賃貸か、購入か。

昨年の秋口から、我が家はこの二者択一に向き合い続けてきた。実際に候補物件数ヵ所に延べ十何回か足を運んだのだが、残念ながら現時点で結論は出ていない。


実は、少し前(といっても、もう一年以上前だが)に転職活動をした。現職に不満は無い。およそ、客観的な市場価値に対する期待とか見栄とか不安とかいった不純(?)な動機であって、「条件が合えば」くらいに考えていた。結局、「何となく良さそうだ」と思っていた企業から内定を頂いたが、辞退した。今も転職サイトに情報こそ登録され続けているが、短くとも2, 3年は現職を続けたい。待遇や業務に対する裁量は勿論、チームメンバーに恵まれた現環境下でこそ実力以上の力を発揮できているのであり、このバランスを崩してまでトライしたい案件など、そうそう無いだろうからだ。

転職活動中の不満(というか、非効率だなと感じた点)の1つに、いわゆる収入の話がある。年収800万円とか1,000万円と大見得をきる求人は少なくない。しかし、年収それ自体の情報価値はどれ程か。肝は、手元で管理・使用可能な金銭(金銭換算の難しい附帯サービス含む)全体が、どのように前後するか、ということではなかろうか。

見た目の年収が増えると、途端に錯覚する。給与の額面上の金額を見て、お金持ち気分になるわけだが、一般論として税負担、扶養といった点でマイナスに働く等、支出も増える。行政サービス、その他の公的な恩恵を享受する際に、所得上限にかかってしまうこともある。私の勤務先の給与は金融機関や外資系企業より劣る。一方、分厚い福利厚生制度を他社に望めのはなかなか難しいようだ。例えば、限りなく自由に物件を選びながら、年100万円程度の家賃補助を所得税の課税対象外で享受できている。健康保険等の仕組みも随分手厚い。年収だけでみれば好条件の求人はたくさんあったけれど、蓋を開ければ苦笑する程の残業時間が加算されていたり、福利厚生制度が無いに等しいものだったりする。可処分所得(利用可能サービス)でみれば、一体どちらに軍配があがるだろう。

対象を適切に対照比較する能力は、数字や論理的思考力の基礎だと思う。投資詐欺に遇ってしまう人は、「被害者」であることを理解しつつ、大切な自分の資本をよくよく考えずに投じてしまう点で軽率だ。物流業界では、例えば外航コンテナ船の運賃更改時、時折意味不明、理由不透明なチャージが導入されていることがある。見た目の運賃を据え置いた結果として、附帯料金の額が運賃それ自体を超えることもある。そして、矛盾を孕んだ運賃体系は、「オールインクルシブ」のような滑稽なロンダリングを経て、いつの間にか本来の姿に戻る。総額と総額の比較、その比較こそが唯一対照的である。血みどろの転職市場において、この部分を透明化してくれるサービスは、固定化された国内人材市場を活性化させるブルーオーシャン足り得ると思うのだが、いかがだろう。後ろ向きな理由がなければ(無い方が少なかろう、という皮肉もあってのことだが)、不要なリスクは取り除いておきたいものではないか。

住宅購入を促す謳い文句に、「掛け捨ての賃貸費用を資産にしましょう。」という趣旨のものがある。事実の何側面かをなぞっているだけに、実に魅力的なフレーズだ。身の丈に合わない賃貸アパートに住まう人に程、脳を揺さぶられるキラーフレーズである。

私は、家賃12万円程の2LDKのアパートに家族3人で暮らしている。本来、悩むこと無く住宅投資に踏み切る支出だろう。ただ先の補助のせいで、自己負担額はわずかに4万円程度だ。90歳まで生きられると仮定して、今から3LDKのマンションを買うのと、3LDKの同じ広さの新築アパートを転々と暮らし(定年後は2LDKに住み替えると仮定)ていく(※)のとで、生じるコスト差は1,000万円程度に過ぎない。武蔵小杉に悲劇をもたらしたあの天災や、突然の転勤、物件瑕疵のリスクや対応コスト等を考えると、家を買う必要があるのか、と思ってしまわなくもない。賃貸は後腐れ無く、とにかく気楽だ。

住宅購入に不安があるわけではない。だが、決め手が無い。されど、「買うとすれば」の期限は何とは無しにある。然したるコストメリットも無い中で、私たち家族は、なぜ、何のために敢えて家を買うのか。家内でもう少し話し合いを深める必要がありそうだ。

結婚相手と、今度は同じ立場でもう一度違う結婚話をしているようでいて、それが妙に可笑しかったりする。



※厳密には、高齢者は賃貸アパートを借りづらくなるので、一生賃貸で暮らしていけるのかは不明…

何かのお役に立ちましたなら幸いです。気が向きましたら、一杯の缶コーヒー代を。(let's nemutai 覚まし…!)