大人が反省するには、戻るべき分岐点までが遠すぎる
徐々に、年齢に関する話をしたくなくなってきているのを感じます。
といっても、私はまだ46歳ですから、人生の諸先輩からすればハナタレ小増であると笑われてしまうことは承知しています。もちろん、人生まだまだです。
しかし、青春を謳歌し、徐々に大人になっていく娘たちを見ていると、否応なしに自分が老いて行っていることを痛感するものです。
彼女たちは、新しいことを次々と体験し、軽やかに、時に苦しみながらも自分を変えている。そして、どんどん綺麗になっていく。
親として、とても嬉しくなるものです。
その一方で自分を見てみると、年々老化し、確実に衰えていっている。比較されることにより、それを痛切に感じることとなる。
若さを間近でみるということは、ときどきとても残酷です。
そんなことは言っていられない。自分だってまだまだ進歩の余地はある。子供たちのように軽やかに、脱皮するかのごとく変化することはできなくても、今よりももっとマシな自分になることはできる。
そう信じて、日々に向かい合っている。向かい合っていきたい。そう願います。
ですが、どうもうまくいかない。何かが引っかかって、自分を変えるために大胆に舵が切れない。
それが、老化というものだ。
そう言われてしまえばそれまでですが、簡単に納得していては無秩序に老いていくだけです。
自分はなぜ、若者のように大胆に変化することができないのか?
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つくづく感じますが、人生とは積み重ねです。
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