地球上の子供たち全員に選択肢を持ってほしい



私は幸運にも、整った生活環境のもとに生まれることができた。
それを心で認めて、整っていない環境で暮らす人たちに、
未熟な私でもできることがあるはずだと、考えながら生活をする覚悟をした。


数年前から気になっていた「SDGs」
キティーちゃんのYouTubeで初めて目にしてから、ずっと心に引っかかっていた。
近所のコンビニにて、笹谷秀光先生監修のSDGs見るだけノート、という表紙からして可愛らしい本に出会えたので、手に取ってみた。

読み進めるうちに、私の中で1つ、覚悟のようなものが芽生えた。


最も力になりたい気持ちが湧いたのは、生まれた環境が原因で、未来を選ぶことができない子供達がいると言う現実に対してだった。

自分の意思に反して、整っていない環境に生まれ、飢餓や不衛生が原因で生まれて間も無く命を落とす。
教育環境が整っていない、家にお金がないことを理由に、幼い頃から働かざるを得ない。
好意や愛もわからないまま、結婚させられて、将来出会うはずだった運命の人に出会えない。


こういった子供たちの共通点は、本人たちが未来の選択肢を持てないこと、だと考えた。
こんなに苦しいこと、知りたくなかった。直面したくなかった。
自分の人生なのに、否応なしに全てが決められてしまう。
これからの人生における選択を全て自分でできるようにしようと勉強中の私にとっては、胸も目も耳も痛い現実。


このような現実をなんとなくは知っていた。
しかし、整った環境に生まれ、それでもなお、弱音を吐いたり、整っているとは言えない環境に生まれた子供たちに、何もしてあげることができていない無力感から目を背けたくて、ずっと気づかないふりというか、知らないふりをしようとしてきた。


読み進める中で、あるページに目が止まった。
それは、先進国から発展途上国に何かを分け与える挿絵。


私ははっとした。
整った環境に生まれた人が、自分たちの余裕や、富を認めていいんだ。
認めた上で、「助ける」と言う立場をとっていいんだ。

気づかないふりをして、目を逸らされるよりも、水一滴手に入ったほうが途上国のためになるのではないか。
余っているものを、足りないところに渡すのは、上から目線でもなんでもない。
地球に生を受けたものとして、当然のことなのだ。


最近、私の人生の幸せに必要な物を考えていた。
なんとか絞り出した1つに「水」があった。
世界には、衛生的な水を飲むことも、手を洗うことも、トイレを流すこともできない子供達がいる。
美容のために、健康のために、1日2リットル以上飲んだ方がいいと知り、せっせと喜んで飲んでいる自分を、心底恥ずかしいと思った。


しかし、それでも私は1日2リットルの水が飲みたい。
水筒を忘れた日は、自動販売機のお世話になってでも飲みたい。
さらに言うと、私はお風呂が大好きだ。
疲れた日には、湯船をきれいな水で洗い流し、大量のお湯を張って、入浴剤を入れてリラックスしたい。


では、それを奪われたら?
それこそ私は、またメンタル不調になり、何もすることができなくなるだろう。
情けない話だが、仕方がない。

それならば、私の余裕は保持したままで、できることをする方が、しないでいるよりも、力になれるのではないか。
湯船に浸からない日は、1秒でもシャワーを短くするとか、水筒に水を入れすぎないとか、そんなことでも、大勢が実施すれば大きな結果になるだろう。
綺麗事でも、偽善でも、なんでもいいから、私はその大勢の一員になりたい。

この本を読んで、初めて、地球に生きていることを実感できた気がする。
「幸せになる勇気」を読んで知った、共同体感覚。
今私が感じている感覚は、それに近づけているだろうか。

もっともっとSDGsに関して、自分にできることを探していきたい。


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