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離島と郷愁とそれから私。

安藤児珠です。

私、ゴールデンウィーク期間に祖母の実家である
愛媛の離島、興居島に行っておりまして

まぁ正確にはその離島は祖母のお姉様が住んでて
祖母の実家は中島というまた別の島なのですが…

その祖母の故郷で2泊3日の旅に出た話をしようかなと思います。


自分が今住んでる神奈川から稽古終わりに新幹線に乗って家に戻り、すぐに寝て翌朝3時半には車を出して向かうという弾丸旅行もいいとこだというかなりのハードスケジュールの中始まった旅は、片道休憩込みで約10時間ほど。 

途中で母姉と祖母の妹、娘を拾いながら
慣れぬレンタカーのアルファードを運転する父。
別の車で僕の従兄弟とお嫁さんと娘、そして祖母という計2台10人の大所帯。

展望台からみた瀬戸内海
瀬戸内海と瀬戸大橋

途中のパーキングで休憩したりうどんを食べたり瀬戸大橋を渡って壮大な瀬戸内海に見とれたりしながら、
ワクワクが止まらない祖母が道後温泉に入りたいということで行くことに。

道後温泉
坊ちゃん像
別館 椿の湯

道後温泉からちょっと離れた大人のホテル街を抜けて温泉へ。本館は数十分の待ちで入れず、別館の椿の湯に行くことに。

みかん石鹸という稀有なもの、無味無臭の湯に本当に温泉なのかとか失礼なことを思ったりしながら長旅の疲れを癒す。。

そして残る力を振り絞り、離島へ。

船着場
船内

初日夜のご飯を地元スーパーで買いいざ離島へ。本土からは車ごと船に乗ってそのまま出発。

人数分の乗船券を買い向かう。

ひじきの天日干し
家の入り口
酒を片手に歩く砂浜

祖母姉の家に着く。初日はここに泊まらせてもらうことに。
目の前に広がる干されているひじき、地元の人々、合法化されてるのかよく分からない野焼き。
10年前、1度来た時の記憶が呼び起こされる、他所ではある、でもどこか懐かしく、ずっと居たくなるような。。
ここにいるだけでは10年前と変わらないように
見える。

そんな自然の豊かさの中で片手には酒、口元の髭。
自分の感覚とは裏腹に現実は否応なく時間の経過というものを押し付けてくる。
潮の香りが涙を誘うようだと感じた。

野蛮な夜ご飯

夜、買ってきたご飯をダンボールの上に出して食べる。
机もあるのになぜなのだろう…
でもなんか落ち着くし、結局いっぱい食べた。

イイダコの味噌酢和えや地元の海鮮など、色々と美味しかった。

食後、御手洗に行く。

ボットン、しかも座面に座ると壁まで数センチしかない。
壁とにらめっこしながら、踏ん張る。
長旅の疲れと、旅のストレスとは裏腹に快便であった。。

その日は一日目の疲れを癒すべく、直ぐに寝ることに。

いつから掃除してないのか分からないほどに埃と虫の死骸でいっぱいの2階を何とか掃除して布団を広げ、シーツを敷き、毛布をかけて就寝。

夜中に鳴り響いた母姉の血圧測定器の音は今でも忘れない。。

翌朝。

5時半に目覚めた僕は外の散歩に出かけた。
野良猫の写真を撮ったり、朝一に山の向こうから登ってくる太陽に活力を受け取りながら波止場を歩き、海を泳いでいるふぐの群れや大きな魚を眺める。

それから波止場の先で座っていると目の前から大きなオオスズメバチが。

慌てて急いで陸の方へと走っていく。

かなり恐怖を覚えた。

(この朝の散歩の中、スマホを海に水没させ以降
神奈川に戻るまで使えなくなります。)
 
それから朝食を取り、干潮の時間に合わせて海に行く。

引いていく潮
小さなヤドカリ

沖へと逃げていく魚を追いかけたり、フナムシと友達になったり、aikoの歌の『ボーイフレンド』にあるようにテトラポットをよじ登る。

残念ながらてっぺん先から睨んでたのは
ガールフレンドでもなんでもなく
腕白な21歳の髭をこさえたガキだったが…

島うどん 海賊盛り

昼に島うどんを食べた。屋外でパラソルの下で気持ちの良い潮風を浴びながら食べたうどんはコシがよく香川のうどんともまた違った味わいがあった。
うどんを食べていると野良猫が寄ってきてうどんをせがんできた。かわいい。

どうやら猫アレルギーらしい隣のパラソル席の方、前のお客さんがうどんをこぼしたこともあって猫が集っており、羨ましく思いつつも可哀想だった…。

食欲を満たし、祖母姉とこの島に別れを告げ
少し早いが四国へと戻る。

船を待つ時間、童心にかえりブランコに乗ったり、遊具で遊んだり、やけに人懐っこい猫と戯れる。

乗船の時間、行きは車の中からだったから、今日は車から出て船からの景色を楽しもう。

潮風を浴びながら、船はどんどんと進んでいく。
浮いているたくさんのクラゲが船の勢いをうけどんどんと流されていく。
どんどん遠ざかっていく離島、近づいてくる四国。

あの場所に忘れ物はないだろうか?
思い残したことは無いだろうか?

