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日記 0902-0912




9/2 土

高校生ぶりに母とミスドへ行った。昔はさあ、ピングーの手帳とか集めたよね、とか話してとても懐かしい、ピングー好きだった!
そういうおまけ、もう無いの悲しいな。

齧られたさつまいもド





9/3 日

日曜日の朝のワイドショーはジャニーズのこと、バスケのこと、大麻のことを言っている。

夕方から&teamファンミーティングへ。同日、別の大きなイベントも開催されていて、いろんな案内パネルが至る所にあり、還暦越えの母とおろおろと歩き回った。結局スタッフの方に道聞いて、なんとか会場に着けた。

終演。

生で見れるのってやっぱりいいな〜いいな〜、微笑ましさとか、高揚感とか、その空間に漂う空気そのものを肌で感じて、母と、みんなと、共有できるというのがとても嬉しい、楽しい。近くのフードコートで、あれが良かった、あの時の〇〇はあーでこーで、とか言いながら、ビビンパ食べて、さよならした。



9/5 火

昼、顔も髪型も服も全部違うのになぜか見分けのつかないママさん軍団をみた。総じて育ちが良さそうで、明るい。


地震が来て、どきりとする。強くなるな、止まれ、止まれ、と念じてたら止まった。安心して、唐揚げの残りを食べてたら、近くにいた女子高生が唐突に「あ〜好きな人ほしい〜」と叫んだ。地震の後で、どきどきしていたから、そのあっけらかんとした感じに拍子抜けしてしまって、笑ってしまった。そうなんだよな、こわいことも不安も、過ぎ去ってしまえば好きな人は欲しいし、腹は減るのだ。



読み終わった『オープンシティ』


ニューヨークの街を縫うように、彼の思考は緩やかな蛇行を続け、その足跡を私も追いかける。そうして行き着いた先は、彼の子どもの頃の記憶の中だったりするから、いつの間に?と不思議な気持になる。そういう文章の流れ方だったので、エッセイにしては没入しすぎる世界があったし、小説にしてはあまりに地に足がついていて、ジャンルレスで新感覚だ〜

私は幸福感というものがいかに儚く、幸福感の根拠がいかに脆いか気がついた。


当たり前すぎて、言葉にもしてこなかったような気持、けれどもそうだよなあ、とじんわり染み込んでくるような類の言葉に出会うたび、書き留め、付箋を貼りながら、読み進めた読書だった。




9/6 水

眩い青春と信念あふれる物語を過剰摂取してしまったっぽい、と日付を跨ぐ寸前にいそいそと浴び始めたシャワー中に思う。あれらには敵わない、と思ってしまったが最後、ネガティブな感情がとまらない、どうしよう。なんかでも、こういうの、既視感というか、デジャヴというか、だったので自分で自分を褒めたりなんかして、深夜の鬱モードをなんとか乗り切った。




9/9 土

WIND PARADEという音楽フェスへ行った。少し寝坊し、8時頃出発。すこし雨が降ってたけど、急いでいたので、構わず自転車で駅までいく。湿気で髪が変にはねてしまったし、左目はなぜかちょっと腫れている。

2回目、夏の恒例行事としたい


特急電車の中ではcero聴きながらナルトを読んだ。11時前、西武秩父着。晴れている、というか曇っている。雨、このまま降らないといいな〜と思いながら会場行きのシャトルバスに乗った。

開演!
cero→ハナレグミ→GEZAN→fishmans

特にGEZANが最高〜だった〜

もうこれからこんな風に思えることってないかもしれないなと、赤を纏った彼らを見て思う。こんな風にというのはどんな風に?とこれを書いてる今思ってるのだけど、その時の気持を言葉にしようとしてもやっぱりできない、けれど泣きそうになったことだけは覚えている。

マヒトさんが今日は風の祭りですからねと言っていたけど、あとから思い返せばあの体験は正しく風だった。風が吹いて、なにかを運んでくれたのだけど、いまはその過ぎ去ってしまったうつくしいものを見ているだけだ。




9/12 火


音楽を適当にシャッフルで流していて、この曲なんだっけとスマホを見たらMen I Trustの『Lifelong Song』だった。

人生は長いのか短いのかどっちだろう。

うーん、どっちも思う。生活。皿洗うとか洗濯とか、いつまでこれ続けなきゃいけないんだろうってぼんやり思うことはよくあって、でもその単調な時間の連続の中でだって、着実にいろんなことは変化していて、未来だと思っていた日もいつの間にか昨日になっていたりする。単調な日々を繰り返して、ちょっとずつ変わって、もう9月、12日経ってしまった。



夜に『オープニングナイト』という映画をみた。

う、うつくしい


演じたものが、なりたくない自分であった時の女優の狂気は凄まじかった〜。そうして狂ってゆく中で、だんだんと台詞と本物の言葉の境界はなくなり、女優も、その作品も、新しく生まれ変わっていった。

常日頃、等身大の自分でいたいと思いつつ、どうしたって演じている。本来の自分と、演じている自分の、折り合いのつけ方みたいなものを見たような気がする。


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