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8時間32分のドラマ

40w3d。8月某日。
以下出産にまつわる自分なりの記憶を綴る。

夜間3時頃より前駆陣痛っぽく痛みはじめる。最近あったのと同じ感じだなあ、と思いながらウトウトする。

7:00すぎ 規則的に痛くなり始める。夫を起こす。4-6分おきできてるが、余裕。痛くても動けるし会話できるがなんとなくいつもと違う予感あり。痛みが遠のかないか確認するため様子を見る。本格的になる前に、と思い朝ごはんトーストを3枚ほど食べる。 

8:23 病院に電話。1時間程度継続して4-6分おきの張りがあると伝えたところ病院来てくださいとのこと。準備し始める。キャリーケースに直前に入れるものリストを冷蔵庫に貼っていたので夫が詰めて気がつくと詰めてくれていた。病院に電話後、陣痛タクシーにも夫が電話してくれていた。

8:45 陣痛タクシーに乗る。タクシー運転手は許可も取らず気がついたら高速に乗られていた。笑 JCTの降り口の遠心力で振動で2-3分おきになる。

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9:00 過ぎ病院着。土曜日だったので夜間休日受付にて受付を済ます。受付で陣痛くるもはあはあ言いながらまだひとりで立っていられる。病棟まで休み休み歩いていく。

病棟に着いて尿検査、血圧、体温測定。夫は待合室で待機。
NSTモニターを30分ほど巻かれる。4-6分おきにはっているのがモニター上でも分かる。まだ声を出さずにふーふーしていられるくらいの痛み。へちまも元気。モニター終了後に内診して子宮口1cm。頸管はふわふわとのこと。児頭はst-3だが触れるとのことで前回健診時より頭は少し下がっているとのこと。まだ進まなさそうということで夫はここで一度家に帰される。(分娩時のみ立ち会い可能な施設でした)

10:20 助産師さんと相談して今のうちにお風呂入ったらどうか、と勧められる。夫にお風呂今のうちに入るねとLINEをする。子宮口の開きのわりに陣痛が頻繁で辛いだろうということで、今のうちに入れるなら入っておこうと思いぬるめの湯船につかる。30分経ったら様子見にきますね、と言われる。浸かっているあいだにどんどん痛みが増している。浴槽の中でよつんばいみたいな姿勢にならないときつくなってくる。

10:50 助産師さん浴室に様子を見に来る。まだ辛うじて会話できる。とりあえず四つん這いじゃないときついけど頃合い見てお風呂出ます、と言う。助産師さんが去った後にどんどん痛みが強くなり、声を出して逃さないと無理になる。このままだとお風呂から出られなくなる、と思い陣痛の合間に浴槽から出るも2-3分おきに痛いので脱衣所で全裸でよつんばいになって這いつくばりながら着替える笑。

11:15頃? 着替えてからなんとか病棟の廊下をひとりで歩いてるところを担当の助産師さんに見つけられ、顔色がだいぶ変わっていることに驚かれる。部屋に戻り、とりあえずベッドで横になりたいと伝えるも声を出さないと力が入り始める。ああこれが助産師の時に聞いていた声だと、自分のいきみのがしの声を聞いて思う。おしりのほうに力が徐々に入りそうになり、助産師さんにおさえてもらうとラクになる。

11:43 夫にLINEで順調と連絡。内診され、この時点で子宮口6センチの大進歩。

11:52 助産師さんに「旦那さん呼んじゃいましょうかね」と言われて夫に来院の電話する。陣痛の合間に「もう来ていいって」とだけしか言えなかった気がする。そのあともいきみそうになるも、夫が来るまではまだいきむのダメだ!と思って必死にいきみを逃すも時々力が入り始めて少しいきんでたように思う。

12:30頃 夫が病院に到着する。安心した気もするが、眠たいのと痛いのであんまり覚えていない。いきんでもう大丈夫だ!と思ったのだけ覚えている。陣痛が来るたびに声をあげているから、最初は夫がビビってたように思ったけれど、お構いなく声を出してたというか出さずにいられなかった。分娩室に持ってきたハンディ扇風機が役に立つが電池が切れ、夫にうちわであおいでもらう。分娩室は生まれくるベビーのために暑めの設定の部屋なのと、マスクもしてなきゃいけないのであおいでもらうだけでも随分と違って助かった。夫が手を握ろうとしてくるのも、いきみがのがしずらくて拒否した気がする笑。

このあとは時計をみていないので時間経過がわからないのでつらつらと。

おそらくいきみがのがせなくなってきたタイミングで助産師さんが「力が入るならいきんでも大丈夫ですよ」と言われたので、子宮の入り口が全開大したと思う。最初は仰臥位(あおむけ)の姿勢で何度かいきむも、3時から起床しているのもあり、また妊娠中途中まで低置胎盤だったこともあり散歩以外安静にしていたので運動量が少なく体力が落ちていて進まず。そのあと助産師さんの指示で四つん這いになるもいきみにくく、座る姿勢になってみたりして最終的には仰臥位に戻り手の位置を色々変えていきみやすい姿勢を整えていった。おそらく全開してから児の娩出まで時間が長かった方だと思う(実際の全開大時刻がわからないのでなんともいえないが)。これはその後の出血量にも影響を及ぼす内容なので、この時間が長かったこともあり出血量が増えたと思われる。

