僕の、スーパースター。

私はあなたの強く光る眼思い出すけれど
もしも逢えたとして喜べないよ
か弱い今日の私では
これでは未だ厭だ


私がイチロー選手に夢中になったのは、人より幾分遅い、もう10年以上前の、大学生の1年生の時だ。

ヒットの記録のような定量的な情報に基づいて振り返れば、当時のイチロー選手は、最終回を見据えた8回裏といったところである。それでも、「50歳、現役。」というとてつもない夢の実現と、大リーグ通算4,257ヒットという壮大な目標の実現可能性を想起させる何かがあった。それは抗えない加齢の前に「あるいは…」という程度のものでもあったのだが、僕のような俄かファンに至るまで、当時、確かに共有されていたように思う。

すでに記載の通り、私は1年間の浪人生活を経て大学に進学した。他人より少し長い受験勉強を「無駄だった」と断じてしまう人もいるかもしれないが、私はそのようには思わない。サンクコストへの未練だ、とも思わない。幸運にも、傍若無人な侍の末裔が僕の学問する気持ちを切ることはついにできなかったわけだ。

振り返れば、高校時代に優秀であった友人ほど、大学に価値を見いだすことに苦労していたように思う。僕が同じ立場でもそうだっただろう。目的のために時間を捧げ、その目的を完遂してしまったとき、途端になすべきこと、向かうべき道の方位磁針を失い、喪失感に襲われるのだ。

私は、元来飽きやすい性分だ。家と大学と居酒屋をぐるぐるとまわる生活。1年間「目的」の2文字を熟成させることで別の目的に少しずつ変質させる工程に成功したものの、この3箇所からいつ「大学」が脱落しても不思議ではない状況だった。陽子と中性子が不釣り合いな原子は、極めて不安定だ。その安定化の、僕にとっての最後の鍵こそ、イチロー選手であった。

2008年当時のイチロー選手は、ウィリー・キーラー選手が気の遠くなるほど前に打ち立てた8年連続200本安打の記録に挑んでいた。当時は、NHK(BS)でマリナーズの試合がたびたび中継されており、授業の無い時間は食い入るように試合を見ていた。結局、その年にも当然のように213本のヒットを積み重ね、翌年新たな金字塔を打ち立てた。

イチロー選手の魅力はなんだろうか。言うまでもなく、日々のルーティンを徹底し、困難と思える結果を出し続けた点にある。その姿勢を毎打席見せつけられ、「良いもの見たし、今日も頑張るか…」と後ろ向きに何とかモチベーションを保つ。それが当時の僕だ。イチロー選手の姿勢に感動し、同時に恥じ入る。恥じ入る資格すら、無いというのに。それはそれは、とてもか弱い尊大な生き物だ。

2005年に完成した「スーパースター」という曲と、「東京事変」というバンドに興味をもったのもこの頃だ。良い曲だな、と思った。「あなた」とは、僕にとってのイチロー選手だな、と思った。とても静かに始まり、己の卑小さを嘆く。当時の僕の気持ちが、この曲に存分に表れていた。ドストエフスキー著『地下室の手記』に自分を投影したり、何だかそういう時期であった。(後に、「僕らの音楽」という番組で、イチロー選手と椎名林檎さんが対談していて、この曲がイチロー選手のために作られたことを知りとても嬉しくなったことを覚えている。)


先日、イチロー選手が現役引退を発表した。

もっと活躍してほしい、と思っていたし、もう引退してほしい、とも思っていた。少なくとも、結果だけ見れば、ここ2, 3年のイチロー選手は圧倒的な選手ではなくなってしまった。

「誰から三振を3つもとったんだ。とっていやがるんだ。」

等と当然のように言える存在ではなくなってしまっていた。そのことが、「引退」の2文字によって、イチロー選手自身も認めるところとなったところが少し寂しくもあった。スーパースターとて、引退するのか。


では、僕は。

僕は、数知れず与えてもらったモチベーションの炎を使って、これから何をするのか。何をなすのか。

30歳という今、日本ではない異国の地で、それを1人じっくり考えられることに感謝したい。イチロー選手からまた1つ、勝手にプレゼントを受け取ってしまった気分である。

椎名林檎さんのように、イチロー選手に向き合う機会など無いだろうが、自分なりの何かと向き合えるように、そういう心を持てるように、スーパースターにここで誓いたい。ありがとう、僕のスーパースター。


明日はあなたを燃やす炎に向き合うこゝろが欲しいよ
もしも逢えたときは誇れる様に
テレビのなかのあなた
私のスーパースター


何かのお役に立ちましたなら幸いです。気が向きましたら、一杯の缶コーヒー代を。(let's nemutai 覚まし…!)