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月の城のオサカベ

重いランプを両手で持ちたいが、片腕にしがみつく妹を振り払うわけにはいかず、我慢した。先を急ぐ。天守塔の屋根裏に棲みついているお化けを、今夜こそ退治するのだ。

月の丘に、ひいおじいちゃんが建てた城。その城の天守塔には城主一家が住んできた。今の城主は僕の父さん。つまり、僕にとって天守塔は守るべき家なのだ。

父さんによると、お化けは新年を祝う宴が終わった夜にだけ、城主とだけ言葉を交わすという。毎年宴が終わると、父さんは天守塔の屋根裏に行くのだ。

「お前たちは屋根裏のお化けに会いに行かないように」と父さんは言う。しかし僕たちは、父さんがお化けに食べられてしまうのではと、気が気でない。

今夜とうとう僕は、お化け退治計画を実行に移す。

「兄ちゃん……けほっ」

「ほら、咳が出た。風邪気味なんだから部屋に戻れよ。お化けは、僕が退治してやる」

「やだ……一緒にいる……こほっ」

ため息を吐いて、螺旋階段を登る。来るな、と何度言っても聞かない。妹は頑固なのだ。



屋根裏は意外と綺麗だった。

しかし真っ暗だ。ランプの灯りだけでは隅の暗闇を照らせない。リュックの中から火かき棒を取り出し、妹を背に隠して、意を決して叫んだ。

「……おっ、お化けめ!いるんだろう!出てこい!退治してやる!」

何も返ってこない。もう一度叫ぼうとした時だった。

「おやおや、勇ましいねぇ。誰かと思ったら、子ネズミちゃんたちだ」

目の前には大きな狐。舌をだらりと出して僕たちを見下ろしていた。叫ぶことも忘れて、尻もちをつく。放心状態の妹を抱きかかえ、目を閉じた。

「おや、私の姿が見えるのだね。おかしいなぁ、私の姿は城主にしか見えないはず。愉快だのう、可愛いのう。はっはっはっ」

拍子抜けするほど穏やかな声に、薄目を開ける。にっこりと笑っている狐のお化けが、僕たちを見ていた。

「き、狐のお化け?」

「お化けではない。私は妖狐ようこのオサカベ。元々は地球で生まれた子狐だ。母狐を亡くした夜、悲しくて満月を追いかけていたんだが、気づいたら月光柱を登っていてね。月の丘に、この城の庭に迷い込んだのよ。弱っていた時、お前の祖父が天守塔の屋根裏で世話してくれた。その礼として、私は天守塔を守る妖狐になったのだ」

妖狐のオサカベは、豪快にあくびをした。悪い奴ではなさそうだ。身体中の力が抜ける。妹が勢いよく立ち上がった。

「地球の狐さんだったのね!月光柱って、ムーンピラーっていう光でしょ?こほっ。時々その光を渡って、地球の生き物が月にくるよね。私、地球の生き物大好き!撫でてもいい?」

「いいぞ。お前はカガヨイ、だね。兄のほうはコウハ、だろう?私もお前たち兄妹に興味津々でね。実は塔の窓から、お前たちをずっと見ていたのだよ」

妹は両手でオサカベの身体を撫で回す。僕はまだ怖くて触れない。

「……カガヨイ、病を患っているね。少し話をしようか。コウハも、よくお聞き」

オサカベは真剣な顔になった。

「病?……カガヨイが?」

こほっ、と妹がまた咳をした。

「カガヨイの肺には悪い病が潜んでいる。これから暴れ出して、命を食い尽くすだろう」

「嘘だ!こんなお転婆が死ぬわけない。もう帰るぞカガヨイ」

妹の腕を引っ張るが、妹は動かない。

「待て。今ならまだ、私の力で治せる。ただし、代償として片目の視力をいただく。無償で治してやりたいが、私も妖怪の摂理に従わねばならない。すまないね」

妹が僕の腕を振り払い、オサカベの鼻先に抱きついた。

「お願い、オサカベ。こほっ、私は生きていたい」

「……カガヨイ……」

「いいのだね?」

「うん。兄ちゃん、オサカベを恨まないで」

何も言えない。かろうじて、頷いた。

「ではさっそく。痛みは無いから、心配ご無用」

オサカベが再び舌を出し、妹の顔を舐めた。……それだけだった。

「え、これだけ?カガヨイ、大丈夫か?」

「うん。前より息が楽」

「左目の視力をいただいたよ。もう咳は出ないはずだ」

僕もオサカベの鼻先に抱きついた。温かい。生きている。





螺旋階段をゆっくり登る。屋根裏には、やはりオサカベがいた。

「今年はこないのかと思ったぞコウハ」

「すまない。年始は色々忙しくてね。春になってしまった」

オサカベの前に正座する。

「母君が亡くなったのだろう?とっくに父君も同じ病で彼岸に。カガヨイは地球の竹林に嫁いでしまったし。城主のお前は独りぼっちか」

「知ってたのか。ちょうど、年明けにね。葬儀の時カガヨイと話した。それで、私は決心したよ。この城は、他家に譲る。私は地球を旅しようと思う」

オサカベは、左目で私をじっと見て、あくびした。

「そう言うだろうと思ってたさ。お前は昔から望遠鏡で地球を見ていたな。地球なんかに憧れて。まったく」

「新天地で誰でもない者に戻って、自由に歩きたいと思ったんだ。やっぱり私は城主には向いていないし。しばらくしたら、新しい城主一家が派遣されてくるだろう。城に残る使用人たちのことも、よろしく頼むぞオサカベ」

「薄情者め」

「そうだな。すまない。……オサカベも来るか?」

「私はここで城を守る。自由、と言ったな。生きていれば、摂理に、条理に縛られる。きっと地球でも変わらないぞ」

「そうだろうね。でも、探し求めることに意味があるのさ。ふふふ、オサカベは本当に優しいな」

「ふん。とっとと行ってしまうがいいさ……カガヨイとお前に幸多からんことを」

「ありがとうオサカベ。君のことは忘れない」

そっぽ向いているオサカベを背に、階段を降りる。やっぱり「さよなら」は言えなかった。




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