見出し画像

辺境の花嫁

 ◆1

 そのたくさんの荷を運んでいる人馬は、高州(こうしゅう)州都の強固な柵が巡らされている防衛線のそばまで来ていた。その出入口の一つに、人馬が近づいたとき、守備隊長が「どこの所属の者たちか?」と、尋ねた。
 人馬の代表らしい者が出てきて叫んだ。
 着飾ってはいないが、本当に事前に連絡があった通り女だった。
「高涼(こうりょう)太守、馮寶(ふうほう)が妻!
 洗冷珠(せんれいしゅ)! 李遷士(りせんし)様への支援の品々を持って参りました!」
 守備隊長は言った。
「今、開ける!」
  関門(せきもん)が開かれて、隊長が夫人に近づいた。
「支援の品々、感謝いたす!」
「こちらこそ、門を開けて頂いて感謝する!!」
 夫人が剣を抜くと、一斉に兵たちも剣を抜いた。
「敵しゅ……」
 隊長は、声を上げる前に、夫人に斬り伏せられた。どっと、兵が突入し、一帯は、すぐに制圧された。
 そばの者が「青原(せいげん)でのことを思い出しますな」と言った。
 洗冷珠はちょっと顔を赤らめたが、すぐに真顔に戻る。
「うるさい! すぐに、州都に向かう! 目指すは李遷士の首だ!」
「おう!」
兵たちの声が響いた。
 彼女と一千の兵は、防衛線を抜け、州都へ向かった。

◆2

  10年前。
「父上! 父上!?」
 馮寶は、どかどかと、部屋に入って来た。
 馮寶の父、馮融(ふうゆう)は、書状を書いていた手を止め、振り向いた。
「なんだ? 騒々しい……」
「蛮族と私の縁談を勧めているというのは、まことですか?」
「ああ、そのことか……」
 馮融は、筆を置いて、馮寶に向き合った。
「何故(なにゆえ)、私が異民族の娘などを妻にせねばならないのです!」「お前が馬鹿で、かの女性は強くて賢いからだ!」
馮寶は憤慨した。
「何をおっしゃっているのです! 蛮族の女が、この私より賢いなどと!」「様々な部族がひしめく、この辺境を治めるのは、容易なことではない。若くて見識のないお前には、必要なことだ。
はあ……お前にはもったいないくらいの女性だ。わしが、あと三十歳若ければ……」
「父上、ふざけないでください! 私のどこが、見識が無いというのです!」
「異民族というだけで、会ってもいない人間を蛮族呼ばわりする者の見識など、知れたものじゃ!」
 馮寶は返す言葉を失った。
「何故、異民族というだけで、毛嫌いするのだ。まあ、会ってみないか?」「しかし……」  

◆3

 「しかし……」
 馮寶は、馬に揺られながら思った。異民族の者は苦手だった。服も違えば、流れている空気も違う。どうせ、乱暴で思慮の足りない者たちばかりに違いない。彼らの事を考えると、身の毛がよだった。

  馮寶は、子どもの頃、城下で初めて人が殺されるのを目撃した。殺人者は、異民族だと思った。装束や顔つきが違う。
 何か言い争いをしているなと思ったら、異民族の男が、突然、剣を抜いて、人を刺した。
 男は役人に捕らえられていったが、人々は噂しあっていた。
 その後も、殺すほどではなくても、異民族と、もめて怪我人が出たたという話を聞いた。
 話してもわからない。 
 異民族は、すぐ暴力を振るうとか、思慮が足りないから怖いとか。気にかけると、そのような話ばかりが、注意に止まって、異民族は、油断ならないと思った。
 しかし、それを口にすると、父に厳しく咎めらた。
「お前は、たまたま、どんな事情でもめていたのかわからない者の騒動を見た。しかも実際には一人見ただけだ。一部分だけを見て、人を判断するのが、どれだけ愚かなのか、お前はわかないのか?」
 父の言う理屈は、わからないでもなかったが、咎められたくないので、言葉にしないでいた。そのもやもやした気持ちを、ずっと抱え続けていた。

 ◆4

  その洗冷珠(せんれいしゅ)という女性は、南越(なんえつ)諸部族首領の娘だという。なんということはない。政略結婚そのものではないか。
「正式な婚儀ではないゆえ、密かに会うようにいたそう。その方が、お互いによかろう」
という馮融の計らいで、狩りに行ったら偶然、その女性に出会ったという体裁を取る事になった。

 そう……この治めにくい山岳地帯を束ねる有力者の娘。

 軽々しいように見えるが、一方的に、相手を、こちらから呼び寄せるわけにはいかないと、この縁談を父はとても重く見ているのだ。そのくらいは、馮寶にも察しがついた。

 五十人ほどの狩りの出で立ちをした兵たちとともに、森を抜け、青原(せいげん)と呼ばれている少し開けた所についた。

 そこには、十数人の人馬ががいた。


◆5

 馮寶は、全員を眺めた。皆、地味な狩りの装束を着て帽子をかぶっていたので、自分の相手が、誰なのか、わからなかった。大柄な体つきの者はいなかったが、皆、俊敏そうな様子だった。
 狸族(りぞく)と呼ばれていたその民族の人々、肌は少しだけ浅黒く、精悍な人々で好戦的な者も多いはずだ。
 馮寶は、馮融とのやり取りを思い出した。

 ――少数で、会うなど、闇討ちされるのでは?

