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日記 1125-1213


11/25 土

晴れ。昨日よりも10度も寒い。黒のロングコートを着て、マフラーを巻いた。

渋谷のBunkamuraで「ゴーストワールド」をみたよ。ビックカメラの下のBunkamuraに初めて行ったのだけど、予想より大きなスクリーン。

映画、面白かったな。私はビターエンディングが心底好きみたい。(私にとってはビターエンディングだった)イーニド、ガレージセールで断捨離試みるけど、物への愛が深すぎて&他人が嫌いすぎて、売れない物たちがあんなにたくさんあったのに、街を去る時はカバン一つだけだった。大人になると、気持も物も、いつの間にか無くなって、あれどこいっちゃったんだっけ?と思うことが多いけれど、あの子は自分の意思でそれらを捨てていったのだ。大事なものも、そうでないものも。それがもう健気で健気で。強制的に大人にさせられたような不憫さがあった。でもそれこそが青春の終わりであり「何か」の始まりなのかもしれない。そしてふと、これから彼女を待ち受けているであろう現実に、何故か私が怖じけづく。イーニドよ、強く、しなやかであれ…。彼女を乗せたバスがどうかどうか、幸せな場所に連れて行ってくれますようにと願うばかり。



11/26 日

昨日と今日と、呪物コレクターの田中さんの動画を見ている。家賃3万の部屋に所狭しと呪物が置かれていて、よくもまあこんなところに住めるものよ。でも彼にとっては夢の城みたいな部屋なんだろう。呪物にまつわる逸話が面白くて、怖いけど、薄目開けて見てしまう。

外に出ると昨日より寒い。ダウンコートを着る。

ぼんやりした頭でLINEを開いたら、お母さんに恥ずかしい誤LINEしてしまった。すぐさま削除したけど、「見ちゃったけどね😅」て来た。

😅

喫茶店に入って太宰を読む。「正義と微笑」は女生徒の少年版みたい。女の子は疾走感のある痛々しさだったけれど、男の子はもっと内向きな、静かなそれだった。その痛々しさ、可愛い、可愛い、と思いつつ、あ、これ私、と思うところもたくさんある。



12/7 木

熱が出てしまったので仕事を休む。
朝、ぼうとした頭で窓から外を見ると落ち葉が雪みたいに降っている。太陽の位置で、朝だなあ、とか、昼だなあ、とかがわかる。あっという間に夕方になり、夜になる。

お布団の中で「正義と微笑」読了。
思春期の、聡明な男の子の日記。日々いろんなものに心を動かされている。嬉しくて、舞い上がったり、落ち込んだり、死にたくなったり、忙しい。その感情の目まぐるしさが人の心を強く優しくしていくのだろうな。


12/8 金

体調回復したので音楽を聴きながら散歩。いつもと違う風景の中を歩くと、聴き慣れた音楽も違う曲みたい。新しい情報についていけないな。いろんなものがすごい早さで過ぎ去る中で、ふとした瞬間思い出したり、ずっと変わらずその存在を感じられるようなものって尊い。


12/10 日

コートが要らないくらい暖かい。

今日はいろいろ、買った買った。
中川政七商店で軽い、可愛い、洗えるの三拍子揃ったマフラーと、超軽量モバイルバッテリー、ブックオフにて本。荷物が多いので、身につけるものや携帯するものを買う時は、デザイン性や価格と同じくらい軽さを重視している。ネットで買って、重、、となり以後使わなくなるっていう失敗を何度も経験しているので、やっぱり自分で確かめてから買うの大事。

本は最果タヒさんの「もぐ」を買う。最近最果さんに大ハマりしている。スピンの連載もファッジの連載も好き。最果さんの「好き」の解像度の高さにうっとりする。その解像度が上がれば上がるほど、彼女の「好き」の対象がきらきらして見える魔法のことばたち。

NHKでやってた「恋せぬふたり」を見始めた。面白い。恋の行方を追う物語ではなく、恋をしない2人の行方を追う物語。恋をしない2人をみることで、逆にじゃあ恋ってなんなのさと、考えはじめてしまう。


12/13 水

TVerで「この恋を思い出してきっと泣いてしまう」が配信されている!

当時リアタイで見ていたときは、やたら暗いなあという印象のドラマ。細かな内容は覚えていないけれど、最終話が終わって、こんなラブストーリーあっていいの?!と子供ながらに思ったことだけ憶えていて、大人になったいま見終えたらどう感じるのか楽しみ。

第2話。きほちゃん(高畑充希)によると、恋は衣食住の順番でするのだそうな。着飾る恋、食べる恋、住処を求める恋。きほちゃんはいま、食べる恋がしたいらしい。聞いた瞬間、?、食べる恋、、?となったのだけれど、きほちゃんはそれ以上その恋については教えてくれなかった。そのあとベッドに入ってその意味をぐるぐる考えた。そもそも「食べる」意味。私にとってやっぱりそれは生きるためで、生存するために必要な栄養を摂取する、というのが1番の目的なような気がする。だからきほちゃんはいま生きていくための栄養が足りていないのかもしれない。最近ディスカバリーチャンネルで海外のサバイバル動画をよく見てる。身一つで超自然に飛び込んで動物も虫も魚も臆せず食べるという人間を見て感じるのは、生き物を「食べる」ことの凄まじい自己都合感と弱肉強食の世界。そうおもうと「私は練(高良健吾)の優しさにつけ込んでるだけだから」ときほちゃんが練に言った言葉は腑に落ちる。食べる恋は一方的で、どうしたって対等ではないのだな。恋はひとりではできないわけで、つまり人が人と恋をするということは、より良い人間関係を築いた方がいいと思うのだけれど、食べる恋というのはどちらかが食べられ、損なわれる恋愛だ。それでもそんな恋愛のあり方が存在してしまうのは弱肉強食の世界においては自然なことだとも思えてしまうのよ。練、恋愛でも食べられて、勤務先の引っ越し屋さんでも食べられて、食べるところがなくなってしまうよ。人間、可食部がなくなってしまったらどうなるのだろうね?


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