僕は「八方美人」でいようと思う。

恐らく今年最後になるだろう飲み会を、一昨日終えた。例年よりも少しばかり早い「飲み納め」だ。

会社での納会(勤め先では、最終出社日に職場でお酒を呑む習慣がある)を終え、僕は上野駅へと急いだ。途中、寝過ごして数駅先まで行ってしまったことに「やれやれ。」と頭を掻きながら、よろよろと上野駅へ向かった。

年の瀬の上野の街は平成最後の熱気を集めたかのように膨大なエネルギーに満ちていた。旧友との久しぶりの再会を胸に、何とか身体を引き摺り、19:00過ぎ頃、目当ての店に着いた。

僕達も30歳。高校以来の付き合いだから、知り合う前の時間と後の時間はおよそ均衡したことになる。無論、社会人になってから何度か顔を合わせているのだが、あたかも今初めて再会したかのように、堰を切ってどこからともなく会話が流れ込んでくる。当時もしただろう身体検査の話でも、伸び盛りの身長や体重を気にしていた頃には無かった、具体的な五臓六腑の機能数値の話となる。そんな変化が特段、嫌ということもないが、真っ直ぐ前を見据えていた当時が眩しく思い出されることもまた事実だ。

ふと、誰かが「○○(僕)は、八方美人だからな。笑」と笑った。彼の言葉にどのような意図が含まれているか図りかねず、僕は「そんなに美人だと思ったことはないけど。笑」と笑って応じた。すると「そういう所だよ。」と、彼はまた笑って答えた。店内では、同世代くらいの男女が楽しげに夜の宴を楽しんでいた。

「八方美人」とは一般的に良くない意味で使われる言葉だ。Webサービスで検索すれば「だれからも悪く思われないように、要領よく人とつきあってゆく人。」等と出てくる。やや死語になりつつある感もあるのは、おそらく「美人」という二次熟語のせいなのだろう。(「美人」とは一般的に女性を指す言葉だ。)

自分を形容する修飾語に、「要領よく」を使おうなどと考えたことは無い。この先も無いだろう。むしろ、僕は「要領のよくない」側の人間であるはずだ。

僕が要領がよいならば、僕は「浪人」することもなかったろう。先の言葉を放った友人は、現役で某最高難度の私立大学に合格して、当時一足早く大学生活を謳歌していた。僕は勉強というものをどのようにすれば良いか分からず、高校時代の成績は320人中300番目くらいだった。特にスポーツができたわけでもない。

といって定義に戻れば、なるほど「人付き合い」だったか。さりとて。僕には友人と呼べる人は、さほど多くない。むしろ僕は相手の心情を慮らずに、厳しいことを言ってしまう人間だ。大学生の時にゼミ活動で代表をしていたが、容赦ない言動はむしろ「恐い」と恐れられていた(そうだ)。サークル付き合いなども特段無く、要領のよさはやはり無いように思う。

そんなことを巡らせながら、その日何本目になるか知れない瓶ビールをグラスに注いだ。白く広がり、そして消え行く泡沫の中に、尊敬する女性の先輩の顔が浮かんだ。

「○○君(僕)は、ずるいよね。要領が良いと思う。」

とその先輩に言われた。まただ。僕は人のことをあまり尊敬しない人間だが、僕が尊敬する二人の人間から同じように思われていた。当時もまた意図を図りかねず、戸惑いの中、「○○さんほどでは無いですよ。」とぎこちない笑顔で返すのが精一杯だった。

この自他の境界線でモヤモヤと立ち上がるものの正体は何だろうか。店を変え、小さな居酒屋の三階で、他の三人の会話にほとんど混ざらず、僕は考え込んだ。周りのビジネスパーソンの放つ言葉、煙草の煙、血中に溶け込んだエタノールによって、僕の思考は単純化せざるを得ない。今年1年、何があったかな。数秒で終わったかのように圧縮された記憶がふんわり蘇る。

今春。人手不足の中、新入社員があてがわれ、僕はその教育に熱中した。そのことが僕に何かのメリットをもたらすとは思わなかったが、チームの行く先を見据えたときに最も必要なことのように思われた。少ない時間で仕事をこなすために、あらゆる人間とコミュニケーションを図った。以前リカードの比較生産比説に触れたが、僕は「自分の強みを貿易しあえる組織」が最も強い組織だと考えている。そういうチームになるように言動を心がけた。僕は後輩との会話を通して、先輩と会話をした。英語を独学で勉強することは時間の無駄(エネルギーの割りに成果を実感しにくく、モチベーションが続きにくい)だと思っていたので、海外留学に応募し、強制学習の機会を得た。そんなことをしていたら、社内報で数名の社員と共に、社長と対談することになった。そのテーマは、仕事をする時の態度のようなものである。

店内の活況はピークに達し、いよいよ頭の回転も止まりそうである。果たしてそういう表面的なことで良いのだろうか。僕は、ゆっくりと温くなったビールを小さなグラスに注いだ。

「色んな人と飲みに行って○○君(僕)のことを聞いても、悪く言う人が誰も居なかったんだよね。凄いね。」

そういえば、昨年の今ごろそんなことを同じ女性の先輩に言われたっけな。僕は「うちの会社は物好きな人が多いですからね。笑」と茶化したけれど。つまるところはそういうことなのか。

僕は、決して意図して悪口を言わない。間違った行動を厳しく指摘することはあるけれど、行動に基づかない悪口が近寄ってきたら、それを全力で集団の聴覚の範囲外に遠ざけようとする。そんなものは、百害あって一理無いと信じている。これまで指導した何人かの後輩にも「悪口を言わない、噂話をしない、それらを感じたらすぐに立ち去ること。」と口を酸っぱく言ってきた。

それは、悪口や噂話が人を萎縮して、その人の強みの発揮を阻害するからだ。駆け引きとしての恫喝が全体の経済成長にどう影響するか、我々は2年間もの長きにわたり、身をもって実感してきた。もちろん国と国との関係は、より複雑だ。しかし一組織、一対一の人間関係であれば、それらは容易い。僕の八方美人的エッセンスは、恐らくここから来ているのだろう。だから「ずるい」のだ。結果として、要領よく見えるのだ。

それと引き換えに全くスッキリしないのはこの体調だ、やれやれ。友人の一人が、「体調が悪そうだな、そろそろ帰ろうか。」と声をかけてくれた。「おお、ありがとう。」と、僕もようやく返した。僕はやはり、要領が悪い人間だな、と再認識する。

僕たちは、それぞれの電車に乗って帰路に着く。年の瀬の賑わいも、心なしか少し落ち着きを取り戻しつつあるように感じた。あと何年こうして居られるかもしれない。けれど、彼等と出会う度に様々な気付きがある。そんな関係ができるだけ長く続けば良いなと思った。そんな人が増えていくように、少しは彼等のように要領よく行動せねばなるまい。

そのために、僕は八方美人でいようと思った。

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