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2022.2.16の出来事 人を信じること

人は1人では生きていけないから、誰かと心を通わせてそれぞれがそれぞれを支え、支えられ生きていかなければならない。そこにはどこか義務のようなものが存在していて、心を通わせるためには人を信じなくてはならない部分がある。
無償の愛を注いでくれる人はいても、いつまでもその人に縋ることは出来ず、私だっていつかは誰かに愛を注がなくてはならないのだ、という事実が時々とても嫌で鬱陶しくて怖くなる。
私が愛を注いだところで何になるのだ、私になんのメリットがあるのだという思いがどうしても過り、損得でしか考えられなくなった自分の性格を恨んだ。

これは自慢でもなんでもないのだが、自分は今までお金に困ったことがなかった。というのも、両親はそれぞれ苦労人で、学生の頃からたくさん働き、お金を稼ぎ、授業料を自分で払い、貯金をし、産まれてくる私のために私専用の通帳を作り、貰ったお祝いやお年玉を自分のために使わず貯金してくれていたのだ。
だから、私が欲しいと言ったもののほとんど(例えば文房具や参考書、本、習い事の費用など)は全て払ってくれていたし、絶対いらなくなるよと言われ諦めたものは確かに後々欲しくなくなったので、私は両親の言うことはその通りなんだと信用していた。
通帳は私が18になった年に譲り受けた。もうこれはあなたのものだからと、なんてこともないようにただ通帳を手渡し、引き出し方や貯金の仕方を教えてくれた。責任が一気に自分におしよせてくるようで怖かったし、それまで貯めていたお金を簡単に(ではなかったかもしれないが、普通に)人に手渡していいのだろうかと感じた。いくら血の繋がりがあると言え、どうしてそこまで私を信用しているのかという気持ちがあった。

私は両親と反対に、たとえ血の繋がりがあっても人のしたことを寛大に見れなかったりや許せない部分がある。
先日用事があって渋谷に訪れたとき、大量のパンを買った。私の家はひとつを1人が食べるのではなく、いろんな味をそれぞれシェアして食べる。普段外食はしない家なので、こういう時にしか美味しいものをいろいろ試せないと思って買った。家族は買いすぎだと言いながら、このパンが美味しいとか、このお店は有名だよとか言いながら嬉しそうに食べてくれた。
15日の朝、私が1番食べたかったあんバターのフランスパンを母に食べられてしまった。人数分以上に切ってあったので、1切れは食べたのだが私はもう1切れ食べたかった。言っておかなかった私が悪いし、なくなってしまったものは仕方ないとおもって諦めようと思った。
16日の朝、もう少し食べたかったエトランゼというパンをまた母に食べられてしまった。その事実を知ったとき、何故か本当に悲しくて「私が買ってきたのに」という思いが消えなかった。今回も私は食べたいから残しておいて、とは言っていない。言っていないけれど、それでも食べたいと思って買ったのは私なのに。
母にはそういうところがよくある。人が大切に思っているものを、必要ないと決めつける部分だ。例えば、私は友達からもらったメッセージ付きのお菓子の袋を捨てられず缶に取っておいてあるが、母にとってそれはゴミとしか思えないらしい。ユニクロの無料配布の雑誌とか、映画館にあるパンフレットだとか、そういうもののほとんどが"要らないもの"だと思っている。いろんなものを取っておくことで家に物が大量発生してしまい、いつか引越しをする時大変になるからというのが母の意見だが、私の大切に思うものと母が大切に思うものは違う。以前私が大切にしていた授業で貰った詩を捨てられ、抗議したのに謝らない母のリング手帳をバラバラにして紙ゴミに投げ入れたことがある。幼稚だったと思うけれど、私は本気だった。母が私の取っておいた詩のプリントをただの紙ゴミだと思うなら、私だって母が書いている手帳を紙ゴミだと思うことにしただけだ。
話が逸れたが、つまり母と私の大切なものの基準が違うのだ。普段は意気投合し姉のように思えることもあるのに、この部分だけはどうしても合わない。今回も謝らなかった。だから私は口を聞かないことにした。私はなかなか、こういうところを許せずにいる。

