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ごめん豆腐の笛の音

ペ~、ピ~。低い音と、高い音。2つの音がのんびりと伸ばされて、少しの時間を置いてから、また繰り返される。

前方から聞こえてくる、何とも脱力感のある音とリズム。気になって、爪先を見ていた視線を前に移した。

小学生くらいの男の子が、大きなアルミ鍋を持って歩いている。さらにその先に大きなリヤカー。リヤカーから、またペ~、ピ~という笛の音が響いた。

「えっと、絹ごし豆腐2丁、お揚げが5枚におから……あっ!お豆腐屋さん!待って!」

お使い中らしき10歳くらいの男の子が、ぶつぶつ呟いていると思ったら、駆けだした。あっという間に100mほど疾走した男の子は、大きなリヤカーの横で止まった。




本気で喧嘩したのなんて、初めてだ。火種を作ったのは私。同居している友人の洗濯物の干し方が、変だと言ってしまった。それから、口喧嘩の火はあらゆるものに飛び火し、数日前から喧嘩は絶賛冷戦中。

友人がいる家にどうしても足が向かず、公園のベンチで缶ジュースを飲んでいる。オレンジの酸味が、ちょっときつい。

お互い口数が少なくなって、あまり笑わなくなった。冗談ばっかり言い合っていた頃に、戻りたい。でも、友人はもう、そう思ってないのかもしれない。

スマホをちらりと見る。午後6時。友人からの連絡の跡は無し。はーっとため息をついた。帰らなくては。でも、帰りたくない。なんでこういう日に限って、仕事が異様に早く終わるのだろうか。

ルームシェアなんか、するんじゃなかった。

もう、赤ん坊の頃から付き合っているような友達だ。もはや友達や親友というよりも、姉妹、いや、双子と言っていい関係性。たまたま同じエリアに引っ越すということになった時、私が良い物件を見つけた。

2、3人で暮らせるほど広く、設備も良く、利便性も良く。綺麗。ただ、少し家賃が高い。友人もその物件を気に入り、自然に2人で住むことになった。それから2年、小さい衝突も無く、楽しく平穏に暮らしてきたはず。なんで、こんなことになったのか。



「あとは、ごめん豆腐2丁ね。滑り込みセーフだね、お客さん。ごめん豆腐は、もうあと残り1つ」

リヤカーを通り過ぎる瞬間、男の子と会話する店主のおじさんの声が聞こえた。ごめん豆腐。ごめん……豆腐……?豆腐って、あの白くて、歯ごたえの無い、豆腐?あれが、謝るのだろうか?白い塊から手足が出てきて、土下座する姿を思い浮かべる。

「はい、お客さん、何にしましょうか?今日はお揚げが安いですよ」

もう無意識に、リヤカーに近づいていた。気になるものは、放っておけない質なのだ。

「あの、少しお聞きしたくて。ごめん豆腐って、さっきおっしゃってましたけど、ごめん豆腐って、一体何なんですか?」

「ああ、ごめん豆腐っていうのは、私の父が考案した不思議な豆腐です。これです。青いやつ」

店主のおじさんは、大きな銀色のケースの蓋を取って、水に沈んでいる豆腐を見せてくれた。確かに1つ、淡いメタルブルーの豆腐がある。

「謝らないといけないけど、謝りにくいことってあるでしょう。このごめん豆腐を食べれば、するするっと謝れるようになるんですよ。本物の魔術入り。親父は頑固な豆腐職人だったけど、意外とファンタジックなものも好きで」

なるほど。食べた人が、謝るのか。正直、豆腐はあまり好きではない。だが、こんな面白い豆腐なら食べてみてもいい。今の私に、まさにぴったりな豆腐だ。

「……面白いですね。じゃあ、最後の1つ、いただけますか?」

「そうこなくっちゃあ!ありがとうね、お客さん」

いそいそと豆腐を掬うおじさんを前に、私は焦り出した。

「あっ、鍋とか皿とか、容器になるもの、持ってこなきゃいけませんでしたか?私、持ってなくて」

「大丈夫、大丈夫。こういう時のための容器もビニール袋も、ちゃんと用意してるから」

ほっとした。年季の入ったリヤカーを、まじまじと見る。豆腐屋さんのリヤカーの実物を見たのは、初めてかもしれない。

「お客さん。謝る時は、えいって、一気に謝ってしまうといい。心を込めてね。きっと、相手もちゃんと聞いてくれるから。心配要らないよ」

ごめん豆腐だけでなく、アドバイスもくれたおじさんに、感謝を込めて150円を手渡した。




「あ」

「あ」

帰り道で、友人とばったり会った。在宅ワーク中の友人は普段着だ。お互い、小さいビニール袋をぶら下げている。黙ったまま、並んで歩く。気まずい。

「気晴らしに散歩してたら、お豆腐屋さんのリヤカー見つけて。珍しい豆腐売ってたから、買ったの。その後、また散歩しててさ」

友人の淡々とした言葉に驚く。

「え、もしかして、ごめん豆腐、だったり?」

「え、なんで知ってるの?」

立ち止って、ポリ袋の中身を見せ合う。全く同じメタルブルーの塊を交互に見て、笑いが込み上げた。

「……ぶっ、ふふふふふ、ははははは、ごめっ、ごめん、同じ、同じやつ、ふふふふ、買ってた、ふふふふふっ、ごめん、はははは」

「……あははははは、私もっ、ごめっ、ははははは、同じの買うなんて、あははははは、ごめんね、うふふふふ、ははははは」

2倍量になったごめん豆腐は、友人の好きな麻婆豆腐にして、早速2人で食べてみよう。



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