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姉みたいには、なれないよね

姉が結婚式を挙げた。
会場はめちゃくちゃオシャンティなチャペル。このために何百万か費やしたらしい。

感染対策のために、地方に住むこちらの親族は来ることができなかった。けど、相手のご親族は関西からなんとかして駆けつけた。

姉の結婚相手(すなわち義兄)は、姉の幼なじみで、私も幼い頃から面識がある。
ご親族ともわずかながら関わりがあったので、昔からの知り合いが結婚相手になったみたいな不思議な感覚だ。

そして、それはもういろんなジャンルの友人が来たので、姉の交友関係の幅広さを実感した。

と同時に、やっぱり姉みたいには生きられないな、とも思った。

わたしが生まれる前、父はバリバリの転勤族だったので、姉は転校ばかりしていた。そこで引っ越すたびに新たな人間関係をつくり、逆境をモノにしてきた。

式での友人の様子を見ていると、姉はグループの一員というよりは中心で、まるで姉を中心に関係がまわっているような印象さえ受けた。


幸いにも姉はそれに無自覚なようで、その無自覚さこそが姉を姉たらしめているようにも思えた。

ただそんな姉も、社会の流れには抗えなかった。世界的な大不況のあおりで就職難だったときに就活にぶち当たった姉は、正社員としてどこにも声がかからなかった。
派遣登録して送り込まれた先が、想像を絶するほどのブラック企業。

姉は心を壊してしまった。
仕事を辞め、しばらく家にいることになった。

中学校から帰ってくると、家にはいつも姉がいたので一緒にゲームをしたり、アニメを観たりした。
当時の私は、なんとなく事情は知っていたけど、心を壊した姉に対して、とくに意識しすぎることなく、ごく自然に接することができたと思う。母と協力してたまに外へ連れていき、気分転換を図ったこともあった。

しばらくして求職活動をはじめた姉は、いまの会社にめぐりあい定着することができた。

あのとき姉のことを、うつの患者だとか失業者とかってラベリングしていたら、姉は元には戻れなかったかもしれない。我ながらファインプレーだと勝手に思っている。

社会に巻き込まれ、使い捨てられていく姉の姿を見て、私は社会に希望をもてなくなった。いかにうまく生きるか、みたいなことを考えるようになったし、社会は理不尽なものとさえ思うようになった。

ただそれが学問に取り組む原動力のひとつになっているところもある。

けど姉は、自分の問題で追い込まれたわけじゃないのに、社会を恨む姿勢を誰にも見せなかったし、誰も恨まなかったのだ。

もしあれがわたしだったら、確実に誰かのせいにしていた。

姉は、社会の理不尽さを受け止めながら、自分の足で道を切り開いていった。そのたびに仲間と出会い、大切にし、かけがえのない存在となっていった。

やっぱり、うちの姉はすごい。心の底から尊敬する。決して自分にはマネできない。

そんな姉ほどの行動力と芯の強さがある人でも、結婚は難儀なものだった。
一時期、「わたし結婚しないので」宣言までしていたくらいだ。

結局、大学以来誰とも交際しないまま、地元関西の幼なじみと結婚した。

その一部始終を眺めて思った。
縁をつくることに長けた姉ですら結婚が大変だったなら、私に結婚なんて不可能では?と。

もし誰かと出会って結ばれて、式を挙げたとしても、あんなに人は集まらない。開いたところで惨めな思いをしてしまいそう。

なにより私は、姉の数百倍気難しい。
(続く)

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