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ありがとう、クロノトリガー。

中川翔子さんのtweetが、タイムラインに飛び込んできた。クロノトリガーだ。

本ゲームをプレイしたことの無い方にご理解頂くのは無理だろう。青春時代を共に過ごした音楽、スポーツ、本、などなど。画一的に売り出された筈の実物は、当時の感情とねちっこく結びつき、長い歳月によって熟成され、唯一無二の想い出になる。そういうものが、誰しもに、何かしらある。そして、私にとってのその1つが、「クロノトリガー」というわけだ。

毎年、世にたくさんのゲームが登場する。設定、映像、音楽は当時から格段に向上し、リアルタイムで他のプレイヤーと繋がることができる。何と夢のある時代だろうか、と思いながら、私はもう数年ゲームに打ち込んでいない。今は、本を読んだり、お酒を飲んだり、喫茶店にいったりする方が楽しいのだ。だから、この先も「クロノトリガー」を超えるゲームは登場しないだろう。BUMP OF CHICKENのアルバム「orbital period」みたいなものだ。

クロノトリガーの良さは色々ある。当時の私にとって大きかった要素は、大きく以下の3つだ。

・移動の自由度

初代クロノトリガーは、言わずもがなスーパーファミコン用ソフトである。スマホ世代があのゲーム機を見たら、なんと思うのだろうか。ゲーム機本体とテレビをつなぐコードの断線、カセットと本体の接触不良。これを回避するべく、絶妙なコードの角度を検討したり、カセットをフーフー吹いたり、全青少年が日夜模索し続けたに違いない。あのエネルギーを全学生が学問に費やしていれば。そう思えてならない程の熱量だ。

そんなスーパーファミコンの代名詞が、縦横四方向の移動である。コントローラー左側に配置された十字型のキーも、当然それを想定してのことだろう。もちろん、ジャンプ時に斜め移動できるケースはあったが、ドラゴンクエストしかり、ボンバーマンしかり、平地を斜めに移動する試みは、私の記憶には無い。(あったらごめんなさい。)そして、お察しの通り、クロノトリガーは八方向に移動できるのである。この、「斜めの移動」の概念は、当時小学生であった私に衝撃を与えた。真っ直ぐに歩ける道も、わざわざ斜め移動した程だった。

・豊富なエンディング

クロノトリガーの真骨頂は、複数の時代を行き来できる点にある。そして、行為の結果の1つ1つがその後のストーリーに影響し、10以上ものエンディングに分岐されていく。この豊富なエンディングが、全て見たい!と好奇心を掻き立ててくれるのだ。ちなみに、大好きなのは、スクウェア社のスタッフルームのエンディングなのだが、はっきり言って、これはもう無駄の極致である。「容量を持て余したゲーム会社の遊び」を目の当たりにし、幼心に遊び心の大切さを刻み込んでいく。

クロノトリガーには、誰しも一度はやってしまう失敗がある。最初の街で、テレポーテーションシステムを使用しなければならないのだが、何と、この時いきなりラスボスが待つステージに進むこともできるのだ。勝てるわけがないので、はっきり言って時間の無駄である。こうした理不尽を乗り越えて、物事を多面的に見る目が養われる…のかもしれない。

・二度楽しめる遊び心

ゲームをプレイした当初、誰もが思い描く夢がある。「最強の状態」でプレイすることができれば。せっせと敵を倒し、アイテムやお金を集めていく過程から逃避し、描いたその夢を、クロノトリガーは叶えてくれる。それが「つよくてニューゲーム」だ。驚くほど安直で、ゴロも宜しくない。しかし、その効果は絶大だ。言わずもがな、ゲームクリア時の装備と、レベルを継承したまま、あたかも今始めたかのようにゲームをプレイできる。あの頃2人がかりでエックス切り(必殺技みたいなもの)をぶつけ続けた時間も、今は不要だ。主人公の何の変哲も無い一太刀で真っ二つである。裁判所から、敵に見つからないようにコソコソ脱獄する必要はない。また違った視点で、再度ゲームを楽しめるのだ。何十週しても、いつも新しい発見がある。なんて素晴らしいゲームだろう。

・まとめ

私にとって、クロノトリガーは最高のゲームである。ただ、それを誰かに理解してほしいわけではない。一度しかプレイできないこの人生の中で、これほどの感動を与えてくれたクロノトリガーを、今一度心に刻みたい。ただただそれだけである。ありがとう、中川翔子さん。ありがとう、クロノトリガー。

何かのお役に立ちましたなら幸いです。気が向きましたら、一杯の缶コーヒー代を。(let's nemutai 覚まし…!)