なんか私、HSPらしいんですけど……

家族でテレビを観ていた時だった。
『HSP』という言葉に遭遇した。
テレビで流れるHSPの解説に、私の頭の中にぐるぐると疑念が浮かぶ。

――――これは、私じゃないか……?

それを口に出すより早く、母が言った。

「これ、なごみじゃない?」

家族に言われるということは、なお、可能性が高いように思える。
すぐに調べようと検索したら、最初の方にヒットするページはアクセス集中で見られず。
考えることは皆同じ。さすがゴールデンの人気番組。

そんなことで、数時間ほど遅れて調べてみた。
いくつかのサイトを巡って、疑念は確信に変わった。

――――私は、HSPらしい。


「Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)」

詳しいことは『HSP』で検索すれば詳しく解説されているので、私なんぞの説明は必要ないかと思う。
ここでグダグダ書いて 間違いがあっても困るので、なおさら省略。

日本語では「繊細さん」と表現されていることが多い印象だ。


自分でも「決して図太くはない」とは思っていた。
が、繊細……せんさい……センサイ……?
片付け下手だし、大雑把だし、根気はないし……
むしろガサツじゃないか?

どうにも納得できない。
できないのに、HSPの特徴は「私の思考や感情をアウトプットしたのか!? 」と思うほど当てはまる。

衝撃だった。

私は繊細だったのか。

情報過多という感覚
人の感情に敏感なこと
色々な予想をして対策を考えておくこと

……ガサツな人の傾向ではないか、うん。
言われてみないと気づかないもんだね……



で、自覚してみると
「あー……そうか、この感覚って……」
「あれは、こういうことだったのね、うん」などなど……
HSPの特徴に裏打ちされていく体験の数々。
認識はしていたけれど、第六感に近すぎて説明できなかった数々のことが、HSPに拾い上げられていくのだ。

私にとって、その最たるものが【引きずられる】感覚だ。私は場の空気や 近しい人の感情に、ありえないほど引きずられてしまう。

場の空気が悲しみに溢れていれば、頭の中の冷静さを置き去りにして涙が流れるし、高揚感に満ちていれば勝手に心拍数が上がる。緊張感に溢れていれば、自分は何の関係もないのに、体が震え、息が詰まる。

足を踏ん張らなければ、高確率で流される。
特に負の感情にあてられやすいので、基本「受信アンテナは最小限」だ。
もともと、「冷静沈着」と「泣かない」がモットーで、HSPに気付く前にもう癖になっていたので、「アンテナ最小限」は勝手に実行されていたも同然ではあるのだが。

子供の頃から感情的に揺さぶってくるものが苦手で、振り回されないように冷静さを追求したし、「泣けば済むと思ってる」と言われたのが不本意で、意地でも泣くものか、と思うようになった。

冷静に事実を受け止めろ、泣くな。
意識のうえにも無意識にも、それは私の行動規範だった。

けれど、この行動規範がHSPとしての感度とケンカしていたのかもしれない。

小学生の頃から時折、精神的に潰れていた。
内心がどうであれ「冷静沈着」「泣くもんか」と踏ん張っていたことが邪魔をして、自分の中に澱のように溜まっていく、小さなストレスに気づけなかった。
気づかないまま溜まって、溜まって、ある日突然、潰れるのだ。
例えるなら、風船の破裂。

具体的には、その日やることをすべて放棄して引きこもる。比喩でもなんでもなく、籠もって部屋から出ない。
困ったことに、小学生のくらいの頃はこれに、家族への「独りにしないで」「無視しないで」が付随していた。
だが、当時はこれがまったく気付かれず、引きこもって泣くことMAX3日。平均1日半ほどしてようやく「だいじょうぶ〜?」と尋ねられ、却って傷つきながら「大丈夫……」と答えて部屋から出てきていた。
当時は余計に傷ついている理由が、私自身にもわからなかったのだが、今になって考えると、引き篭もってから声をかけられるまでのタイムラグが引っかかって
「私は家族に、すぐに気にかける必要はないと思われてるんだ、心配する価値なんかない人間なんだ」
――――そんなふうに思っていた気がする。

私は家族で唯一のHSPだ。
いったい誰に似たのか謎だし、似たとしたら、所謂先祖返りだろうと思われるレベルで、どう組み合わされたら私のような まず間違いのない(どんなテストをやってもそういう結果になる)HSPが出てくるのか不思議でならない。

そんな環境だから、私が簡単に理解されるはずもなかった。
すれ違いにすれ違いを重ね、ここ3年くらいでようやく、感じたことを直截に伝えられるようになったが、私が20年以上、家族にすら気持ちの揺らぎを理解されずに生きてきたことは変わりようがない。

おかげで、まぁヒネくれた。
というか、拗らせた。
内面の部分、いろいろと。

今の自分の病気やら何やら、根底にHSPがあるんじゃないかと思うのはこのあたりだ。

こっちは色々考えてるのに、あっちの反応はイマイチ……とか、向こうがああ言ったからやってるのに、なんでそんな態度!?……とか。
先述の ストレス蓄積による風船の破裂も、泣いて引き篭もってすら理解されないことに悄然となって、諦めるように部屋から出てきていたのだから、なんの解決、解消にもなっていない。
もう限界だったはずなのに、別件で傷ついて出てくる――――これぞ悪循環。

結局のところ、周りがガサツで、私がひとりで必死になっていたのだと思う。
ガサツ、というと印象が悪いか。
言い換えるなら、私の周囲は「ゆるくて鈍かった」のだ、物事にも、言葉にも。
私が気にしたり、気を遣ったりしていることについても、恐ろしく大雑把に把握、認識していて、気に留めていない。
……いや、「恐ろしく大雑把」と感じるのは私が細かいからなんだろうけども。

ここらへんの認識の違いについては、また別の機会に詳しく書くとして(でないとこの記事終わらない)。

私が精神疾患を抱えて通院するようになり、さらにHSPだと家族が認識してもなお、認識の違いによるすれ違いはなくならない。
事細かにあーだこーだと説明して苦情を言えるようになったぶん、大分マシではあるが、結局、大雑把な対応に地味に傷つくところがスタート地点なので、「一応、理解されて2度目がないように気をつけてもらえる」以上の効果はない。ついでにうちの家族の場合、見事に応用が効かないので、類似パターンでいちいちダメージを受ける。

正直、疲れないわけがない。
今は私が色々と苦情を述べるので、向こうも疲れてはいるだろうが…………………いや、疲れてるんだろうか? 急に不安になった。いつもの大雑把さで「あ、じゃあちょっと気をつけるかー」程度だったらどうしよう…………

マズい、ぐるぐるしてきた。
わかっている、たぶん気にしすぎだ。
でもぐるぐるする。
止まらない。

…………こういうのと付き合っていかなければいけないのが、HSPってやつなのかもしれないなぁ…………
と、今、疲れ果ててグダグダの、なのに、眠れそうもない夜に考えている。

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