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定義的矛盾

 ねこっちです。

 私がよく陥る間違いの一つに、「定義的矛盾」というものがあります。定義的矛盾とは私が考えた造語で、その意味を述べると、

本当の定義から派生した枝葉を定義だと誤解してしまうことで起こる矛盾

です。


 よく「現実は厳しいんだ」という言葉を聞きます。これはいろいろな場面で言われることと思います。例えば、すぐに思いつくものであれば、何時間も勉強したのに、テストでいい点が取れなかった時に「現実は厳しいなァ」と思う、という感じでしょうか。

 ほかには、ビギナーズラックか何かで偶然良いことがあり、自分は天才だと思っている人に、その道の玄人のひとが「現実はそんなに甘くないぞ」というときも似たようなニュアンスをもっていると思います(分かり難い例かもしれずすみません)。

 いずれにせよ、「現実は厳しいんだ」という言葉は生きているとよく聞きます。このとき、私は「現実=厳しいもの」と言う風に現実という言葉を定義してしまいます。

 一方で、これは「現実」という言葉の正確な定義ではありません。「現実」を辞書で引いてみると、

いま目の前に事実として現れている事柄状態。「夢と—」「—を直視する」「—に起きてしまった事故」⇔理想

「現実」の意味 goo辞書より引用

 とあります。ここには「目の前で起きている事実」と書かれており、「現実=厳しいもの」である、とは書かれていません。

 そこで、たとえば「現実に目を向けることは重要だ」という人が現れると、

 なんで「厳しいもの」にあなたは目を向けるんですか?あなたは苦しみたいんですか?

というように思考が混乱してしまうのです。これが定義的矛盾です。

 ここで重要なのは、「現実=目の前で起きていること」というのが本来の定義なのであり、「厳しいもの」というのはあくまでも派生である、ということです。その派生を「定義」としてしまったことで、「あなたは苦しみたいんですか?」という変な思考になってしまっているということなのです。

定義的矛盾の特徴

 私はよくこの「定義的矛盾」を気づかずにやってしまうため、様々なことを誤解することが多いです。

 そこで、注意深く定義的矛盾を観察してみると、この矛盾が現れる特徴があります。それは定義的矛盾は抽象的な名詞に多いということです。

 抽象的な名詞とは、「人生」や「社会」のような意味の多い名詞です。いわばその場その場でそのような意味なのかをフレキシブルに考えなければ誤解してしまいやすいものです。

 このような「意味の多い名詞」は、様々な派生語が存在するので、その中である意味を述べた「A」という慣用句と、別の「B」という慣用句が矛盾し、混乱してしまうのです。詳細は次節で述べます。

定義的矛盾・その他の例

 ここでは今まで最も私が混乱した「社会」という名詞を例にとります。

 「社会」もまた、「現実」と同様に厳しいイメージがあります。例えば「社会の荒波にもまれる」という言葉や、「社会的責任」という言葉などはそのようなことをほうふつとさせます。

 すると私の中で、「社会=怖いもの」という定義が出来上がります。現に高2の10月、以下のサイトを読んでしまったことはその定義を決定的にしたのでした。

 するとここで大きな矛盾が生じます。「社会貢献」という言葉の意味が分からなくなってしまうのです。

・「社会の役に立つ仕事」
・「社会のために」
・「地域社会への貢献」

 このような言葉が全て分からなくなってしまうのです。なぜそんなに社会に半殺しにされても、まだ社会のことを思うのか?もうわけがわからなくなってしまうのです。「奴隷なの?」「屍なの?」そんな考えまで浮かんでくる始末。

 おまけに「社会人は身を粉にして働く」とか「大人は顔で笑って心で泣いている」とか言われたら、もう限界です。ああ、自分みたいな人を社会不適合者というのだな、と合点がいってしまいます(悪い意味で)。

 しかし、これはもとをただせば「社会=怖いもの」という定義が誤っていた「定義的矛盾」なのです。再び辞書を引くと

人間の共同生活の総称。また、広く、人間の集団としての営みや組織的な営みをいう。「—に奉仕する」「—参加」「—生活」「国際—」「縦—」
人々が生活している、現実の世の中。世間。「—に重きをなす」「—に適応する」「—に出る」
ある共通項によってくくられ、他から区別される人々の集まり。また、仲間意識をもって、みずからを他と区別する人々の集まり。「学者の—」「海外の日本人—」「上流—」
共同で生活する同種動物の集まりを1になぞらえていう語。「ライオンの—」
社会科」の略。

「社会」の意味 goo辞書より引用

 とあり、ここで定義とすべきはおおよそ「人々の共同生活の場」くらいの意味で十分となります。

共同生活するから、人々の役に立つように「社会貢献」するのだな。

という具合に、社会貢献の意味も理解できます。

蛇足:「社会」に関連して、「社会人」という言葉も理解が大変だった言葉でした。「社会に染まってしまった怖い人」という意味だと思っていた時期があり、その誤解も払拭するのに数年かかりました。なお、社会人は英語で「working adult」というようで、これならば意味が理解できました。意味の分かり難い言葉は、英語にすると理解しやすいこともあるようです。

最後に

 私は今までこの「定義的矛盾」で苦しんできました。本当の意味を知らず、一度抱いた印象が定義になってしまうことで、この定義的矛盾は起こります。

 さらに厄介なことに、一度定義されたものは、大きなことが起こらない限りその定義が見直されないのです。そのため、誤った定義のもとで誤った価値観が形成されてしまうことも多かったです。

 私は定義的矛盾を起こしてしまいがちだ、と分かってはいますが、なかなかその具体例に気づけません。それは今も同じです。しかし、「これは定義的矛盾ではないか?」と疑ってみる視点を持っていれば、それだけでもかなり楽になってくるように思います。

 今回は私の考えた「定義的矛盾」についてシェアする記事を書いてみました。今回の記事は、私の備忘録として書きましたが、もし同じような苦しみをなさっている方にこの記事が届けば、とても嬉しいです。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

   ねこっち

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