていうよりも、実践とアウトプットの部分が

ひきこもるから拡がる縁がある。

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私が聴きたい甘い言葉を。

このnoteには、自分が読みたい言葉を並べています。 「こんなこと言ってくれる人がいたらいいな」って思うような人に 自分がなって、弱いときのわたしに向けて文章を書いています。 こんな感じ。↓ このツイートのように、自分が言ってもらいたい言葉を自分で自分に言ってあげられると、結構いい感じに生きやすくなっていくのではないかなと思っています。 いつも他人に求めるのはエレガントじゃないし、思い通りのことを寸分違わずに言ってくれる人なんて存在するわけがないし、 なにより言葉に

世界観の交わる場所。

noteで文章を書くようになって思いました。 自分の世界観が守られる場があるのって、自分にとってすごく幸せなことだなあって。 世界観なんて言ったら大げさだけど、自分の箱庭をつくっていく作業って、とても幸せなもの。 noteでの出会いは、そのかたの世界観との出会い。 小さなアイコンの後ろ側に その人独自の世界が広がっているのを感じています。 noteは たくさんの世界観を内包する宇宙のような場で、 その片隅で みなさんの世界観と私の世界観が交差する。 なんだかとて