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今できることをいつもできない私

9月になり、10日が経った今日この頃。

時の流れ、早すぎません??

あと、3ヶ月で2020年終わるってよ、恐ろしい。

つい昨日くらいに「お花見したいなぁ」って思ってたのに、とっくに桜は散って、葉は緑になって、今はもう黄色くなってきている......。

25時にそろそろ寝なきゃなって思って、体感2分後に時計を見るとなぜか27時とかになってるし。時の流れに体がついていけてません、20歳さんぽです。

大学3年生の私は、3つ応募した夏インターンのうち2つでお祈りを受け(落ちた)、もう「人生最後の自由時間:大学3年の夏」を満喫してます。

ディズニーランドもシーも行ってやったぜ!!

はぁ、本当に良くない......。

現実みろよ、自分って感じなんですが。

今回は、就職相談を聞いてくれたパイセンからお叱りを受け「本当に私はダメな人間だな」って思っちゃったので、その気持ちを吐き出させてください(泣)。

現時点で、私はライター・インタビュアーになりたいと思っていて、ライター講座に通ったりレビューを書いて添削してもらったりしています。

そもそも、なんでライターになりたいと思ったのかを思い返してみようと思います。ESで志望動機書かなきゃいかんからね......。

もともと、私は人の話を聞くのが好きで、友人からいろんな相談事を聞いてきました。恋愛相談なんて幾つ受けたことやら。実体験は乏しいにも関わらず、あんなことやこんなことやら、いろんな話を聞くもんだから知識だけは豊富になるというおかしな状況になりました。

次に、私の名前も関係がありそうで。私の名前って、縦書きで旧漢字にすると全部鏡文字になるんです。例えば、「本田」とか「中西」とか。そういう鏡文字になる名前の人は話す仕事に向いているらしく、私をアナウンサーにしたかった(今も?)母が名付けてくれました。

小さい頃から「私の名前って鏡文字やし?」みたいな根拠のない自信があって、人前で発表したり司会をしたりすることは好きでした。

だから、ぼやーとした感じだったけど「話す仕事」にはずっと興味がありました。

母から口すっぱく言われている”アナウンサー”は、顔が追いつかないから絶対無理!って思っていたんですが、2018年(さんぽは大学1年生の年)に大好きな安室ちゃんこと安室奈美恵さんが引退することになって、たくさんの特番がテレビで放送されました。どれもインタビュー形式で、アナウンサーさんが聞き手で安室ちゃんが引退についての思いを語るっていう形で、「アナウンサーってニュースを伝えたり、バラエティの司会をするだけじゃないんだ」って気づきました。

それでアナウンサーっていうお仕事もいいなって思ったんですけど、引退後に安室ちゃんが本当の引退理由を語ったNHKの特番があって。ファンとしてはこの上なく重要な回だったわけですよ。でもその番組内で、聞き手だったアナウンサーさんの顔が結構写って、その人の高校生時代の写真とかが流れて。「え、いる?」って思っちゃったんですよね。もちろん構成上で必要なのかもしれないけど、「安室さんが小室哲哉プロデュースになった頃、大学生だった私は音楽を聴いていませんでした」とか。いや、まぁさ、音楽を聴いていなかった大学生の私にも安室さんの歌は届くくらいの爆発的なヒットでってことが言いたいんだと思うんですが。そういうアナウンサーの人が前に出すぎる感じが、やっぱり自分がやりたいとは思えなくて。

で、その2ヶ月後に同じNHKで今度は星野源さんのインタビュー特番が放送されたんです。同じ、聞き手がいて特集されている人が話すっていう形ではあったけど、今回は聞き手の顔は一切映らなくて。しかも、インタビュー内容も「私はこうだった」とか「私にとっての音楽はこういう存在で」とかの話も一切なくて。でもファンが知りたい源さんの想いだったり、制作の裏側とか、そういうことがすごく知れて。

「この番組めっちゃいいな、神回」って純粋に思ったんです。それでこの聞き手は誰だと、なんていう名前のアナウンサーさんなんだろうと思ってクレジットをかぶりついて見ていたら、最後流れてきたのが「有泉智子」さんでした。

