自分に呆れている話。
先月、「ここではたらきたい」と思った、所謂第一志望の会社が、最終面接でだめだった。その結果にたいして、終わった後に足掻いても仕方ないし、次頑張ろうと思っていた。だけど、疲れてしまった。
ずっと家にいて、コロナの問題もあり旅にもいけず、思考が停止しているような状態で。
働いているときの自分は、その仕事にたいしてだったり職場の人にだったり、そしてそれから発生するストレスによって、負のエネルギーが常にわいていた。「早くこんなところやめてやるんだ」「別の環境に行くんだ」ストレスが増すとともに、そうした思いも増え、皮肉だけどストレスのおかげでエネルギーが湧いていた。
何十社と応募して、書類で落とされ、面接で落とされ、求人を見ても今までだったらとにかく応募できていたのに、それが怖くなってしまって。
いまのわたしは、エネルギーをつくりだせていない。
ストレスを逆手に、ここから抜け出すんだ!とエネルギーをつくっていた。でも今はそのストレスは一切なくて、つくりあげたエネルギーがどんどん風船のように萎んでいくような感覚。
意志が弱い。覚悟を決めれない。甘やかされてばっかりな自分。自分を傷つけないように必死な自分。
理想の自分とはかけ離れている姿に絶望し、未来どころか今生きることにも投げやりになってる自分。
そんな自分に呆れる。
このnoteは、いつかの自分が過去の自分は何を考えて過ごしていたのかを思い出せるように書いているんだけど、遠い先の自分が今の自分を見て「よくがんばってたね」と思えれるように過ごせていたらいいなあと思うのだ。
人生100年時代と言われる中で、わたしはまだこの世に生まれて24年しか経っていない。まるで人生のどん底にいるような気がするけども、まだ人生のひよっこだ。完全に完璧に理想通りにうまくいく人生を送れていないけれど、この先の人生は長いし、今の現状だけが全てだと思うんじゃなくて、今のこの経験も全部いつかのためだと信じてる。
悲しいし、悔しいし、辛いし、虚しいし、寂しいし、しんどいし、生きるのがいやになるけど、24歳の今、そんな感情を一気に経験して、自分に腹が立って呆れて、そんな今は絶対に無駄じゃない。無駄じゃないんだよ、って自分に伝えたい。
自分があと一歩を踏み出せない理由はわかってる。
自分がその理由の解消を求めているのもわかってる。
10年前からずっと、わたしはただ、家族が元どおりになることを願ってる。
昔のようにしょうもないことで家族と笑い合いたいだけなんだとわかってる。
6月までに職を決めるなんて言ったけど、
もうそんな6月になってしまう。
5月が終わってしまう。今月、転職活動ほとんどしてない・・・。はあああ。
離職期間が半年になってしまう。はあ。
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