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【短編小説】 雨を聴く

久しぶりに期日間に合ったぁ😆
感想お待ちしてます♪



 麻里子は目を閉じて、鼻から大きく息を吸い込むと、膨らんだ肺のみならず、身体全体を弛緩させるように息を吐き出して、雨が来る、そう悟った。
 事実、昼過ぎまでは、快晴の軽井沢を、新緑の美しさにうっとりしながらレンタサイクルで散策していたのに、BBQの食材を粗方買い揃えたタイミングで、スーパーを出ると、嘘のように寒い。
 空にはどんよりとした灰色の雲が低く垂れ込めて、間違いない、雨が来る、外れたことのない確信に、半ば諦め顔で自転車に跨がる。
 勉はもう炭おこしを済ませただろうか。
 野菜はほぼカットを済ませて持ち込んであるから、今しがたスーパーで肉とチーズとワインを調達したので、後はここに来る途中で良い香りのしていたベーカリーに寄って、ライ麦パンを少し買ってコテージに戻るだけだ。
 時期をずらして取得したゴールデンウィーク休暇を過ごすコテージは、数年前から気に入って、毎年訪れている。
 屋根の付きのデッキが付属しているので雨天でも予定のBBQに支障はないが、問題はコテージまで天気が保ってくれるかどうかだ。
 コテージと逆の空の、濃い灰色の雲と風向きを見て、追いつかれてはなるまいと、力強くペダルを踏む。
 ベーカリーでライ麦パンの他に、ついついクロワッサンを買い込んで、これはカロリーオーバーだと思いながらも、せっかくの休暇なのだからと、ありきたりの免罪符で自分を納得させる。
 コテージが林の合間にようやく見え隠れする辺りで、額に雨粒が当たった。
 ポツ、ポツ、ポツポツポツポツ。
 レンタサイクルをコテージ前に無造作に停めると、カゴのエコバッグを慌てて掴んで、玄関ポーチの下へ滑り込んだ。
 玄関先に荷物を置いて、防水加工のウィンドブレーカーを脱いで、軽く振って雨粒を払っていると、勉がタオルを手に出迎えてくれた。
「おかえり。そろそろだと思ってた」
 そう言って、ニヤニヤしながら、玄関かまちから空を見上げる。
 外には、水たまりが出来そうな勢いで雨が打ちつけている。
 私は自他共に認める雨女だ。
 雨雲と共に帰還したのを、いつものことだと言いたいらしい。
 受け取ったタオルで、ささっと顔を拭うと、もう気にならない程度で済んだ。
 行き帰りに降り出すことはよくあるけれど、何故かずぶ濡れになることはあまりない。
「きっとすぐに止むわ」
「うん、雨雲レーダーで確認したけど、通り雨みたいだね」
 彼は、データを信用している。と同時に雨女の私が行く先々で雨が降ることも信用している。
 いつだったか、その感覚が不思議だなと言ったら、どちらも的中率が高いから、何も不思議じゃないさ、と笑った。
「もう炭は起こしたの?」
「まだだよ。バーナーがあるから、君が戻ってからでいいかと思って」
「お腹空いた」
「はいはい、お嬢様。すぐに準備致します」
 彼は恭しくそう言って、食材をキッチンへ運ぶと、ワインの年代と産地を確認して、これは楽しみだと口笛を吹いた。
 手を洗って、ささっと食材の下拵えをしてデッキに運ぶ頃には、もう炭が赤く燃えていた。
 私の仕事はここまでだ。
 後は彼が取り仕切ってくれる。
 注がれたワインを取り、肉に掛かり切りの勉の傍らに置かれたグラスの縁に当てて、一方的に乾杯をする。
 デッキの外を眺めると、雨足はもうほぼ弱まって、敷地に数本植っている紫陽花が、雨を吸い上げて綺麗に色付いている。
 ピンクと水色と白と。
 紫陽花は、土の酸性度によって色が変わることがあると聞いたけれど、ここでは、元来の性質をそのままに咲いているようだ。
 さっきと少し違って、麻里子は目を閉じて、鼻から大きく息を吸い込むと、今度は口から大きく息を吐き出した。
「緑の匂いがする」
「そっちか?肉の焼ける匂いじゃなくて?」
 そう言って、切り分けた塊肉にマッシュポテトを添えた皿を寄越した。
「情緒がないわね」
「ご所望とあらば」
 そう言うと、彼は雨のプレイリストをセレクトした。
 何度も聴いたセレクトはEd SheeranのMake It Rainで始まる。
「もう雨は止んだわよ」
 塊肉のスライスが終わったのを見計らって、ライ麦パンにクリームチーズをスプレッドして差し出すと、勉は先にワインを一口含んで、ニヤリとした。
「俺はやっぱり恵まれているよ。雨にも、ワインの目利きに優れた奥様にもね」
「それは良かったわね」
 素っ気なく聞き流して、雨を聴く。
 恵まれているのは、音楽の趣味の合う伴侶に出逢えた自分の方だと思いながら。

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