いきみやすい姿勢になってからは、何度か「あと何回で生まれますか?」「いきむ方向あってますか?」と陣痛間欠時(陣痛と陣痛の間の時間)にめちゃくちゃ質問していた。助産師さんが進行状況の声かけをあまりしてくれなかったり、自分の力の入れ方についてフィードバックをしてくれないタイプだったので自分からいろいろと聞いてしまった。お産の進行状況を伝える重要性をここで身に染みて感じていた。

いきみやすい姿勢になってから、陣痛間欠時にはウトウトと寝落ちできてからだを休めることができて、本当に痛くない時間があるんだ、とちょっと感動すらしていた。そうこうしているうちに何度目かのいきんだタイミングで自然破水。ぬるりと生暖かい水が自分のおしりの下に敷かれたシーツを通じてあふれていた。そこからは陣痛が強まって陣痛の間隔も短くなったように思う。これも勉強したことをそのまま体感して、「あ、ここからもうすぐ生まれるかも」と心の準備をしていた。

そこからは目を閉じて、とにかく骨盤のなかでの狭い産道を通ってくるへちまのことを想像しながらいきんでいた。股に挟まっているときに、直接手で頭を触らせてもらったけれど、頭かどうかはよくわからなかった。へちまの心音は陣痛中ずっとモニターでひろわれているのだが、産道の一番狭いところを通ってもほぼ心音は落ちず元気でいてくれた。2度ほど心音が下がったが、酸素投与と間欠時の深呼吸で乗り切った。妊娠中、陣痛の怖さに怯えていたがもう怖くはなかった。どちらかというと会陰が裂けることのほうが怖かった。

産道の最後、赤子の一番大きな部分が会陰を通り抜けた後は呼吸法をいきまずに吐き出す方法に変更するのだが、これももうお股が限界そうなところで「まだいきんでていいですか?!」と聞いて本当にうるさい人だったと思う笑。最後の最後、一番赤子の頭の一番おおきなところが通りぬける時プツッとすこし切れた感じがして「痛ァ!」と叫んだら「呼吸もう吐きだしていいですよ〜」と言われて、吐き出す呼吸法に。もう肩出るからね、もう一回少しいきんでと言われ少しいきむ。このときまで目をつむっていて、助産師さんに「もう会えますよ!目開けて下みて!!」と言われてハッっとしたときにはへちまがこの世の空間の照明を浴びて、そこにいた。

15:09 誕生。

すぐにおぎゃっ、おぎゃっと産声をあげていた。

「うわ〜元気だ、、、よかった…」

なによりも安堵の気持ちが一番最初だった。そして次に抱いた感情は「自分の内側から全く別の人生を歩むおもしろい生物を産み出した」だった。感極まって泣くのかと思っていたけれど、それよりも今後の人生の重みが増したことの実感のほうが強かった。生まれた後は夫のほうが泣きそうになっていてその顔をみて笑ってしまったくらいだ。へちまは元気だったのでSpO2モニターをつけてもらいながらカンガルーケアをするため胸の上に助産師さんがおいてくれた。とても重みがあり、生命力があり、あたたかくて羊水の匂いがした。

赤子が生まれた後は胎盤が出るのだが、その前にどばどばとまた生ぬるいものを感じた。どうやら出血したらしい。結構な量がしたたり落ちたようで、分娩台の下が血まみれになっていたよう(後で夫に聞いた)。胎盤を出す時に卵膜を残さずにきれいに娩出させるのが助産師の腕の見せ所でもあるわけだが、私の場合卵膜の一部がうまくはがれず子宮内に少し残ったらしい。最後に医師の内診で手首まで子宮内に入れられ卵膜残存の確認をされたときがめちゃくちゃ痛かった。卵膜が残存することで子宮復古の妨げとなりやすいので、子宮収縮剤の投与も始まり子宮底のマッサージもされて後陣痛が強くなった。産後の出血量は基本的に分娩後2時間までの出血量を計測するのだがそこまでで800ml超え、分娩後3時間までいくとトータル1L以上自分のからだから出血していた。意識はあったが血圧は結構下がっていたらしい。出産とは何があるかわからないから恐ろしい。

結局会陰は切開ははいらず、裂傷は外側はなく内側を2針だけで済んだ。そのため産後2時間で部屋に戻るときも円座なしで車椅子移動できた(出血量が多かったので転倒の危険から車椅子で移動だった)。これは産後の回復的にもうれしかった。ただ、産後2時間後にベッドから車椅子に移動するときはさすがに体を起こしただけで息苦しく、出血量の多さからくるからだへの負担の大きさを物語っていた。

陣痛から産後2時間までが分娩時間とされている、その時間は8時間32分だった。わたしとへちまのはじめての共同作業のドラマだった。

出産後2時間までは家族で過ごすことができ、コロナ禍でも立ち会いができたのはその後の生活に大きく影響を与えているように思う。病院にも、なにより立ち会い当日までコロナに罹らずに仕事をほぼリモートにして人との接触を最小限にしてくれた夫にも感謝しきれない。

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出産レポなので産後2時間はここまで。気がつけばもう新生児期も終わり、1ヶ月が経とうとしている。いろいろ大変なことの方が多くストレスばかりだが、とにかくへちまが日々あたりまえのように息をして元気でいてくれることは尊いことだと感じている。