YouTube動画コメント欄に「2021年になっても聴いてる人ー🙌」って書き込む奴の出現が待たれる2000年代J-POP5選


どうも、鈴木あみのファーストアルバムのケース左端に入っているビーズをハンドメイドのデニム刺繍に用いたいと日夜願う山本マリアです。

鈴木亜美

↑CD買ったときについている透明のビニールを下の部分は捨てて上側を以後、保護袋として再利用するやつやったよね


最近、ソフトスケジュールの合間を縫ってTwitter内をさすらっていたら『2000年代のCDジャケットみたいな画像が撮れた』なる投稿を幾つか発見し、気付けば“00年代イジり”が成立するような時代になっていたことを知り、脳内で海援隊の『思えば遠くへ来たもんだ』がゆっくりと再生されました。

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恐らく、その『2000年代っぽいCDジャケット』とは平成不況を背景とした予算の少なさと当時の画像編集レベルによる、良く言えばシンプルな、悪く言えばアート性に乏しいジャケ写のことを指しているのだろうが、10〜20年の時を経てかように笑い物とされている状況を目の当たりにし、鴨長明の『方丈記』ばりに仏教的無常観を覚えた次第です。

しかし「歴史は繰り返す」という言葉があるように近年、若者の間で『昭和レトロブーム』が発生し、JKの娘っ子らがメロンソーダをスマホカメラに収めたりして日常に彩りを添えているそうです。ということは、あと数十年も経てば“00年代カルチャー”も味が出て『平成レトロブーム』が興り、全国のイケてる中高生男子の間でベッカムヘアーが再流行するかもしれません。

となれば今のうちから2000年代の知られざるJ-POPを先取り(?)しておくべきではないかと『関ジャム』さながらに過去の楽曲をサルベージする特集記事を執筆してみました。

出会い目的で前略プロフィールをやったり、魔法のiらんどでケータイ小説を読んだり、私設サイト「オンエアバトルちっく」で『爆笑オンエアバトル』の再来週以降の出演者をチェックしていた貴方、必見です。


1.「Silent movie」/ サザーランド(2004)

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改めて思い返したくもないが、2000年代の記憶を辿ってみると以下のような不可思議な事象に出くわしたことがなかったか。ラジオなりCDショップでたまたまMr.Childrenのものと思しき楽曲を耳にする機会があり、「へー、ミスチルが新曲出したんだ〜」なんて思ってよくよく聴いていたら歌い方が桜井さんソックリなだけで全然違うアーティストだったなんてことが…。

それはすべて“ミスチルフォロワー”なる者たちの仕業であり、90年代にMr.Childrenに憧れて音楽を始めた青年らが全国各地に出没し、その中で桜井流ボーカリゼーションを自分のモノにした継承者たちが続々とメジャーデビューをしては、我々リスナーの耳を困惑させていたというわけだ。

激しい争いの中でGReeeeNやスキマスイッチ、Aqua Timezは大ヒットを飛ばし、他にもTRIPLANEやsacraなど今でも活動を続けているバンドはいる一方で、今回はとうに解散してはいるもののとりわけ血中ミスチル濃度の高かったサザーランドを紹介しておきたい。

某消費者金融会社のCMソングとしてお茶の間にも浸透していた彼らのメジャーデビューシングルは、友人の死というボーカルの実体験をもとに綴られた歌詞とブルージーなギターが特徴的な涙腺崩壊ナンバー(まぁ俺の場合はアニメ『美味しんぼ』の「トンカツ慕情」を見ても乾いた目をしているぐらい冷酷な男であるため、言うまでもなくノー涙です)

その後も切なげな楽曲を中心に発表するなどして活動を続けるが、バンド自体はこの3年後に惜しくも解散。現在はボーカルの阿部祐也さんがソロで活動されているとのこと。

そして以下の動画冒頭部分でスペースシャワーTVにて放送されていた音楽番組の一部がブチ込まれています。女性タレントのナレーションが2000年代っぽくって胸アツ。「チェキっといっとかないとねっっ(↑)」だそうです。

今でも地上波独立局でこういうノリの音楽番組やってそう


2.「今のままがいい」/ Fanta Zero Coaster(2001)

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2000年代の音楽シーンを語るにあたり、BUMP OF CHICKENの出現は無視できない。オルタナティヴロックを取り入れながらキャッチーで疾走感のあるサウンド、そしてセカイ系の歌詞でサッカー部からオタクまで皆、MDに録音して聴いていたものである。

更にファッション面での影響力もあり、ボーカル藤原氏を意識して目が隠れるぐらい前髪を長くして母ちゃんから「散髪してきなさい!」って怒られる奴が続出したのもこの頃(そんなことあったっけ!?)

