浪花心霊オプ・文楽太夫変死事件(第6話)
6.
その夜入船温泉の高温サウナは、沼澤のほかに利用者がなかった。
サウナ、水風呂、脱衣室の椅子に腰かけて整うを3セットほどしただろうか。
4セット目。沼澤がサウナ室で寝そべっていると、サウナハットを目深に被った男が入ってきた。
起き上がり、「お疲れさん」と声を掛けてみた。
男は軽く会釈し無言でサウナ室の片隅に陣取ると、話しかけるなと言いたげにサウナハットをさらに深く被り直した。
沼澤は構わず畳みかけた。
「失礼ですが、人形遣いの、吉田壽海さんですよね。僕、ファンなんです。文楽の。」
「よく僕が吉田壽海ってわかりましたね。僕ら人形遣いは太夫や三味線弾きと違って舞台では黒衣を被って顔を見せずに人形を遣ってるから、素顔で歩いてても声を掛けられることなんてめったにないもんで。よほどのファンの方なんだ・・・。」
ここのオーナーから、人形遣いの吉田壽海がお忍びでここを良く利用しに来ていると聞いていた、ということをおくびにも出さずに続けた。
「6月に文楽劇場でやった若手会の国言詢音頭、菊野が良かったなあ。あれ壽海さん遣ってたんでしたよね。」
これもキャメルのママの入れ知恵だった。沼澤は国言詢音頭など見たことも聞いたこともない。へたをすると墓穴を掘りかねなかった。
「あの演目はゲテモノ感があるから評判は芳しくなかったんです。そういってもらえると嬉しいな。」
幸い壽海は、すっかり気を良くした様子だった。
「サウナ、お好きなんですね。」
「ええまあ。こちらには日頃のストレス解消にちょいちょい伺わせていただいてます。」
「壽海さんは東京のご出身ですか?」
沼澤は、壽海が関西弁をまったく話していないことに気づいて聞いた。
「僕は祖父も父も東京生まれ育ちで生粋の江戸っ子です。親もまったく伝統芸能とはゆかりがありません。ですがこの世界にすごく憧れを抱いて飛び込んだんです。」
沼澤は物好きな人もいるものだと感心しつつ、おそるおそる本題を切り出そうと試みた。
「そういえば・・・。」
「心中事件のことですか?」
先を読まれてドキッとしながらも
「興味がないと言えば噓になります・・・。」
気取られぬよう切り返した。
「まあ普通はそうですよね。あんなに騒がれたし。相手の女性は資産家のお嬢さんでしたから・・・いまだに僕らもバッシング受けてるんです。」
「ただ・・・。」
壽海は思案顔になり、腕を組んだまま黙ってしまった。
沼澤は焦らずしばらくの間沈黙に付き合うことにした。
少しあって、壽海がぽつりとつぶやいた。
「あの人・・・羅刹太夫は呪われていたっていうか・・・。」
沼澤はのけぞりそうになった。その瞬間オートロウリュが作動し、サウナ室は白いミストに包まれた。
霧の中から壽海の声がした。
「何かに取り憑かれているんじゃないかって、ご自身も言ってた位あの人の周りでは事故と自殺とが頻繁に起こっていたんです。」
「ほんまですか?」
「僕が知っている範囲で・・・太夫が高校生の時からの親友で、ずっと応援を続けてらしたお客さんがいました。一番のご贔屓でスポンサーでもあった人なんですが、東日本大震災の際に東京のご自宅で急死されました。独り暮らしをされていたので、箪笥の下敷きになって亡くなられているのが見つかったのは死後10日以上経過してからだったんで、ご遺体の損傷が凄まじかったと聞いています。翌年に太夫の芸をいつも絶賛して書いてくださっていた評論家の先生が、ご自身の親の介護に疲れて、親御さんを道連れに墓前で自殺されました。これも死に顔が凄惨だったと聞いています。同じ年の10月には、太夫が素人の人を集めてやってる義太夫教室のお弟子さんが踏切での電車と乗用車の衝突事故に巻き込まれて亡くなっています。乗っていた車が運悪く線路上でエンストして車から脱出しようとしたらドアが開かなくて。窓から脱出しようとしたんですが、それも開かず。助けようとした人たちに車のなかから「開けてください」って泣き叫んでいたそうです。」
沼澤の脳裏に、老舗ホテルの悪夢が蘇ってきた。
「壽海さん、その素人のお弟子さんは女性でした?」
「はい。長い髪の綺麗な人で、評判のお弟子さんでした。」
沼澤は戦慄した。
依頼人の夫であった豊竹羅刹太夫は、呪われていたのか、取り憑かれていたのか。
壽海の話を聞いているうちに、沼澤は太夫を呪い殺したのが不倫相手だった資産家のお嬢さんでないことだけは確かな気がした。
呪いの種は、太夫の周辺の人間が持ち込んだのではなく、紛れもなく太夫自身に在ったに違いないと思った。
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