同日、教習所の卒業試験があり、収入証紙購入のため四千円ほど必要だった。最近はカードで支払っていたため紙幣がなく、送ってくれた父にお金をくださいと言った。父はなんで持ってこなかったの、と言いながらも千円を五枚を渡してくれた。私は本当に馬鹿なのだが、貰った五千円を財布にしまわず、すぐに買うからと鞄に入っている教科書の隙間に入れた。そして、私はそのうちの三千円を落とした。教科書を鞄から出す瞬間に。気づいたのは二階にある試験会場にあがった時だった。
試験まで時間が少しあったので急いで一階に戻った。窓口に走り、お金を落としてしまったのですが、と早口で言った。窓口の人は驚いたように、いくら落とされたんですか?といった。三千円です、と答えた私に、近くにいた警察官の人と窓口の人が顔を見合わせて苦笑いした。なんなんだろうと思った。窓口の人は、実は今、二千円落し物で届いたんですと答えた。二千円。千円足りない。あちらの方が届けてくれたんです、と警察官の方が指さす方向を見た。眼鏡をかけた男の子だった。
ああ、と思った。いけない、この思考をすることは良くないことだと理解していた。けれど思わざるを得なかった。だって、ほとんどありえないだろう。三千円落として二千円届けられた。その千円の行方を想像せざるを得なかった。男の子は少し笑ってた。気がしてならなかった。ありがとうございます、と言った私に、警察官は今回はお礼金無しで、と言った。こういうことは初めてだったのでお礼金払うこともあるんだ、と考えたが、無しでということはそういうことなのだろう。窓口の人も、警察官も、私もきっとおなじ思考だったはずだ。けれど疑ってはいけない。二千円を届けてくれたのだから。彼がもし「そうでなかったとしたら」、取り返しがつかない。泣きそうだった。それは私のお金ではなかったからだ。私を信頼して、渡してくれた父のお金だったからだ。毎日働いて捻り出した千円。千円あればなんだって買える。食べられてしまったあんバターとエトランゼの両方を買える。でももうかえってこない。書類を作成して戻ってきたら連絡してもらうようにしたけれど絶対戻ってこない。男の子はそそくさと会場を出ていった。一言言ってやればよかったと後悔している。本当に二千円でしたか、と。その一言で少しは未来が変わっただろうかと思っている。けれど、もう過去は変えられない。
私はいつも私が言わなかったことに後悔している。母に食べられる前に、食べたいから取っておいてと言っておけばよかった。お金を届けてくれた男の子に、その詳細を聞いておけばよかった。
父になくしたことを伝えたとき、父は怒らなかった。むしろ何も言わなかった。あほじゃないの、って言われるかと思ったのに言わなかった。それが余計私を苦しめた。あんバターもエトランゼも千円も私の手から離れていったその日の午後、卒業試験に合格した知らせを受けた。それだけが唯一の救いだった。

血の繋がりのある母のことを信頼し、血の繋がりのない男の子のことも信頼しなければ私は一人になってしまうのに、どうしても信じきれない自分がいる。自分に家族ができた時、本当に相手を信頼して全てを委ねることが出来るだろうか?自分が稼いだお金を子どもに手渡すことが出来るだろうか?そのお金をなくされたら、私は許せるだろうか?私は怖い。1人でいたくないのに1人でいたい。誰かに信じてもらいたいのに、自分が信じることを怖がっている。世の中悪い人が沢山いることは知っているのに、それでも信じてやっていかなくてはならない人生がとても辛い。辛い、という言葉以外出てこない自分の語彙力も嫌になってまた辛くなる。みんなこんな日々をどうやって乗り越えてきたのだろう。
いつまでも誰とも触れたくないから家に閉じこもってこうして泣きながら拙い言葉でnoteを書いている。

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