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人と向き合う、ということ。

 先日、某化粧品メーカーで美容アドバイザーをしている友人よこさんからLINEで「エステ半額!」のお知らせを受け、なぜだか気持ちが動いたので行ってみることにしました。

 ちなみに私は「人からどう見られるか」ということへの関心が休日の横になってるお父さんくらい低いので、美容にもファッションにも気遣うことはほとんどありません。

 なので、彼女が美容業界に入って約10年目にして、初めて彼女のエステを受けることになったのです。

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 サロンで一通りエステが終わり、最後はよこさんにメイクを施してもらって終了。
 休日の実に優雅なひと時となりました。

 この貴重な時間を通じて、最近の自分の活動と、彼女との大切な思い出が強くリンクしてくる感覚があったのです。

 それは私がセッションの際に最も大切にしている、『人と向き合う』ということでした。

石垣島で迎えた、娘の死

 異動先の石垣島での生活もついに終わりを迎える直前の、2013年2月。

 大学卒業直後からに一緒に暮らしていたフェレットの"ねむ"が9年の短い生涯を閉じました。

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 彼女は「自分の家族を持たない」と決意していた私にとって、一本の娘のような存在でした。

 もう数日前からぐったりして動かなくなっていたものの、人口5万人にも満たない石垣島にはフェレットを診られる獣医師なんていません。

 腹を括り昼夜問わず介助してきたものの、ある日仕事から帰ってケージを見ると、ハンモックには冷たくなりピクリともしないねむの身体が横たわっていました。

 私はケージからねむの亡骸を取り出すと、ぎゅっと抱きかかえ、声を押し殺すようにして一人、ひっそりと泣き続けました。

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 どれだけ時間が経ったのか、もうすっかり暗くなってしまった頃、私は思い立って徒歩30秒の場所に住んでいるよこさんに電話をかけたのです。


私「よこさん、もしよかったら今夜一緒に多田浜に行けないかな」

よこさん「牧さんごめんね。今夜はちょっと難しいな」

私「そっか。分かった、ありがとうね」


 私はねむの亡骸を抱きかかえ、一人近所の多田浜を目指し、家を後にしました。

多田浜にて

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 多田浜は、よこさんも含め職場の仲良しメンバーとBBQをし、星を眺め、また何度かねむと散歩に訪れた場所でした。

 高齢のため那覇には帰れないだろうと以前から踏んでいた私は、ねむを埋める場所として多田浜を選んでいたため、彼女を抱いて迷いなく一直線に多田浜に向かったのです。

 多田浜に入って左に折れ、人がこない場所を目指して歩きました。

 ここは気軽に近所の人たちやカップルがやってくる場所なので、せめて人がやってこない奥に埋葬しようとひたすら歩いたのです。

 全く訪れたこともないような寂しい場所にやってきた私は、木々の下を深く掘り、猫やカラスが掘り返さないくらいの場所に至ってやっと、ねむの亡骸を横たえました。

 しかしすぐには埋めることができず、しばらく穴の横に座り、世界に一人きりになってしまったような心持ちで、月もない暗い海をじいっと眺めていたのです。

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誰もこないはずの場所に、人の足音が

 海を眺める時間がどれだけ続いたか分かりません。

 波もない静かな海の音の中に、ザリザリと珊瑚の砂利を踏む人の足音が聞こえてきたのです。

 人がやってこない場所だと思っていたのに・・こんな場面を誰かに見られてしまうなんて!

 私はねむとの最後の大切な時間を邪魔されてしまうことに落胆しました。

 しかし、お互いの姿を認める距離になり発せられた声は、私のよく知るものだったのです。


「牧さん!!!」

「・・・よこさん?」


 誰もこないはずの海岸の隅っこに現れたのは、「今夜は忙しい」と言って電話を切ったよこさんでした。

 私はあまりの驚きに、何が起こったのか一瞬理解できませんでした。


「なんだか様子がおかしかったから・・・多田浜にきてみたんだけど・・・そっか、ねむちゃんのことだったんだね。」

 私はこの時、確信しました。

 彼女は、私の人生においてかけがえのない人物になるんだろうということを。

 少しだけよこさんと話をした後、よこさんにも一握り珊瑚砂をかけてもらい、ねむとのお別れは終了しました。

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再び、サロンにて

 私たち以外誰もいないサロンでお喋りタイムに興じていた中で、私はふとよこさんにこの時のことを話しました。

「ねえ、よこさん。あの時どうして私を見つけてくれたの?」

「電話の声がただ事じゃないと思ったわけ。本当にあの時は、牧さんのことを考えたんだ。ただ一心に、それだけだった。」

 ここ最近セッションをする中で、最も大切だと感じていること・・・それは、目の前の相手をただ一心に思い、考えること。

 当初の目標を達成し、セッションを終了したとある男性は、こんなことを言ってくれました。

「昔、何度かカウンセリングを受けたことがあるんです。カウンセラーは臨床心理士の資格がある方でした。でも、全然ダメだったんですよね。その人が一生懸命に見ていたのは"目の前の自分"じゃなくて、"解決の方法"だと分かってしまったから。」

苦笑いの男性のイラスト

 私のセッションを受ける方の中には、「自分は一人過去に取り残されてしまっている」と暗い心の奥底で苦しんでいる人が少なくありません。

 もちろん解決のためのセオリーは大切です。

 ただ、私も以前うつ病になった時にカウンセリングを受けたことがありますが、全く心を開くことができませんでした。

 医療機関のカウンセラーなので有資格者であったことは間違いないのですが、それだけではダメなんだ、ということを彼の言葉を聞きながら改めて感じました。


 あの時、広く暗い海岸でたった一人膝を抱える私を見つけてくれたよこさんのように、まずはその人を一心に思い、その人自身に全力で気持ちを傾けること。

 それができなければ、目の前の苦しみにもがいているたった一人に寄り添うことにすら、決してならないのです。


 もしも両親が。

 そのいずれか片方が。

 それがダメなら、学校の先生が。

 又は、身近な大人が。

 傷ついた大人になったとしても、出会う多くの人の中の、たった一人が。

 目の前の人に向き合い、心を砕くことができれば、多くの苦しみはなくなるのになぁ・・・。

 世界の多くの人が幸せになる最も確実な、そして簡単な方法。

 それが、目の前の人に心から向き合うことだと改めて思った、休日の午後でした。

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