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浮き玉すくい [2,482文字]

どん、どん、と腹に響くような低い音が聞こえた。
ぽつりぽつりと忘れかけた頃に現れるぼんやりした街灯を頼りに音が聞こえる方へと歩き出す。どうせもう道に迷っているのだ。何の音か確かめに行こう。
車が一台通れるかどうかという細い車道に申し訳程度の狭い歩道。両側はびっしりと木々に覆われているのだから必要無いだろうに大きな街路樹が植えられて歩道が寸断され、その度に車道に降りなくてはならない。車道に降りると枝葉に邪魔されずに浮かぶ白い月と星が見えた。
腹に響く音を少しづつ近くに感じながら坂道を登っていくと左側の木々が切れて視界が開けた。遠くに街灯りが見える。時折吹く風に甘い匂いが混じっている。
何の匂いだろう。
立ち止まって匂いを嗅いでいると右側の木々の間から浴衣に狐の面をつけた親子らしき三人が出てきた。僕に軽く会釈をして歩道を降りて行く。子供の手には水風船と綿飴。そうか、この匂いは綿飴だ。近くで祭りをやっているんだろう。
親子が出てきた木々の間を落ち葉を踏みながら進むと古い石段があった。甘い匂いも濃くなった。祭りはきっとこの上だ。
狭い石段を踏み外さないように足元を見ながら登り、顔を上げると大きな鳥居の向こうに色とりどりの電球と屋台がずらりと並んでいる。入り口には綿飴。透明な入れ物の中を舞うくじ引きの隣には狐の面や耳や尻尾をつけた子供達。腹に響く低い音は法被姿の青年が叩く大太鼓だ。
たこ焼き、クレープ、お好み焼き。祭りなんて何年ぶりだろう。
「お兄さん、こっち、こっち。」
呼ばれて振り向くとお面屋が手招きしている。
「狐の面、買って行きなよ。ここの祭りの名物なんだ。」
一人で歩く男がお面なんて、と愛想笑いだけで通り過ぎようとするとお面屋は腕を掴んで止めた。
「今夜は狐祭りだ。みんな耳や尻尾や面を着けてるだろ。暗黙のルールみたいなもんだよ。安くしてやるからさ、一つ選びな。」
確かに、大人も子供もみんな何かしら狐の物を身に付けている。この土地のルールなら乗っかってみるのも悪くない。お尻に尻尾や頭に狐耳は一人じゃ恥ずかしいのでシンプルな面を選んだ。
「楽しんでおいで。」
と見送られ、頭に狐の面を乗せて歩く。周りも着けているから思ったより恥ずかしくないし、祭り気分も盛り上がって楽しくなってきた。
飴細工、射的、紐引き、浮き玉すくい。
浮き玉すくい?
興味を引かれてのぞいてみると、白い水槽の中を丸いものが浮き沈みしながら流れている。手前の子供が小さな柄杓でひょいとすくい手元の赤いお椀に入れた。
「やった!すくえたよ!」
嬉しそうにすくったそれは丸いガラス玉だ。細いロープで編まれた網がかかっている。確か海で漁師が目印に使うものだが子供がすくったのはピンポン玉くらいの大きさだから飾り物だろう。
浮き玉すくい屋の店主は子供からお椀を受け取ると紐がついた透明の袋に入れた。水を少し入れるとキュッと紐を引く。
「ちゃんと世話してあげてね。」
「うん!」
金魚じゃあるまいし世話だなんて。子供の頃お祭りでよく聞いた「はい、お釣り三百万円。」みたいな冗談に懐かしくなった。浮き玉すくいの屋台は初めて見たし殺風景な僕の部屋に置くのもいい気がした。
水槽の角辺りにしゃがんで一回分のお金を支払うと小さな柄杓と赤いお椀を手渡された。
「みんな違うから、よく見てすくってあげて。」
ゆっくりと流れるガラス玉は網がかかっているもの、無いもの、青いもの、緑色のもの。それぞれ違いがあって面白い。表面もツルツルしているのと波打つようにゆらぐのがある。どれにしようかと見ていると浮き玉の中で何かが動いているのに気がついた。
何だろう。
浮き玉の中に人間がいる。机に向かっている青年、掃除機をかけている女性。一つの玉に一人づつ薄ぼんやりと見える。浮き玉の中にいるというよりは玉の中に映し出されているようだ。じっと見ていると店主が声をかけた。
「お兄さん、浮き玉は初めてかい。」
流れる浮き玉を見ながら頷く。
「中にはそれぞれ孤独が入ってる。初めてなら自分と同じくらいのを選ぶといいよ。」
自分と同じくらいの。年齢だろうか孤独さだろうか。浮き玉には年配の人も幼い子供もいる。僕は柄杓を水に入れると青緑色に光る浮き玉を一つすくった。
店主は僕からお椀を受け取り少し考えてからビニール袋に入れた。
「入れ物は金魚鉢でも何でもいい。とにかく環境を整えて水は綺麗に。息苦しさで酸欠になるから小さいポンプも入れてあげると元気になるよ。」
ビニール袋に少し水を入れて紐を引き僕に差し出す。
「大事に世話してあげて。」
「はい。あの、餌は何をあげたらいいんでしょうか。」
はははっと店主は笑った。
「浮き玉は餌は食べないよ。」
周りにいた子供達も笑った。
「お兄ちゃん、太陽にあててあげるといいってお父さんが言ってたよ。」
「私は音楽を聴かせてあげたらいいって聞いたよ。」
「違うよ。絵本を読んであげるんだよ。」
子供達が僕を囲んで笑いながら話す。たくさんの面や耳や尻尾がぐるぐると回りだして笑い声が増えていく。
どどどん、と太鼓が響いた。

気がつくと僕は古い木のベンチに座っていた。目の前には小山の上へと続く長い石段。蛙と虫の音が聞こえるだけの静かな夜だ。確かこの上には稲荷神社があったっけ、と空を見上げると大きな満月が浮かんでいた。腹に響く太鼓の音も聞こえないし風に乗る甘い匂いもしない。
これは狐に化かされたのかな。
昔話みたいだと頭を掻こうとすると手に硬いものが触れた。頭から外して見ると狐の面だ。その面を持つ手首にはビニール袋がかかっていて中にはガラスの浮き玉が一つ浮いている。
祭りは本当にあったんだ。浮き玉をのぞくと僕は立ち上がり帰ることにした。
浮き玉の中では少年が膝を抱えて座っていた。自分の子供の頃みたいな少年を救えたなら自分も孤独から救われるような気がする。早く帰って綺麗な水に入れてあげよう。ポンプも買わなくちゃ。

今日からは誰もいない部屋じゃなくなると思うと少し楽しい気がした。
月明かりの中、足取り軽く帰る僕の後ろ姿を草に隠れて数匹の狐が見ていた…かどうか僕は知らない。



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