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この世の不思議なこと

こんにちは。ねむい人です。

今日は私が納得できない・受け入れがたい・理解できないことについて愚痴ろうと思います。

・異常なまでの年功序列制度
・苦労は買ってでもしろという無駄の強制
・耐え忍んだ人は報われるという幻想
・努力の仕方と評価の仕方
・言われなくても分かるよね?の圧力の強さ
・殺人未遂、暴力をいじめという言葉への置き換え
・女だから強制されること、女のくせにと信じてもらえないことの多さ

たくさんありますね。
全て私の実体験から基づきますので「俺の周りでは見たことない、聞いたことない→大袈裟なのでは?」勢の想像力が微塵もない方とお話しすることないので、帰ってください。


なぜ初手からここまで喧嘩腰なのかと言うと、特に1番最後に関しては「聞いたことないけど?俺に説明してみてよ。」な態度の人が多すぎて正直疲れるからです。
説明されたところで分かろうともしないくせに、「いいから俺に分かるように説明してみろよ、嘘じゃなければな(笑)」な人が多すぎてかなり辟易しています。
自分が同じ目に遭わない限り「嘘松〜!」と指差すことしかできない脳みそ停止人間は近寄らないようお願い申し上げます。

さてミソジニーの方への恨み言はここまでにして、まずは1つ目から。

・異常なまでの年功序列

これは社会人になる前に、相当しごかれた上で思うことです。はっきり言って異常です。上の人が何が何でも偉くて、下は従事する構図、どう考えても異常です。
その結果が先輩⇄後輩の関係を利用したパワハラやイジメがあちらこちらで起きるのですね。
どんなに「は!?その理由でこんな扱い受けるのは幾らなんでもおかしいだろ!」となっても文句の一つも言えません、上の人は偉いので。指導してくださりありがとうございます、不甲斐なくて申し訳ありませんでした。と言わざるを得ないの、どう考えてもおかしいですよね〜。

ちなみに私が「は???なんで私がそこまでやらなあかんの?」と3日間考えても分からなかった事例は「先輩より早く来て、部室の鍵を開けて電気をつけておく」でした。
車で悠々と登校してくる先輩よりも、先に部室に着いてなければ謝らなければなりませんでした。こちとら片道8キロ自転車で必死に登校してるのに、7時に着いても車で先に来た先輩に「私がやるべき仕事をさせてしまい、申し訳ありませんでした」と謝っていました。意味がわかりませんね。先に来たならお前がやれよです。毎朝5時に起きて準備しなくちゃいけなかったんか?


・苦労は買ってでもしろという無駄の強制

これは時と場合と内容次第によると思いますが、特に人間関係のいざこざの苦労は絶対に買うべきではありません。
意地の悪い人の上手いかわし方なんぞ、親に聞けばいいんです。自分が何か悪くてそのいざこざを招いているのなら、第三者の視点で話をしてくれるはずです。
10数人対自分、と言ったような誰も助けてくれないのが当たり前の苦労をした結果、鬱を発症した私が言うので間違いありません。かなり無駄ですので今すぐ返品してください。
ボイレコやカメラを用意して訴えるぞコラと逆に痛い目見してやってください、そこまでしないと人は変わりません。


・耐え忍んだ人は報われるという幻想

ちょっと2つ目と似ていますが、3つ目はこちらです。
我慢は美徳、と言う国民性とまで言われる「我慢」は何も報われません。私たちの頑張りや努力を陰ながら見てくれている人は意外と居ます。「見てるよ」と言われなくても、意外と居ます。
ですが、基本は報われません。その人が地位がある人なら鶴の一声で状況が改善するかもしれませんが、大抵はそんなことないです。我慢した分だけ自分の数が増えていきます。

私の場合、先輩と先生に殴られ蹴られ無視され泣かされ…の3年間を送っていたので、最後まで我慢をしていましたが今でも夢に出てきたり、突然フラッシュバックしたりして苦しんでいます。
相手は何事もなく過ごしていますし、特に何か報われたか?と聞かれても即答で「いいえ」です。一定以上の我慢は毒です。今すぐ辞めてください。


・努力の仕方と評価の仕方

これも賛否両論というか、意見が分かれるところですね。
努力の過程を評価するのか、結果だけを評価するのか…特にスポーツでよく聞く話ですね。


私は幼稚園〜高校までずっとあるスポーツを習い続けていました。歴だけ見ると13年間ひたむきに続けていたので、「すごい!」と言われることが多いですが実情は全然すごくないです。
そもそも私は才能やセンスは皆無でした。これはある程度強豪校と試合を行った上での冷静な判断です。上には上がいるの言葉の意味を痛感しましたし、そういう「天才」の部類の人たちと肩を並べるどころか、足元に縋り付くために毎日青あざを作りながら練習していました。そうでもしないと私は平凡レベルでした。
ですが教えてくる先生は天才の部類に余裕で入る人なので、結果が全てでした。どんなに惜しいという試合をしても、結果負けたら「お前の努力なんてそんなもの、してるつもりでしてない。だから負けたんだ」と毎回泣くまで言われてました。

これはかなり正しいですが、やっていた本人からすると「じゃあもうこれ以上何をしろと?出来る限りのことはしたし、言われたことも全部やってきてそんな言われ方をするなら私の努力は意味もなく、やってもやらなくても結果変わらないなら、こんなにきつい練習なんてやらなくていいのでは?」となります。
当然ですね。過程は一切褒められず、認められず、結果が現れずさらに否定され続ければ、段々と捻くれていくと思います。
今でも先生が吐き捨てた言葉に対して思います。
吐くまでご飯を食べて、プロテインを飲み、筋トレに励み、学校行事欠席してまで部活を優先し、何もかもを捨てて専念した3年間はあなたの言う通り無駄で、してるつもりの意味のない努力だったのなら、最初からやらなくて良かったのでは?と…。
仮にも「教師」なら、教え子のその後を左右する言葉の投げ方をもう少し気にかけて欲しいですね。


思ったより長くなってしまったので、今回はここまでにしておきます。
続きは後半で。今日も寒いのであったかくしてください。
私は絶賛猫に湯たんぽ代わりにされています。太ももだけ異様にあったかいです。







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