百年ぶりに日記を書く元気が生まれた

自己紹介: だかう。日本生まれ日本育ち、一切外国との繋がりのない家系に育った関西人、20歳のときにドイツに語学留学、短期の予定がなぜか日本の大学を中退して現地の大学にまで入学してしまい、入学直前に知り合ったイギリス人男性と懇ろになり、ドイツの大学卒業後イギリスの大学院に留学。現在26歳。特技は語学(英独仏)。我ながら色々わけわからん。猫が好き。

恐ろしいことに、ドイツで知り合って遠距離で4年3ヶ月ほど付き合い、私が大学院留学でイギリスに越してきて4ヶ月、すなわち計4年7ヶ月付き合ったイギリス人彼氏に振られ、2週間経って脳がやっと正常に動き始めた気がするようなしないような感じなので、心情の変化を記録に残そうと思いました。セラピストのおねえさんに日記いいよーって言われたので英語で日記も書いてるんだけども、結局日本語が一番爆速で言葉が出てくるので日本語でもやってみることにしました。数日ないし数週間に一回更新できたら偉いけど、まああまり深く考えずに書きていきたいところ。

まさか5年目のバレンタインデーにこんなことを書く羽目になるとは思ってませんでしたが、まあ経緯としては、元々かなり繊細で環境の変化に弱い上に絶望的に内向的な元彼が、私がイギリスに来て以来じわじわ精神を病んでいって(原因ははっきりはしてないものの、人生で初めて家買ったし、仕事超忙しいし、いきなり遠距離から近距離恋愛だし、彼女がビザの件で不安定だし、とかいろいろでかい環境の変化に耐えきれず?、そうです私も間違いなく原因の一部です…)限界に達したので、セラピストのお世話になることを決めたと同時に申し訳ないので(今の関係性は私にとってフェアじゃなさすぎるってことを何度も言ってた、いやまあ、たしかに過去数ヶ月は彼氏の地雷を踏まんようにかなり気を遣ったし彼氏が調子悪すぎて家事とかめっちゃ手伝ってた…)、一旦私を振ったという経緯があったようであります。振られるちょっと前に数日仕事休んでじっくり考えたらしいので、まあ決断が苦手な元彼なりに頑張ったんだなあという気がします。実際別れようと言われたときはマジで死ぬかと思いましたが。

別れることを示唆されてからの2週間はなかなか怒涛の2週間だったと言わざるを得ん感じでした。しぬほど泣いてました。とりあえず3日は本当にずっと泣いててトイレットペーパー(イギリスは紙がやたら高いのでティッシュペーパーの代わりにトイレットペーパーを使っています)数ロールを犠牲にしました。ついでにかなりひどい風邪をひいたので本当に己、死ぬのでは?と思いました。死にませんでした。未だにだかう元気?て大学院の同期に聞かれたらダメです!!!!って答えて心配されるのを無限にやっています。もっと落ち着いた対応のできる人間になりたいな(無理)。

しかしこの2週間で自覚したこととしては私はものすごい友達に恵まれているということなんですね。5年住んだドイツを出てイギリスに来てから全体的に生活がオワオワリになってしまって(イギリスはマジでクソ、まあ主には就活がんばってたのにビザルールの厳格化でほぼ貰えそうだった内定が吹っ飛んだこととクソみたいな冬とドイツに比べてゆるゆるな大学)、母や姉にめっちゃ電話してもらったりしていて彼らにはほんっっっっっっとうにお世話になっているのですが、様々な視点を取り入れたい系の人間としては様々な人間に話を聞いてもらってコメントをもらいてえなと思ったので、ありえんたくさんの人間とこの2週間コミュニケーションを取らせていただきました。全員やさしすぎて文字通り泣きました。

浪人時代も一緒に経験して、なぜか留学してからもほぼ毎日ラインしてる日本の高校時代からのダチをはじめとして、東京の大学1年間しか知り合ってないのになぜかすごいしっくりきてときどき連絡してるダチ、連絡頻度は落ちようともなんだかんだ小学校からズッ友的に仲良くしているダチ、中学の2年間くらいしかときを一緒に過ごしてないのに久しぶりに話したら超しっくりきたダチ、ドイツの語学学校で知り合って当時めっちゃ好きだった男とうまくいかなかった中ちょっと優しくされて好きになりそうだったことがあるが最終的にめっちゃいい友になったラテンアメリカンのダチ(説明が長い)、ドイツで3年半大学時代をまるまる一緒に過ごしたドイツ人のダチ(そういえばそのうちのダチ2人がカップルになってて感動しました)、大学入学時に知り合ったものの大学時代後半になって初めて打ち解けて実家(城)にまで呼んでもらって夜死ぬほど喋ってダッチダチのダチになった国際的すぎて何人と呼んでいいかわからないダチ(両親南アフリカ人アメリカ生まれドイツ&イギリス育ち)、元彼の弟を通じて知り合って急に爆速で仲良くなって何度も家に泊めてもらったダチ、イギリス来てからサークルのイベントで知り合ってうっすら仲良くなった、ややダチレベルはまだ発展途上とはいえこれから仲良くなれる期待大のイギリス人ダチ、そろそろ長いのでやめますが、日本とドイツで仲良くなったあらゆる人間みんながえっだかう生きてる!?!?!話聞くよ!?!!!って言ってくれて、あのなんかもうそれだけで生きててよかったなって思いました。メンヘラ極まりすぎて振られた直後ほんのちょっと死のうかなって思ったんですけど、心からこんなんじゃ死ねないなあって思ったので友達ってめっちゃくちゃ大事なんだなと思います。