そこで「編集者」っていう仕事でも人と対話できるんだっていうことを知りました。

大学2年生になって、社会学を専攻している私は社会調査のひとつであるインタビュー調査を学び、実際にアルバイト先のカフェの店長さんにインタビューする課題が出ました。提出レポートはインタビュー内容を文字起こしして、聞き書き形式のものだったんですが、その内容を口頭で授業中にクラスメイトに向けてプレゼンすることになりました。

店長さんがインタビューで答えてくれたメニューの誕生秘話やお店に対する思いをプレゼンで発表し終えると、クラスメイトから「お店に行きたくなった!」とか「とても素敵な店長さんだね」って言ってもらえて。それが本当に嬉しくて。自分が素敵だと思っている人の考えや思いが第三者に伝わっていくことがこんなにも楽しいのかと感じました。

そこから、インタビュアーになりたいと強く思いはじめました。

色々調べてみると、インタビューアーというだけの仕事はなく(今、考えると当たり前なんですけど、その時はびっくりした)ライターとセットの仕事だとわかりました。

じゃ、1番初めに影響を受けてこの人すごいなって思えた有泉さんがやられている「音楽雑誌の編集・音楽ライター」を目指そうと思いました。

だから、有泉さんが編集長をやられている雑誌MUSICAが開講している「音小屋」っていうライター講座に申し込んだし、その音子屋の第1期生で既にプロのライターとして活躍されている方に連絡をとって添削をしていただいている次第です。

その添削をしてくださっているパイセンに就職相談をしたところ、私が「どうやって企画は考えるの?」とか、「何時間くらいでレビューを書き上げるのか?」とか、「インタビューするためにどの程度インタビュイーについて調べるんですか?」とか、方法や能力の身につけ方ばかりを質問してしまって。

「知識なくたって、ライターにはなれるよ。勉強して図書館でリサーチでして時間かけて書きゃいいんだから」「お前はいつも口ばっかりで、やってないんだよ」「できない、できない、じゃなくてやってないだけ」

と言われてしまいました。

こう言われてしまい、とってもショックなんですけど。なにがショックって、私は、今の自分じゃできないから、知識をつけてから、学んでから行動しようって思っちゃう、そんな自分がすごく嫌で、後悔していることがあるのに、私はなんにも変われてないんだなってことがわかってショックでした。

私は今、社会学を専攻していますが、1番初めは社会福祉学科を志望していました。

それは、私の親友の妹ちゃんが重度の障がいを持っていて、私がつらい時にいつも助けてくれたその家族のために福祉を学んで恩返しをするんだと決めていました。

だから、小学校の卒業文集には「福祉関係に進んで今できないことをできるようになる」って書きました。

ずっと、障がい者福祉について学んで、障がい者がいる家族をサポートしていきたいと思っていて。

高校3年生になり、志望大学と学科を決めて、志望理由書を書きはじめたとき。私が恩返ししたかった親友の妹ちゃんは亡くなってしまいました。

ある日突然。

私は大きな目標を失って、何のために福祉を学ぶのか、これから福祉を学ぶにしても、その度に彼女のことを思い出すことになると思うと、どうしても社会福祉学科に進む勇気が持てませんでした。

でも、その時に私は気付いたんです。

私は妹ちゃんのことを使っているだけだったって。

志望理由のために、小論文のために、文集ために、作文コンテストのために。

本当は専門的な知識がない自分でも、妹ちゃんのためにできることは沢山あって。でも、私はそれをなにひとつしてこなかった。

私がどこかに旅行に行って、お土産を買っていく時、妹ちゃんのこと考えてたかな。

目が見えなくて歩くこともできなくても、風と音を感じることが好きだった妹ちゃんのために、音が出るおもちゃも、ヘア飾りもなにも買っていかなかった。

それこそ、ネットででも図書館ででも調べて、どういう風に接すればいいのかいくらでも学ぶことはできた。

私はいつも、今できることをやろうとしていないんです。

変わりたいなぁ。変わらなきゃなんだけど。変われてなかった。

どうしたら変われるかな??

自分を変えるって難しい。







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