父の一人暮らし
母が亡くなってからずっと父は一人で住んでいる。「お父さん、どう?ちゃんと食べてる?」と、ほぼ毎日電話してみるが「大丈夫だ、食べてるぞ。」と話す声は特に変わらない。寂しくないように子猫を飼ったり、庭で採れた野菜を食べたりしているらしい。元気そうなので安心していた。当たり前のことなのに、自分の親が老いるなどと思っていなかったのかも知れない。
ところが。
実家に行かなくてはならない用があり、尋ねてみて愕然とした。父は綺麗好きの働き者であったのに、家の中が荒れている。大雑把だった母が適当に畳んでいた新聞を「こうやって少し折り目を合わせたらいいのになぁ。」と綺麗に直していたあの父が今は母以上だ。乱雑に新聞が積まれ斜めになって倒れそうだ。壁にかけられた日めくりの日付もおかしい。几帳面に毎日めくっていたのに。何故か壁に釘を打ったような痕がいくつもある。
愕然としたまま居間の真ん中で立ち尽くしていると「おっ、なんだ、来てたのか。」父がやってきた。振り向くと袖をまくった父の腕が…ひどい傷だらけだった。なんて事だろう。駄洒落の多い楽しい父が自傷行為なんて信じられなかった。やはり一人で暮らすのは精神的に良くないのかも知れない。
「お父さん…やっぱり、うちで一緒に住まない?」涙が出そうになるのを堪えて新聞を直しながら言った。取り返しのつかない事になるのは嫌だった。ところが父は首を横に振る。
「大丈夫だよ。ちゃんとやってるぞ。」笑って言ったが、遠慮しているのだろう。
「ねこもいるしな。ねこは家につくって言うし、あっ!」ソファの向こうで「ウケッ」と聞こえて、父が新聞を一枚ガサッと抜いて走る。新聞の山は崩れた。ソファの向こうをのぞいて見ると、父がサッと敷いた新聞の上に猫が毛玉を吐いていた。
「ねこって、毛繕いしたら吐くんだぞ。トイレは決まったところでやるのに、吐くのはいつも急だから大変なんだ。今日は間に合ったなぁ、ねこ。」どうやら、猫に『ねこ』と名付けたらしい。父は毛玉を吐いた新聞を片付けると、ビリッと日めくりをめくり、クルクルと丸めてボール状にした。「そらっ。」と放り投げる。猫が走って追いかけて行った。
「いつもこうやって遊ぶんだぞ。見てろ。」日めくりボールに追いついた猫は少し前足で遊ぶと、口にくわえて戻ってきた。父の足元に落とす。それをまた父が放ると猫はまた走って追いかけた。「賢いだろ?そのうちどこかに無くしてまたボールを作れって言うんだ。」猫が話す訳がないが、どうやら父とコミュニケーションが取れているらしい。
と言うことは。乱雑な新聞も滅茶苦茶な日めくりも猫のため?
「お父さん、その腕の傷は?」父は笑って腕の傷をさすり「紐で遊んでいたらザックリやられちゃったよ。」と言った。
「あの壁の穴は?」「キャットナントカってねこが登るやつを作ろうとしたんだけどなぁ。下手に作って落ちたら可哀想だから買う事にした。」
父がこんなに猫にハマるとは予想してなかった。まぁ、でも。猫の世話をする事で楽しく生活出来てるならいいのかな。
「猫もいいけど、ちょっと散らかりすぎだよ。」「そうだな。ねこは片付けないからな。」また日めくりボールをくわえてきた猫を見ている父は昔と変わらず優しい笑顔だった。
「また来るね。今度は猫のおやつ持って。」元気そうな父と猫に見送られ少し安心して家路についた。
え!?サポートですか?いただけたなら家を建てたいです。