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マスカレイドの暇、縁側で

詰めていた息を吐き出す。ピョーロロロという鳥の鳴き声が耳に入ってきた。山奥の小さな工房で、売れない仮面をひたすら彫っている己を思い出した。

ああ、作業に集中しなければ。集中していれば、孤独の辛さと今後の不安を忘れていられる。刃先が丸い彫刻刀に持ち替えて、作業を再開した。

仮面師だった無口な祖父の仕事を継いで、もう10年経った。一昨年亡くなった祖父は、死の間際、私に「辛いなら辞めてもいい」と囁いた。

反対していた両親を押し切って継いだ手前、意地でも祖父のような、祖父を超えるような仮面師になるつもりだった。しかし、継いで数年ほどで、私は不安定な経済状況の不安と孤独感、思うように腕前が上がらない焦燥感に押しつぶされそうになっていた。

隠していたつもりだったけれど、祖父はやはり気付いていたのだ。未熟な私の嘘の仮面は、祖父から見れば仮面に見えなかったのかもしれない。

木くずを息で吹いて飛ばす。様々な方向から、彫った箇所を確認する。よし。良い感じだ。注文通りの、ふくふくした頬。

ほんの時々入ってくる、オーダーメイドの注文の品。大事に、彫らなくては。

実際に着用する仮面よりも、お守りや装飾品としての仮面を注文されるほうが多い。彫り方だけでなく、仕上げ方法も様々だ。金箔や漆で華やかに仕上げることもあれば、木目が映えるように透明なニスだけを塗り、温かみのある仕上がりにすることもある。

今回は、シンプル仕上げの置物としての小さい仮面。近々生まれる孫に贈りたいのだ言っていた依頼主は、山の集落に住む常連さんだ。

「すみません!」

玄関先から声が聞こえた。

「はーい!今行きます!」急いで作務衣に着いた木くずを払う。


「あの、突然すみません。腕のいい仮面師さんがいると集落で伺いまして。私も、仮面を彫るんです。趣味ですが。なので、仮面師さんに興味があって。できれば、作業風景を見学させて頂きたく」

私と同じ、30代前半くらいの男性だった。観光客なのだろう。小さい子供のような瞳の輝きに照らされて、無意識に頷いていた。



「ああ、本当に楽しかったです。ありがとうございました。お忙しい時に突然、お邪魔してしまって申し訳ない」

「いえいえ。見学したいなんて言ってくれるお客さんは、めったにいないので。こちらも、色々お話できて楽しかったです」

工房の中にある仮面を紹介したり、実際に彫る様子を見せたり。メモを取りながら本当に楽しそうに聞いてくれるものだから、途中から時間を忘れて話してしまっていた。

涼しい縁側で冷茶を飲みながら、2人で頭を軽く下げ合う。雄大な自然の景色を見ていると、また口から言葉が出た。

「仮面は、不思議なものです。古代から、世界中に存在してるなんて。目に見えない、偉大な神や霊と一体化するために使われて。現代でも、神楽舞や能には欠かせないものですし」

カランと、グラスの中の氷が鳴る。

「そうですねぇ。目に見えないもの、か。私が仮面に興味を持ったきっかけは、精神的な仮面、ペルソナです。現代人は、霊的なものと離れた個の自分をはっきりさせるために、心の仮面を被る気がします。でも、その大体の目的は、社会に溶け込むため。矛盾してて、面白いと思いませんか。集団と一体化するために、個であろうとするなんて」

「……今まで考えたこともありませんでした。でも、確かに。面白いです」

「ふふ」

嬉しそうに笑ったお客さんは、両手で持っていたグラスを縁側に置いた。

「ちょっと、失礼します」

お客さんは自分の顔の側面に両手を当てて、こめかみを押した。カチリという音がして、顔が、取れた。細面で垂れ目の女性の顔が現れる。今まで見ていた男性の顔は、その両手に挟まれていて。

あ、う、という声しか、出せない。

「仮面を被っていることに気付いたのは、最近です。気付けば、自由に付け外しできるようになりました。私はそれで随分、楽になった。バランスを保っていれば、素顔の自分と仮面の自分がいることは、武器にも盾にもなる」

声も、すっかり変わっている。女性の、高い声だ。

「素顔のあなたは、外から見える仮面のあなたとは、全く違う顔のはず。仮面のあなたは、とても誠実で魅力的です。だから、私は素顔のあなたとも対面してみたい。また、来ます。その時はぜひ、素顔同士で話してみませんか」

穏やかに微笑む女性から、目が離せない。ぎゅっとグラスを握っていて冷えた片手で、自分のこめかみ辺りを探る。カチリと、鳴った気がした。

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