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第一の故郷にさよならを。


「家を売ろうと思います。」


何か月か前、親から突然LINEが来た。異なる県に2つの戸建て住宅を持つ両親。ただでさえ裕福な日本という国で、私はことさら恵まれた環境で育ったと思う。(お金持ちとは言わないが、何不自由なく面倒を見てもらった。)

家を売るのは、今般の不景気のせいではない。単純に不要になったからだ。子供は就職し、自営業を営む母が一人で住んでいたが、その事業も売却してしまって父の住む他県の家に住まう。といって、これまでも週に2~3日はそういう生活だったから、何が変わるわけでもない。家が1つ減る。それだけのことだ。

生まれてから18年間(大学と高校の狭間に、1年間の空白がある…)過ごした故郷。最後に帰ったのは、一体いつだっただろう。少なくとも5年は訪れていない。現地の友人とも、会うのは決まって東京だ。大学時代にも、せいぜい4、5回か。記憶も随分錆びついて朧気だ。


「家の買い手が見つかりました。」

今日またLINEが来た。ソーシャルディスタンス云々と書いてあったが、何も今時期売らなくても。読み進めると、買い手は初老の男性。近くに住む娘の元に引っ越すのだとか。そうか売れたか、それは良かった。家は人が住まわなくなると、途端に痛む。母は、お世辞にも"手入れ好き"とは言えないし、家にとってもこれが良いのだろう。良かった、良かった。

最後に一目見ずにお別れするのもなんだなと思い、といって現地を訪れるわけにもいかず、そそくさとGoogle Mapを開く。少しひびの入ったディスプレイ越しに、早速最寄駅が映る。懐かしい。中学受験から6年(浪人時代を含めると7年…)。毎日のように乗り継いだ電車とバス。早く部活に行きたくて必死だった。

せっかくなので、ストリートビューにする。すると、当時の景色がほとんどそのまま眼前に飛び込んでくる。駅を右折してから潜る木々、世界有数の電機メーカーの工場を左手に見ながら、引込線を越え、なだらかな平地を下り、よく引っかかる信号でストップ。横断歩道を渡り、また少し上る。その先に、私の故郷が確かにあった。真っ白な家は、当時のままだ。家から20秒ほどの大きな公園も、歩いて15分の小学校も、全てそのままだ。懐かしい。

とは言いつつも、よく考えれば、私がこの家の周りを走り回ったのは小学生までだ。それも5年生くらいまで。最後の1年は、食べる間も惜しんで勉強漬けだった。あとの思春期の想い出も、全て隣市のものだ。覚えていないのも無理からぬ、と合点がいった。

それでも。この町が確かに私の土台を形成した。突然蒔かれた種を、枯れないようにそっと見守ってくれた。複雑に分岐した私の、後のあらゆる要素、その何もかもが、元を辿ればこの町に通じる。楽しい想い出ばかりではない、飛び出したくて仕方のなかったこの町に通ずる。そんな町に今こそ帰りたい。しかし、それは叶わぬ願いだ。

私の故郷には名所が少ない。取り立てて特徴のない地域である。けれど、5月には青く可憐な花が咲く。私の記憶がまだ残っていれば、何食わぬ顔でまた来年訪れることにしよう。当時とは、違う家族を連れ立って。何食わぬ顔で2年越しに訪れる、他の旅行客と同じように。

何かのお役に立ちましたなら幸いです。気が向きましたら、一杯の缶コーヒー代を。(let's nemutai 覚まし…!)