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情報商材に触れても変えられなかったこと

関わらなくなって1年以上たったので、いまならいくぶん冷静に書けるかなと思う。

とある動画の教えを実践した時代

3年前に情報商材に日々触れては、その教えを実践していたことがある。
ちょうどそのころ年収をあげたい・仕事で活躍したいと思っており、メンタルを鍛える方法や仕事で嫌なことをしてくる相手への対処法・効率アップの方法を動画でよく見ていた。

見るだけではなくて実際にその教えを実践したこともあった。
例えば、その日あった良いことをメモに残し続けたり、誘導尋問をしてくる相手に質問返しで対処したり、積極的にフレームワークを会議の資料に盛り込んだりしていた。そんな日々が一年近くは続いたように思う。

情報商材の動画をみていると、サロンの有料会員への誘導が毎回行われていたが、僕は(その時点では)参加しようとは思わなかった。無料の範囲で教えを実践してみて、効果が出たら有料会員になるべきだと考えていたためである。

さて、1年ほど経って効果が出たかというと、僕にはダメであった。

その動画の教えは切れ味がシャープすぎて、いま目の前で起きている現実の枝葉の部分を無視して認識・行動してしまう。
教えに当てはめられるか?という観点で物事を考えがちになるので、柔軟性に欠けるというか、少なくとも忖度が強く求められる職場では空回りしていってしまった。

次第に、教えを実践する前の時の方が良い仕事を出来ていたのではないか?と考えるに至って、また、心がどことなく荒んでしまったように感じて、次第にその教えの動画を見るのをやめてしまった。

(一応フォローしておくと、僕の「教え」を実践した仕事のやり方は、実は教えに則っていない部分が多々ある。僕は根回し系を無視したが、実は動画では根回しの重要性も語られていた。ガンガン常識を恐れず進めという教えの方を僕は強く採用しすぎたのである。)

Twitterで相互フォローをしていた時代

そんなこんなで教えにも仕事にも疲れてしまって、いまのTwitterアカウントを開設することになった。

https://mobile.twitter.com/nemumiimumen

名前は「まったり」。いままで心だけが生き急いでしまったことに反省してつけた名前である。

そこでブログを書いていることをツイートして、せっかくだからとフォロワー数を増やすために積極的にいいねとフォロー返しをしていた。すると、とある界隈からのフォロワー数が急激に増えることになった。

俗に言うところの情報商材の方たちである。

最初はフォロワーが増えたし、まあいいかと好意的に思っていたのだが、タイムラインに流れてくるツイートが非常に似通っていることに気づいた。

曰く、「独学でのブログには限界がある。知識に投資しよう」「一日一個活動している君はすごい」「昔はお金儲けのことを何も知らなかったけど、先輩に出会ってからはすごく大事だと実感している」、そしてたまに流れてくる「敢えて厳しいことを言う。知識を入れるだけで満足してないから?圧倒的なアウトプットが大事だ」。

そして、これらのツイートの内容は、あの動画の教えにも似通っていることに気づいた。
その動画から引用してツイートする人もいたので当然なのだが、同じと感じたのはhow toはさることながら、人生へのスタンスだ。

前向きで、日々良くなっていて、ビジネスでお金を稼ぎたくて、熱を共有できる仲間を見つけたいというポジティブさ。
そして、時に価値観を共有できない人々への優越感が見え隠れする。

僕はそうなりたいの?を思ってしまった時代

このポジティブさの洪水を自覚した時に思ったのは、「僕はこうなっても幸せじゃないだろうな」だった。

現に1年ほど動画の教えをやってみてうまくいかなかったし、それに、そもそも僕は仲間はいなくても孤独を楽しめるタイプだったからだ。

この数年は例外だっただけで、小学生から大学生までの僕といえば、周りが熱を持っていると却ってやる気をなくすタイプで、先生や年上から指示を出されると、仮に失敗しても指示に一回反した行動をして実験したくなる人間だった。決めつけられるのは嫌いだったし。
毎日コツコツ宿題するのも嫌で、長期休暇の初日に一気に仕上げるクチだったし、むしろ友達ができないことを内心では自慢さえしていたではないか。

と、気づいてからしばらく経つと、動画の教えもTwitterのフォロワー数もどうでも良くなってしまった。

その動画の教えもポジティブなツイートも、現実を生き抜く方法として間違いではないのかもしれない。しかし、僕の生来の性質とは合わなかっただけだ。合わないことをするから心が荒んだ。本当はやりたくなかったから。

いまの僕は、そのポジティブさに絆や夢ではなく、依存と信仰をどうしても見出してしまう。僕の認知の歪みのせいだ。
縋れるものがないことは、それはそれで苦痛というか無気力になるが、この痛みには向き合わないといけないのだと感じる。

おまけ)情報商材から学んだこと

結局のところ、有料商材は買わずじまいだったのだが、無料で教えてくれることは1年ほど実践した。
実践しても僕は幸せだと感じなかった and その幸せは欲しくなかった or 正しく実践できる性質の人間じゃないことが分かったので、それはそれでよかったと思う。

また、ポジショントークという言葉を覚えたのとその実際例を目の当たりにできたのは有益であった。
情報商材にしろ会社内の発言にしろTwitterの政治ツイートにしろ、自分が誘導したい方向になるように、自分の過去を正当化できるように、自分のファンを気持ちよくさせるように言葉は紡がれる。
ファンを維持するために努力してるんだなあと思い直すと、自分と異なる価値観やトゲのある意見に対しても「そりゃあ、そう言う必要があるよね」と納得できるようになった。

お金を稼ぐということが大変だということを最近実感しています。サポートいただけると幸いです。