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人の心が分からん。

人の心が分からん。
別にサイコパスとかではないし、映画で普通に泣く。それなりに人の心はあると思う。
だけど他人の気持ちが分からん。
まあ、他人の心の中は見えないのが当たり前なのだけど。

私は他の人間にも自分と同じような感情が内在しているのだとしっかりと認識するのが遅かった。「他人を思いやろう」「自分がされて嫌な事はしないようにしよう」みたいな、そういう道徳は子どもの頃から理解していたし、別段悪い子という訳でもなかった、と思う。

ただ他人は他人であって、他人にもまた「自己」があるのだと認識出来るようになったのは高校生くらいになってからだったと思う。
中学くらいまで、本当に他人に興味が無かった。

特に未だに分からないのが「人にされて嫌なことはしない」ということなのだが、多分私はされて嫌なことの範囲がそれなりに狭い。というか少しズレているのかもしれない。
自己肯定感の低さ故、それなりの悪口は笑い飛ばせる。それ故に私の言葉は時に他人にとっては悪であるということに気付けない。悪意は無いのに傷付けてしまうということは多分よくある。しかもその事にもなかなか気付かないので私はタチが悪い。反省。
あと私これされたら嬉しいな、が、他人も一緒とは限らないので人間クソムズ。

でも本当に、分からないのだ。他人が。

思いやりが欠如していた。今は少し、他人の思いやりを模倣して、こういう時はこういうことを言うんだな、とか。みんなどうしているんだろう。

中学時代、失恋したときに友達にその話をした。友達は泣いてくれた。私の話を聞いて泣いてくれた。私より彼女は泣いていた。

私は、それが出来なかった。
人の心配が出来なかった。

たとえば誰かが風邪で学校を休んだとき、みんなはその子に「大丈夫?」「心配したよ」って、言うじゃないですか、女の子は特に。
私それが出来なくて。
心配していないわけじゃないけれど、それ、どうして言うんだろうって。
でも自分は言われて嬉しかった気がする、だから言うのか。て感じだった。

まあ、だから友達も少なかった。
中学まではかなりぼっちだったと思うけど、別にそれが苦でも無かった。本を読んでアニメを見て美味しいものが食べられていたから私は幸せだった。その頃はSNSも無かったからね。他人と比べることも少なかった。

今でも友達は少ない方だけど、というかどこから友達なのかよく分からないけど、会ったときに笑ってお話できる人は増えた、と思う。生きた年数と言うのもあるけど、昔の友人に飲みに誘われたり、たまに人と遊びに行くことがあるの、私としては快挙です。というか、好きな人間がすごく増えた。相手が私をどう思っているかは知らないけれど、好きな人がすごく増えた。それだけで少し人間になったなと思う。

とは言え、私は未だに人の心が分からない。
鈍感故に自信を守れて来たことも多いが、それ故に人を傷付けてきたことも多いと思う。
だから、人を知りたい。

どっかに人間のマニュアル置いてないかなー。心理学やれって話ですね。

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