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「正欲」読了。

【朝井リョウの正欲を読んで、素直な感想を述べる。】

言葉のナイフで身体を滅多刺しにされて、心の中をマドラーでぐしゃぐしゃにかき混ぜられた。

この絶望から目を背ける為に、今すぐ眠りの森の美女になりたい。

この本を読んで勇気づけられたのか、傷つけられたのか、分からない。

「こたえ」が無いじゃないか…。

私はこれから、どうやって生きていこうか……。

これらが朝井リョウの正欲を読み終わった直後に抱いた感情だった。

衝撃作と言われる所以が理解出来た。

【正欲と私。】

最近、多様性という言葉に出会う機会が多々あった。様々な界隈で目にする度に、多様性とは何かを自分なりに考えてみて、納得する答えが出たので、多様性を理解しきった気になっていた。

正欲を読み終わった後、一瞬でも多様性を理解した気になっていた自分を呪ってやりたくなった。

それこそ正欲でいう、おめでたい思考ってやつだ。

読了後、Twitterで本の感想のパブリックサーチをしていたのだが、以下のような感想が散見された。「マイノリティの中のマジョリティに染まれない人達がいるなんて想像もしていなかった。これからは、そんな人達の事も気にかけて生きていきたい!」「多様性って罪な言葉だったんだな〜!」「マイノリティの人達は生きるの大変そう。」

正直、直感的に抱いた感想は、私も似ていたのではないか。

でも、これらの感想って、マイノリティにさえ染まれない事を苦しむ属性の登場人物達から、正欲の中で発せられた、「うるせぇ、黙れ。」で刺された対象の言葉を体現したような、ただのおめでたい感想じゃないか…と思ってから、記憶がございません……(笑)

朝井リョウ先生に、答えの無い、残酷な概念の底なし沼に落とされた気分だ。

【私はどこ属性?】

私がこの本を読む前、正欲のあらすじを調べたり、インターネットに転がっていた「生きづらさを感じてる人に是非手に取って貰いたい」という感想を見て買う事を決めたのだが、その時は恐らく、自分がずっと感じていた、マイノリティとしての生きづらさ、それを肯定して欲しくて、購入を決めたのではないかと思っている。
また、この本に救いを求めていたようにも、思う。故に、読む前は自分はマイノリティ側だと思っていたのでは無いだろうか。

……結局、朝井リョウ先生の言葉のナイフでぐさぐさと刺され、この有様なんですけどね……(笑)

救いを求めていたなんて、恥ずかしくて口が裂けても言えません……(笑)

そして、本当にわからない。私の世の中における属性さえも分からないが、自分が登場人物の誰に似てるか、シンパシーを感じたかさえ、まだ上手く言葉にできていない。
それくらい複雑な登場人物達だったし、簡単に、登場人物のあの人に共感したと言えない、という感想が本音です。

【印象に残った文章と私の感想。】

https://a.co/bD7p7YZ

ここ最近、「多様性」を意識する世の中の流れになってきたからか、同棲愛を描いたドラマや映画が多く制作されている。所謂「チェリまほ」と呼ばれる「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」や「きのう何食べた?」のようなドラマや映画の事だ。私はジャニーズが好きなのだが、ジャニーズのタレント2人をカップリングして、キャスティングさせたBLドラマが何本も制作されていて、更に流行りを体感していた。

だが私は、以前から同棲愛を描いたドラマや映画を見ることに抵抗があった。それは同棲愛を描いたドラマや映画を見て楽しむ事が、私がその属性のセクシャリティを持つ方々を搾取してる事と同義なのではないか、という罪悪感を感じていたからだ。1度、この流行りが齎した利点を知る機会があり、この抵抗が解消された事もあったのだが、正欲を読んで、また振り出しに戻った。このブームに対して抵抗を感じる自分なりの意見、そして理屈を持てるように、学び、考え続けていきたい。

https://a.co/gxyCImv


唯一、この場面は気持ちが良くて堪らなかった。
その理由は、私は、異性と恋愛して、結婚して、子どもを持つという、世の中の王道人生レールに乗って生きていくことこそ至高で幸せ、といった洗脳に近い風潮に、疑問や嫌悪感を抱いているからだ。

好きな人と結婚して、エリート職に就いて、1人息子を持って。世間一般的に言う「社会の王道人生レール」「安泰人生」そのものを体現し、傍から見れば世間のいう「幸せ」を手に入れたように見える人間が、マイノリティにさえ染まれないと苦しむ属性の夏月と佳道の2人が、「一体、何で繋がっていると言うのだろうか。」と言ったところ、気持ちが良くて堪らなかった。

またこの場面は、湊かなえの「Nのために」で描かれた「究極の愛は、罪の共有」を彷彿とさせた。


https://a.co/cpQzFqt

冒頭で語られるこの文章、抽象的故、読み始めの頃はしっくりきていなかったのだが、読み終わって、意味を理解した時、衝撃を受けたフレーズだった。朝井リョウ先生は、生きづらさを感じることなく、この社会に自然と馴染んでいる人達のことを、無意識的に明日も生きる前提で生きてる人達と表現していた。私はあまり共感されない死生観を持っているからか、この表現の仕方が好きだと直感的に思ったし、明日当たり前に生きる前提がある人間でいられる為には、「マジョリティ的な欲」を持ってる事、という条件かあるようにも感じた。ここのフレーズに関しては、考察として、単独のnoteを書きたいと思っているので、感想はここまでにしておきたい。

【最後に。】

兎に角、読み終わって素直に感じた正欲の衝撃と、行き場のない感情たちを書き留めておきたくてnoteを書いた。Twitterで感想は調べたが、ブログ等の考察は読まずに、自分の気持ちをダイレクトに書いてみた。これから考察を漁って読む事がとても楽しみだ(笑)

正欲を紹介する文言の1つに、「読む前の自分には戻れない」というフレーズがあった。

本当にその通りだ。

先程、「朝井リョウ先生に、答えの無い、残酷な概念の底なし沼に落とされた気分だ。」と述べたが、この本に出会ってしまった私は、死ぬまでこの沼で、もがき苦しみながら生きていくことになるのだろう。


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