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一円玉うらしま太郎

十円玉か百円玉か、少し迷って百円玉を賽銭箱に入れた。鈴を鳴らして拍手とお辞儀。昨日始めた家庭菜園が上手くいきますように、そしてここ一週間ほど小雨や曇天続きの空がすっきり晴れますように、と祈った。

低気圧頭痛でくらくらする頭を上げようとした時、足元に亀がいることに気づいた。私の手のひらにすっぽり収まりそうなサイズ。まだ子亀だ。しゃがんでよく見てみれば、甲羅に一円玉がくっついている。子どもに悪戯でもされたのだろうか。

子亀を手のひらに乗せて、一円玉を取ってあげようとするが取れない。どうやっても取れない。接着剤でしっかり固定されてしまっているのだろうか。じたばたする子亀をとりあえず解放した。観察していると、子亀はゆっくりと賽銭箱を垂直に登り始めた。万一の落下に備えて、子亀の後ろで両手を広げておく。

よろよろとした足取りながらも、子亀はついに賽銭箱を登り切った。なんだか私も嬉しくなる。次は何をするのかと見ていたら、子亀は賽銭箱の上でひっくり返った。じたばたする子亀を元に戻そうとすると、軽い金属が落ちる音。子亀を持ち上げてみれば、甲羅の一円玉が消えている。自然に取れて賽銭箱に落ちたらしい。よかったねぇと話しかけながら子亀を地面に降ろした。

「ふぅ。ありがとうございます。賽銭箱を下りるのが苦手なので助かりました」

首を伸ばして私を見つめる子亀から、子どものような声がした。ゆっくり子亀から遠ざかる。昨日、蒸し暑いのにベランダでずっと土いじりをしていたせいだろう。きっと遅れてきた熱中症だ。

「あなたにお礼をしなくては。助けてくれた人間には丁重にお礼をすべし、というのが亀世界の掟なのです。あなたは何がお好きですか?」

幻聴じゃない。やっぱり明らかに子亀が喋っている。よく見れば子亀の口元がもごもごと動いていた。というかこの状況は、まさに浦島太郎。この可愛い子亀は、もしかして私を竜宮城に連れていこうとしているのか?ちょっと面白いではないか。

「……ふふふ、好きなものかぁ。うーん、あっ、ちょうど昨日ベランダで家庭菜園を始めたんだ。はつか大根の種を植えたの。今一番興味があるのは家庭菜園かなぁ」

「なんと!奇遇ですね。僕も海藻を育てるのが趣味なのです。では僕の自慢の海底・・菜園にご招待しましょう」

「海底、菜園?竜宮城じゃなくて?」

「りゅうぐうじょう、ではないです。海底菜園です。帰りたいと思われたら僕がすぐにこちらにお送りします。もちろん息が苦しくないようにします。ああ甲羅が乾いてきてるのでお早く。僕の前足に触れてください」

前足をぺたぺた上下させて急かしてくる子亀に焦り、人差し指で子亀の前足に触ってしまった。突風が吹いて、思わず両目を閉じた。


目を開けると周囲は真っ青になっていた。神社はどこにもなく、青い空間が果てしなく広がっている。本当に海の中にいるようだ。なぜか問題なく呼吸できる。あーと声を出してみる。喋ることもできるようだ。

足元では海藻がもっさりと生えている。しゃがんで海藻を手のひらで撫でていると、あの子亀が目の前に現れた。

「僕の海底菜園へようこそ。こちらはアマモという海藻です。かじると甘いのでアマモと言います。どうぞ一口、食べてみて」

「いいの?じゃあ少しだけ……」

1本のアマモの先を少しちぎり、口に運ぶ。よく噛んでみるが、ほとんど味がしない。

「あんまり味しないかも……」

「あれれ、そうですか。亀と人間では味覚が違うからでしょう。アマモは小魚や小さな甲殻類たちの住処すみかにもなりますし、光合成して酸素も作ってくれます。僕はアマモが大好きなので、この海底菜園でもアマモばかり育ててます」

アマモをよく見れば、小魚やエビやカニが隙間から顔を出していた。

「すごいんだねぇアマモ。そういえば子亀君はなんで神社に?」

「一円玉で神様に晴れにしてもらうためです。最近雨続きでアマモたちが日光不足だったので」

「あの一円玉はお賽銭だったのか……。というか一円で晴れにしてもらえるの?」

「あの神社は八意思兼命やごころおもいかねのみことという神様のお家なのです。人間に興味津々な神様でして。人間が崩れそうにない快晴を一円玉天気と言っているらしいと聞きつけて、本当に一円玉と引き換えに晴れにするという決まりを勝手に作ってしまったのです。他の神様たちが慌てて説得して、あの神社限定の秘密のルールになりました。それから私は海底菜園のために街で一円玉を拾っては、お賽銭箱に入れて晴れを祈ってきたのですよ」

子亀君はちょっと自慢気だ。あの神社にそんな面白い神様がいるとは。いつか私も子亀くんの真似をしてみよう。

「あの神社限定なんだ。なんか裏メニューみたいで面白い」

「うらめにゅう?」

「ああ気にしないで。こっちの話。さて、そろそろ帰ろうかな。私も家庭菜園の世話したくなってきた。はつか大根が収穫できたら一緒に食べよう。またあの神社で待ち合わせね」

「ふふふ、ありがとう。必ず伺いましょう。ではしばしのお別れを」

足元で海水が渦を巻く。その渦に巻き込まれ、猛スピードで海面へ押し上げられていった。近づいてくる強烈な光に思わず目を閉じた。


目を覚ますと境内のベンチに座っていた。うたた寝してしまったのだろうか。亀がでてくる夢を見ていた気がするが、細かいことは思い出せない。

右手のこぶしの中に固い感触がある。開いてみると、ピカピカに磨かれた一円玉があった。いつの間にか晴れていた空には雲一つない。神様は私の願いを聞き入れてくれたようだ。なんて気持ちのいい一円玉天気だろう。

はつか大根が育ったらお礼参りにまた来よう。一円玉は真っ青な空を映している。



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