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オシャレマスクと自意識の話

結局、コロナ禍は終わったのか。
終わっていないのか。
どっちなんだい!?

というわけで新型コロナウイルスが私たちに与えた最も身近な変化であるアレについて語ろうと思う。

マスクである。

感染予防対策としてほぼ義務付けられたそれは、品薄になったり高機能になったりと、ここ数年で一番私たちを振り回したものではないだろうか。

なかでも私が特筆したいのは女性を中心に流行った色付きマスク等のいわゆるオシャレマスクである。
ピンクやベージュ、パステルカラーの本体に違った(あるいは同じ)色の紐がついたりしたそれは、
「顔の下半分が隠れていてもオシャレしたい!」という層に大ヒットし、定番化していった。

いやー、その波には乗れなかった。
マスクは衛生用品であり、オシャレにするもんじゃないだろ!という自分の固定観念に負けた。
マスクは白いから清潔感があり、白いからどんな服にも合うんじゃよ!……とまるで白ブリーフにこだわるイマジナリーおじいちゃんのように純潔を貫いてしまっていた。

と同時に、オシャレマスクへの憧れのようなものもたしかにあった。
なんとなく美容に気を使っているような感じ出してます!出します!と、てらいなくオシャレマスクをしているお姉さん、良いなあ。
コロナ禍という制限された環境を楽しむ強さがある…

コロナ禍も緩んできたある日、多少小綺麗な格好をしなければならないがマスクが必要な会合に向かう途中、マスクを忘れたことに気がついた。
時間がないままコンビニに入り、むんずとつかんだのは7枚入り、ベージュの不織布にボルドーの紐がついたオシャレマスクであった。

遅いオシャマス(オシャレマスク)デビューである。

なんかオシャレに見られたいんかな、気合い入れすぎだと思われないかな、大丈夫かな…と自意識過剰になった。いやマスクは白じゃよ、ブリーフみたいなもんじゃ、はっはっは。うるさい、おじいちゃん、時代は変わったのよ!ブツブツ…

もちろん誰にも何も言及されることはなくその日は終わった。
7枚入りの残りを使っているときも当たり前だけど何も言われることはなかった。

新型コロナウイルスが5類に移行し、マスクをしない者もあらわれ、花粉症シーズンも終わった。
街中でマスクをしている人が少なくなった今日、7枚入りの最後の1枚を着用した。

ビルの窓ガラスに映った自分は、「まあそんな人もいるでしょうね」といったような見た目をしていた。普通の中年女性である。
オシャレでもないし、みすぼらしくもない、一般人である。
マスク一つで素晴らしい、あるいはおぞましい変化があるわけなんか最初っからなかったのである。

「まあそんな人もいるでしょうね」
……。

家に帰った私は、こじれにこじれた自意識とともに、オシャレマスクが入っていた空のパッケージを捨てた。

色々あったけどやっぱり大容量パックの白い不織布マスクがいいよな。おにぎりは塩むすびがええんじゃ。はっはっは。
…と思いつつ、次に私がマスクを忘れたときどういったマスクを買うかは、まだ決めることができないでいる。

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