米研ぎと空

米を研いだ。
目の前で炊飯器が空になったからだ。

ささっと内釜を洗い場の桶に浸し、
その間所要を済ませる。

そろそろかなと思い立って、
内釜にスポンジを滑らせる。
滑らかに洗えればいいのだけど、
なかなかに年季が入っているので
小さな柔らかい感触が、
思ったよりも長引いた。

ふと目の前の事をしながら、
こういった誰の目にも留められない、
自分だけが知っている小さな出来事の
積み重ねから、
思わぬ素敵な事が咲いたりするのだよな
と考えていた。

洗い終わって、
白米を掬って、洗い立ての釜に入れる。
容量いっぱい。それに水を注いで、
分量を測る。

実は、白米に水を注ぎ入れるときの
米たちが水に押されて、さささと
避ける様相を見るのが好きだ。
千と千尋の神隠しでみた、
戯れるまっくろくろすけたちの
騒がしさを思い出す。

わぁ、水だ、
逃げろー!さささっ。

ってな感じに、
米たちが躍っているみたいで、
密やかに愉快なのである。

そんなこんなで浸し終わって、
米を研いでいく。
熊の手、熊の手、
お米をぎゅぎゅっと、
少し中に水が入りやすくするためにも、
ぎゅっと。

手の中で、
握られては方々に散っていく米粒の感触に、
寄せては返すとは
こういうことでもあるのかも、
と遠い海の波打ち際を思い浮かべたりする。

そうして注いで流して、
注いで流してを繰り返した後、
蓋を開けて待っていた炊飯器に
内釜を収めて、
ボタンを押した。

食べることに即する日常の一つ。
けれど、私にとっては
広い何かに思いを馳せる時間でもある。

手のひらから、
目の前から、
案外遠くて広い場所への
道筋は続いているものだったりする。

空を想うと書いて、
空想。

遠くない身近な、
どこにでもある、そんな小咄。

了。




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