そんなある日、筆者が土曜の深夜にTBS系列『COUNT DOWN TV』を見ていると、オープニングでまだ声変わりし切っていない金髪男子が憂いを帯びた表情でアコギを掻き鳴らし、何かを訴えかけるように歌唱するMVが流れてきた…。しかし曲名もバンド名も調べるには至らず、気がつけば20年もの歳月が経過していた。

そして最近、ふとあのときの金髪アコギ少年が脳裏をかすめ、わずかな記憶と情報で調査を開始してみると、その楽曲は当時平均20歳の男らで結成されたスリーピースバンド、ファンタ・ゼロ・コースターの3rdシングル『今のままがいい』なるものと判明。更にYouTubeの公式アカウントまで開設されていた。

MVを鑑賞し記憶と完全に一致。90年代後半から00年代に流行ったセカイ系の歌詞に加え、冒頭でASMRさながらの囁きリリックを取り入れるなど、こだわりが感じられる力作。他の楽曲も聴いてみると本曲以外はご機嫌なミクスチャーロックが多く、かなり完成度が高い。

昨年15年ぶりの再結成を果たし、オリジナルアルバムもリリース。試聴したけどこれがなかなか良い。あとしっかり大人の声になってました。

こんな声変わりしてない人、池谷幸雄以来です


3.「プラネタリウム」/ Baby Boo(2002)

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2000年代初頭、『力の限りゴーゴゴー!!』というバラエティ番組内でアカペラにスポットを当てた「ハモネプ」というワンコーナーが始まり、これが全国の中高生の間で爆発的ブームとなる。特に野郎共がボイスパーカッションを習得しようとする動きが盛んとなり、休み時間になればみんなこぞって教室の後方でブンスカと飛沫を飛ばしていた。

学生時代にモテようとして文化祭のステージでバンド演奏をしようにも楽器代は掛かるし、何より弾けるようになるためにはそれなりの鍛錬が要求される。しかし己の声帯一つで事足りるアカペラは「ちょっと練習すれば俺でも出来るかも…」と思わせる取っつきやすさがあったのか。

時を同じくしてゴスペラーズが現れ、ハモネプからもRAG FAIRやチン☆パラなどがメジャーデビュー。その流れに乗じてかはわからないが、1996年結成のアカペラグループBaby Booが2002年にメジャーデビューし、満を持してリリースされたのが1stシングル『プラネタリウム』

曲冒頭のサビ『星座がわからない〜♪』という歌詞に対し、「頭が悪いだけじゃねぇか」と冷たくツッコミを入れた中学時代の友人T君は今、元気にしているだろうか。

間違いなく火サスでも使われてるって!ここのロケ地!!


4.「ぎゅっと」/ ワカバ(2003)

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近頃はそれほど見かけなくなったが、2000年代といえば駅周辺でゆずや19をカバーするストリートミュージシャンが数多く見受けられた時代でもあった。

今でも新宿駅南口などで路上ライブをする若者はいるが、当時は各停しか停まらないような駅の広場であっても、ギターが不協和音を奏でていようがハーモニーの調和が取れてなかろうがお構いなしに、誰も彼もがあぐらをかいて熱唱していた(だいたい、ゆずの『いつか』をやっていたよね)

それでもコブクロやサスケのようにブレイクを果たすアーティストも当然いて、遊吟やケイタク、平川地一丁目など様々なフォークデュオがメジャーシーンで活躍していたが、今回紹介するのは代々木公園で路上ライブをしていたところをスカウトされたというワカバのメジャー1stシングル『ぎゅっと』

2人組かと思いきや、一人作詞担当のメンバーがいて実際は3人組らしい…(なにそれ、キング・クリムゾンで言うところのピート・シンフィールドみたいなこと…??)

2000年代の女の人ってこういう眉毛してたよね


5.「onetime」/ ハーベスタ(2007)

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名将岡田彰布が指揮をとっているからと一時的にオリックスの応援に熱中していた頃に、日高剛がバッターボックスに向かう際の登場曲として使用していたことから存在を認識。

ハーベスタとは宮古島で活動する音楽ユニットらしくオリックスのかつての春季キャンプ地が宮古島だったため、その繋がりだろうと容易に想像はつくが、日高がこの曲を使うに至った経緯やハーベスタは現在も活動中なのか等、詳しいことは一切不明。

2000年代はケツメイシやHOME MADE 家族、FUNKY MONKEY BABYSらに代表される、レゲエやパンクの要素にポップなメロディを合わせたヒップホップグループがメインストリームで活躍し始めた時期で、眉毛が細い系野球部員とか黒いタンクトップにサンダルを履いた茶髪ロン毛男性など、テストステロン(男性ホルモンの一種)の分泌量が比較的多めの層に強く刺さっていたような印象がある。

筆者が見ていた頃のオリックス日高といえば岡田監督からリード面の不安で正捕手の座を下ろされ、代打起用がメインとなっていた。チャンスの場面でスタジアムDJのコールとともに今曲が流れ、代打で登場する日高を後押しするような歌詞と感動的なメロディが絶妙にマッチしていて、演出効果バツグンでありました。

なんと現在、日高の後輩T-岡田の登場曲として継承されています


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