スキの少ないnoteは落ちこぼれか。(note振り返り)

自粛生活で増える可処分時間


在宅ワークが本格化してから、可処分時間(使える時間)が増えた。

より正確に表現すると、5/10に書いた通り、

・在宅ワークが本格化
・とはいえ、月に2~3回の通勤が必要(罹患リスクあり)
・家の中で 私/妻・子供 で生活エリアを分けている

という事情で、妻のワンオペ育児により、時間が増えたということだ。大半の時間を自室に籠って過ごす日々。散歩とランニングを除けば、一日100歩そこらしか歩かない生活かもしれない。


可処分時間の使い道:note


増えた時間の一部はnote作成に充てている。(他には、英語学習や読書など。)

2018年1月に最初のnoteを書いてから、およそ2年4か月。その間、91本のnoteを書いた。均せば「10日に1つ」というところだ。直近1ヶ月間では、17本のnoteを書いているので、飽き性の自分としてはよく続けているなと思っている。(ムラがあり、書かなくなると再開に半年くらい要する…)


note作成のスタンス


前提として、私は、自分のためにnoteを書いている。書き留めておきたい気づきや考察を、自分に心地いいリズムで書いている。

自分のnoteを読み返すことも多いし、「自分にとって良いnoteだな」と思うことも多い。特別、これが特に上手くかけたな、というものは実際なくて、すべてのnoteに自分なりの捻りがあって、その意図を想い出しながら読んでいくのが面白い。

隠した意図を忘れてしまって、「あれ、なんでこういう表現にしたんだっけ…?」と思い出すこともある。過去の自分との思考の読み合いが、また面白かったりする。


note振り返り:数字のバラツキが面白い


数字にバラツキがあるのも面白い。数字とは、スキとかビューのことだ。数字を目的に書くことはないのだけど、「公開」している以上、そこに何かしらの意識が向くことを否定できる人はいないだろう。自分が取るに足らないと思いこんでいることが、思わぬ価値を持っている可能性だってある。

90本くらい書いていると、note毎の傾向みたいなものがあって、それが面白い。最近では、書いた時点で「こういうテーマだと、まあ大体これくらいになりそうかな」というのが何となく分かるようになってきた。


note振り返り:数字で見るときの2つの指標


自分の中で、「客観的に響くものだったのか否か」の、何となくの基準みたいなものがある。

【基準】
 ① ビューが1,500の時、スキ/ビューの比率が5%以上
 ② スキ/ビューの比率が10%以上

91本の内訳は、ざっとこんな感じだ。

画像1

画像2

note振り返り:スキ/ビューの比率


1つの傾向として、ビューが増えるほど「スキ/ビューの比率」は下がっていく。(大数の法則というか、Twitterのエンゲージみたいなものである。)だから、最近書いたnoteが客観的な評価を得ているのかは、正直分からない。

1つ言えるのは、書き方に関するものや、共感を得やすいテーマは、スキの比率も高くなる。

例えば、「文才の無い私たちの、「文章の"作り方"」のかけら(15,365字くらい)」という適当なタイトルのnoteは、ビューが870なのにスキが160(スキ率18%)という比率の高さで、ちょっと異質な感じである。(「なぜ文章を書くか。何を書いているか。なぜ『公開』するのか。」も近い感じだ。)

書くことへの関心の高さが出ているのだろう。



繰り返すが、これは書いた結果の数字に過ぎず、「だからそういうものを書いていこう」ということではない。


初期のnoteは「おちこぼれ」だったのか


最初に書いた2つのnoteは、スキの比率でいえば1%くらい。91本並べると、書いたnoteの中では、落ちこぼれのようにも見えてしまう。

けれど、少ない読者に向かって、きちんと新しい視点を提供している。まだ多くの人が気づいていない、価値ある視点だと信じている。

テーマの切り取り方によって、noteの潜在的な読み手の数は決まる。広く広まるように書かれるnoteと、極々少数の人に向けて書かれるもの。そこをゴチャゴチャにしてしまうと、誰にも届かなくなってしまう。

数字はそれはそれとして。書きたいこと、残したい文章を、これからも好き勝手に書いていきたい。


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