というのは置いておきまして、いまある意味人生の岐路に立たされていることに身震いがします。人生わりと彼氏ベースに計画してたので一回全部白紙になってうおお…どうするよ…的な意味で…。立ててた計画ってもうほんとテキトーにイギリスで仕事見つけて彼氏の持ち家で同棲して猫飼うことだけだったんです。いやそれはテキトーすぎるだろうと思われるかもしれないんですけど、それが本当にある意味最終目標でした…。

元彼は精神疾患(たぶん強迫性障害なんですが、診断受けたかも知らないし推測に過ぎず)で私の生活から敢え無く途中退場と相成りましたが、連絡は取り続けたいし、元彼家にある大量の私の荷物は別にそのままで構わないし、合鍵もそのまま持ってていいよ、と言われているし、これはまあ私が未練がましく聞いたことではあるのですが、治療が上手く行ってまた恋愛する元気が出たらその時は言ってくれるらしく…何が言いたいかというと、振られたんですけど完全な別れではないっぽいんですね。大学院の友達には「いやそれありえんくない?完全に振るのが礼儀じゃない?」って言われてまあそういう思想もあるわな…と思ったんですが、いやまあ、我々は喧嘩とかはほとんどしなかったけど、お互い病み病みで共依存ぽくなってたのはあり、お互い精神の調子立て直してもとに戻るのはまあありなんじゃん?と私も思っているので、今の状況はある意味好都合なのかな。
ただなんか各種友達と話してて、いやまあ5年近く付き合ったけど、元彼、まあまあ問題ある人間ではあるから別の男見つけたほうがいいんじゃねぇの、って提案もまあ分かるんですね。

今日は元彼のどこがめっちゃ好き(だった)のか考えてたんですが、圧倒的寛容さだったなと思っています。一部こだわりが強いけど大抵のことは気にならんくてなんでも好きにしてくれ感があったこと。あとは礼儀正しさも好きでした。ありがとうとごめんなさいが言える人間って良いですよね。笑いのセンスも癖が強くて好きでした。あと顔はドタイプではあったので、掃除が絶望的にできないとか、自分で物事を全然決められないとか、罪悪感ゼロで音信不通やっちゃうのとか、プレゼントのセンスがないのとかとりあえずまあいっか、になってしまったところあります。
あとこれ最後に言うんかいって感じですが、愛に溢れた人だったと思います。付き合いの最後の方は精神疾患にやられすぎて平常心保ててたときしか実行できてなかったと思いますが、私と一緒にいるときはめっちゃハグしてくれたし、布団で一緒にゴロゴロしてくだらん話したり、なぜかむこうがアラビア語を話しはじめ私はフランス語で返すとか、そういう意味不明なやりとりとかなんか全体的に好きでした。あと元彼の家族がめちゃくちゃ好きでした。己の実家がそこそこ機能不全なのもあって元彼の幸せな家庭で育った感に強烈に惹かれてた部分とかあるな〜〜〜って思ってます。

とりあえず過去形にしてみましたが、まあ結局私の荷物は半分近くヤツの家にあるし、いまは心の平静のためにも距離を置く所存ですが、まあ一ヶ月位したら元彼と連絡とってみてもいいかなあと思ったりもしています。ていうか普通に元彼の調子がほんとに戻ったら全然戻ってしまう気がするし、それもあって現状強迫性障害の治療の種類やら期間やらをめちゃめちゃ調べてしまっている己がいます。とりあえず数ヶ月で多少なりとも効果は出るという意見が多いので、元彼の誕生日(6月)ごろにはきっとある程度関係性の方向性見えてくんじゃない?との希望的観測があるんですが、どうなるんだろう…

気づいたら30分も文章を書いていてわらうしかないですね。まあ、いま一切泣かずにこれを書けていることに感動。中途半端な状況になっている就活と学業もっと頑張らねば…

とりあえず次これを読み返すときに自分が今より幸せであることを願うのみです。


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