諦めた先にあるもの。
私は諦めている。
誰かが何かを察して、居心地の良い世界を作ってくれることを諦めている。
心に描く道が、計画に沿って進められる公共事業のように、無機質に舗装されていくことを諦めている。
「宜しくお願いします」という結びの言葉が、こちらの意を汲む一助となることを諦めている。
というより、他者に期待した全ての物事を、同時に諦めている。期待と諦めは、心の中で交わることなく二つの線を描く。
その上で、私は信じている。
その差分を埋める何かが、自分自身の手によって引き起こされ得ることを信じている。
どんな場面でも、もっと良いコミュニケーションのあり方や、物事の進め方があったはずだと信じている。
少なくとも、そのように思考することで、単なる期待以上の結論を分かち合えると信じている。
「期待を裏切られた」と感じる瞬間、その感情は、実のところ私自身に向いている。
単なる依存や慢心を、期待という体の良い言葉で継ぎ接ぎしてしまったことへの後悔である。
私は、諦めに見える冷めた態度が、そのような「依存」からの決別なのだと強く信じている。
私は、自分にできることに集中したい。
できたかどうかは別として、そういう態度でありたいと願う。
それが、建設的な人間関係を築く一歩だと、私は信じている。
何かのお役に立ちましたなら幸いです。気が向きましたら、一杯の缶コーヒー代を。(let's nemutai 覚まし…!)