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お狐様とタイム・ベルト

パチパチと鳴る油の中で、棒状のアップルパイを泳がせる。

拍手喝采を浴びる指揮者のアップルパイ、という空想にふけっていたら、あっという間に揚がった。後は冷まして、ラッピングすれば完成だ。

大皿に山のように盛られた狐色のアップルパイを眺めて、うっとりする。友達の誕生日にしか見れない、素晴らしい光景だ。

食料は配給制なので、豪華なケーキは作れない。近所にリンゴの果樹園があるので、そこからリンゴを分けてもらって、毎年ケーキ代わりにアップルパイを作っている。切って焼いたリンゴを薄い生地で包み、揚げるだけの簡単なスイーツだが、友達はいつも喜んでくれる。

数世紀前、隕石が北極と南極の氷を粉々に砕いてしまった。その氷が溶けだして、急激に海面が上昇し、ほとんどの陸地が水没した。生き残った人々は限られた陸地で命を繋ぎ、今に至る。

私の国には、太陽や月、金星の位置も一目で分かる立派な天文時計の塔があった。宝石を使った装飾は見事で、観光名所になっていたようだ。

丘の上で長く時を刻んでいたが、その丘もろともに水没してしまった。水圧で根本から崩れ、今も海中で横倒しになったままだ。

その天文時計が写った古い写真を、部屋に飾っている。ご先祖様が撮った写真だ。眺めていると何だか、安心する。

粗熱が取れたアップルパイから、丁寧かつ素早くラッピングしていく。今日中に届けたい。急がなくては。



透明な卵型の小舟に乗り込み、友人がいる島の位置情報をセットした。自動操縦機能が付いているので、あとは乗っているだけでいい。

ほとんど陸地が無いので、主な移動手段は舟だ。小回りが利いて安全なので、この卵型の小舟が一番のお気に入り。

舟の中から群青色の空と海を眺めていると、雨が降ってきた。雲一つ無いのに、降っている。天気雨だろう。天気予報では、今日はずっと晴れるはずなのだが。

ちょっと不安になっていると、前方に動く何かが見えた。よく見ると、四つ足の白い動物が走っている。舟を手動操縦に切り替えて、その動物に近づく。

動物は立ち止まり、後ろ足だけで立った。あの後ろ姿は、狐?

「おーい!危ないから、こっちにおいで!」

呼びかけると、白い狐は振り返り、歩いてきた。当たり前のように海面を踏みしめて。

「あの、ここらへんで、狐の嫁入り行列、見ませんでしたか?」

狐があまりにも自然に喋り始めたので、驚くのも忘れてしまった。

「天気雨のこと?今まさに、降ってるけど」

「いえ、本物の妖狐ようこの嫁入り行列です。僕も妖狐で、今日初めて行列に参加する予定でして。ここが集合場所のはずなのですが……おかしいなぁ」

「妖狐の嫁入り行列って、どういうものなの?」

「水面から空に昇って、遠くの山まで一週間、歩くのです。提灯を持って踊りながら。花嫁の狐をお守りするのです」

誇らしそうに胸を張る狐は、盛大に尻尾を振っている。良い旅仲間になってくれそうだ。

「私は友達のいる島に行く途中でね。もし良かったら、乗ってかない?舟の中で嫁入り行列を探すといいよ。濡れた毛皮も乾かしたいでしょ?」

「おお、渡りに舟とはこのこと。ありがとうございます」

卵型の舟の上にあるハッチを開けて、狐を招き入れる。狐は、ひくひくと鼻を動かした。

「いい匂い」

「あ、気付いちゃった?今朝アップルパイ作ったんだ。友達への誕生日プレゼント」

私と狐のお腹が同時に鳴った。

「ふふふ、小腹空いちゃったねぇ。ちょっと味見する?」

「え、でも、大事なプレゼントなのでしょう?」

「たくさんあるし、小分けにしてあるから大丈夫」

舟を自動操縦に戻し、アップルパイにかぶりついた。サクサクで、とろりと甘酸っぱくて、たまらない。すぐに食べ切ってしまった。狐は一口で食べてしまったようだ。

「ああ、なんと美味しい。久々に食べ物に感動しました。何か、お礼をしなくては。僕が海の中で体験した不思議な話はどうでしょう?」

「お礼なんていいよ。でも、その話、聞きたいなぁ」

「では。妖狐は空中でも海中でも、どこでも自由に移動できるのです。この前、海中で散歩していた時に、倒れている天文時計を見つけました。その大きな文字盤から、半透明な帯のようなものが伸びていたのです。僕は気になって、その帯を辿っていきました」

現在地がアナウンスされた。ちょうど、天文時計の塔があった丘だ。

「その帯は、延々と続いていました。もう引き返そうかと思った時、気付いたのです。かすかに帯から音がしていると。耳を近づけると、人間たちの声だとはっきり分かった。喜怒哀楽、様々な感情が伝わってきました」

「……今は、その帯は?」

「観測している仲間によると、まだ伸びているようです」

「そっか。良かった」

「僕たちは、あの半透明の帯をタイム・ベルトと呼んでいます。ちょうどこの舟の下で、天文時計は今も時間の帯を織っているのです」

この時間も、アップルパイを作りながら空想を楽しんでいた時間も、時間の帯に織り込まれているのだろう。

たくさんの人が楽しんだ空想は、伝承となって、記憶となって、最後には時間の帯の絵柄になる。そんな空想をしていると、天気雨が止んだ。

そして、島の船着き場が見えてきた。こちらに手を振っている人の影も見える。迎えに来てくれた友達だろう。

「ああ、嫁入り行列、結局見つかりませんでした。どうしよう」

「とりあえず、友達の家に行こう。行列は一週間も続くんでしょ?明日の帰りにまた、探せばいい」

「おお!ありがとうございます。助かります」

尻尾を振る狐の頭を撫でる。傾き始めた太陽も、海も空も、いつも通り美しい。



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