あったら、あったで、また行く口実になるだろう。
いつになるか分からないその日を、もう来るかどうか分からないこの日を胸にぎゅっと抱きしめる。

上陸後、祖母の従兄弟の叔母さんにお世話になる。
地元の人との交流、懐かしい知り合いとの再会。人と人との繋がりを特別なものにするのは時間か距離か…
その両方が合わさって、なにか”特別”ってものがそこにあったように僕は思った。

祖母たちにその特別を楽しんでもらい、駐車場を借りて我々は松山城に登った。

こんな高いところによくこんな立派なものを作ったものだと、お城を見る度に月並みな感想を抱いてしまう。

昔の戦国武将もあの頂きから城下町を眺めていたと思うととても感慨深い。。
天下を取ったぞとでも叫んでしまいたいくらい、圧巻の眺めだった。

松山城

帰り、愛媛ソフトと甘酒(いつもの)を買う。つぶつぶ食感に生姜のの香り、最 & 高。松山城登ってよかったと心の底から思った。

サザエの壷焼き
鯛めし

城から戻って祖母たちを回収し、少し早いが夜ご飯は鯛めしを食べることに

愛媛にはどうやら鯛めしは2種類存在するらしい。
ご飯と一緒に鯛の身をふっくらホクホクに炊き上げる炊き込みご飯の松山鯛めしと、弾力のある鯛の刺し身をご飯に乗せ薬味とピリ辛のタレをかけて食べる宇和島鯛めし

最近では宇和島式がかなり多くなってきていると聞いた。
鯛めしと聞いたらふっくらホクホクの炊き込みご飯のイメージが強かったので、最初にテーブルに置かれた時は驚いた。

口の中が炊き込みご飯になっていたので、少し残念な気持ちがありながら口に運んだが、
温められたご飯により鯛の食感にバリュエーションが増え、ピリ辛のタレと薬味との相性が非常に良く、とても満足のいく味わいだった。

その日の夜はホテルに泊まることになった。

酒を開けて、旅行の思い出を語り合ったり、花札で得点を競い合ったり、従兄弟の娘の子と
スイカゲームなるものをしたりと尽きることなく楽しんだ。

にしても旅行といえば遅寝遅起のものだが、今回の旅はやけに健康的な生活を送っている気がする。
結局その日も日を跨ぐ前に全員就寝した。

最終日、この日は初日と同じく1日かけて地元の愛知へと車で戻る。

朝にホテルのバイキングでひじきやじゃこ天、地元の特産品やみかんジュースなど味わい尽くした。
ご飯のお供がとても多く、白米が進む進むといった感じだった。

しかし時間は待ってくれず、満足に食べる前に
出発の時間が来てしまった。

車に荷物を乗せ、落ち合うパーキングの場所を確認し合い、祖母従兄弟の叔母さんに別れの挨拶を言いに行く。

どうやら、焼き菓子を作ってくれていたらしく、
帰る時にかなりのサイズのカステラと売りに出せるんじゃないかといったレベルのマドレーヌを
持たせてくれた。

地元の、見知らぬ、でも近しい人々との出会いはとても貴重で、忘れられない思い出で…
そんな人々の親切に触れて、繋がって、食べて、思い出と一緒に体の一部になっていく。

持たせてくれたカステラは台湾カステラ顔負けの柔らかさと美味しさだった。
嬉しかった。。

そこから高速に乗って愛知へと帰っていく。

正直ここから先はずっと寝ていて覚えていない。

気がつくと兵庫、京都、滋賀、岐阜といき、愛知についていた。
おおきな渋滞に引っかかることも無く、
19時過ぎには家に戻ってきた。


地元の人々、そこのコミュニティー、優しさに触れ、大自然に触れ、心と体をリフレッシュする。


今日の思い出はずっと忘れないでいよう。
そして、理由なんてなんだっていいから、ふと思い出す日が来たら、また行ってみよう。

その日に見える景色は、今日と変わっているだろうか?
それともやっぱり同じなんだろうか?

その日そこに居る僕は、今日の僕と同じなんだろうか?
それともやっぱり変わってるんだろうか?


そんなことは分かんないけど、最初は11歳、今は21歳、そして次はまた、10年後にここに来よう。

そしたらまた、なにか、新しいと懐かしいと、もしくは未知のなにかが僕を待っているかもしれない。

そう思う素敵な3日間でした。

安藤児珠


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