――お前は疑い過ぎじゃ。彼らとて、我らと事を構えても、何の得にもならない。

 馮寶の回想は、風音(かざおと)で破られた。
 矢が飛んで来て、馮寶はかろうじて避けた。

――言わんこっちゃない。

 馮寶の従者たちが駆け寄ってきた。
 矢が飛んで来たのは、こっち側の森か。こんな遠距離で当てるのは、相当な……
 振り向いた時には、もう次の矢が、目の前に飛んできていて、左手で受けた。
「馮寶様!」
 連れてきた兵たちは、早くも駆け寄り馮寶を囲んで盾になった。
「うっ!」
「ぐあっ!」
 矢が次々と飛んできて、矢を受けた従者が何人か落馬した。
 従者たちが駆け寄ってくる間、馮寶は狸族の人たちを見た。
 森の中から伏兵が数十人出てきた。狸族の者たちの一人が叫んだ。
「引きつけて、射かけよ!」
 馬上で皆が弓を構えて、襲撃者たちに射かけた。

 伏兵たちが、次々と倒れる。狸族の人たちは、曲刀を抜いて、襲撃者たちを簡単に蹴散らした。
 襲撃者たちが逃げていくと、半数の騎馬たちはどこかへ散って行き、半数はこちらにやってきた。
 馬上の一人が、馬から降りて両手を組み、ひざまずいた。

「初めてお目にかかります。洗冷珠です!」

 馮寶は、腕の傷の手当を受けながら、その小柄な者を見た。目立たないためにか、他の者たちと少しも装束は変わらない。しかし、目つきは、明らかに他の者と違う。
 この女性は、隊に指図して敵を斬り散らしていた者だった。

「お初にお目にかかります。羅州(らしゅう)刺史、馮融が子、高涼郡太守の馮寶です。不測の事態ゆえ、このままにて失礼いたします……」

「警戒はさせていたのですが、目立たぬように少ない人数できたため、行き届かず、このような危険な目に合わせてしまいました。
大変、申し訳ありません。
敵は逃げましたし、付近の味方と、連絡を取りましたので、取りあえず、もう心配はありません」

「どこの手の者でしょうか?」

「この密会を察知した所を見ると、大変申し上げにくいのですが、恐らく兄の手の者かと。申し訳ありません」

 冷珠は深々と頭を下げた。

 それを聞いて、先が思いやられると、馮寶は思った。安定した政治どころか、内輪もめをしていて命まで狙われる始末。自分は、このような駆け引きは苦手だ。

 しかし、この人は、破談になりかねない不都合な身内の問題を隠さなかった。それは、これから、長く付き合うためには、あまりにも大事なことだ。そして……

「失礼ながら、あなたが、このような武勇のある御方とは、存じませんでした。あなたがいなければ、私は賊に討たれていたでしょう。助かりました。心から感謝いたします」

「お恥ずかしい限りです」

 個人の武だけではない。彼女は、このような不測の事態に、隊の指揮をして敵の制圧と、安全確保まで素早く行った……

「我らは、あなたの兄上や他の方たちにも、良くは思われていないのでしょうね」

「兄は、乱暴者で、諸部族の者たちにまで迷惑をかけています。皆が同じ気持ちではないのも確かです。しかし、必ず鎮め(しずめ)てみせます」

 彼女は言い切った。まっすぐな人だ、と、馮寶は思った。

「なぜです?」

「なぜとは?」

「兄上や反対する者たちを鎮めて、民族の違う我らと結ぼうとするなど、いくら聡明なあなたでも、容易な事ではありますまい。そして、大変失礼ながら、あなたは女性です。侮られる事も多いでしょう?」

 洗冷珠は顔を上げた。

「畏れ(おそれ)ながら、この地域は、地形も険しく、気候も厳しゅうございます。そんな中、皆が生きるためには、助け合うのが道理で、争うのは愚かなことです。挙句、兄のように略奪狼藉(りゃくだつろうぜき)を行うなど、もってのほか。それに……」

「それに?」

「皆が、共に笑って暮らしたいではありませんか!」

 彼女は、笑った。

―― 一部分だけを見て、人を判断するのが、どれだけ愚かなのか、お前はわからないのか?

 当たり前過ぎる、父の言葉を思い出した。

 ――かの女性のこの知勇兼備は、いったいどこから来るのだろう、と思った。

 自分と違う民族ではあるが、馮寶は、彼女の笑顔がとても美しいと思った。

 

◆6

 そして現在。

  大きな乱が起きた。その対応のために、高州(こうしゅう)刺史である李遷士は、話し合いたいと、馮寶を呼び出した。
 しかし、馮寶の妻、洗冷珠は、彼を止めた。

「あなたは病気ということにして、代わりに私に行かせてください」

「何を申す! このような時に妻を向かわせる夫が、どこの世界にいるというのだ!」

 馮寶は、怒って言った。

 冷珠は、答えた。

「李遷士が、今の時期に、あなたを招くのは不自然です。中央から援軍を出すように命令があったにもかかわらず、李遷士は、いったん病気と称して、乱の平定のために動きませんでした。 
 それなのに着々と、要害(ようがい)に拠点を設けて、武器や兵を用意し、今、あなたを招くのは、混乱に乗じて、自らも乱を起こすためかと。
出向いて、仲間に加わる事を拒否すれば、あなたは身柄を拘束され、兵を奪われることでしょう」

「…………どうしようというのだ!」

「李遷士は、今、要害の地に将兵を集結させていますが、本人のいる州都は手薄そのものです。『自分は、病気で兵を出せないが、妻に支援物資を運ばせる』ということにしてください」

「油断させて李遷士を討つというのか……?」

「はい!」

「正直に申そう……」

「はい?」

馮寶はため息をついた。

「ときどき女であり妻である、そなたが、あまりにも、わしよりも優秀なのは、男としておもしろくない。
まことにわしは、ちっぽけじゃ……」

冷珠は穏やかな笑顔で言った。

「あなたは、そのような言いにくいことを、私に素直に話してくださいます。だから、あなた様を心から信頼して、私は働くことができるのです……
それに、私は、あなた様が身分や民族に関わらず、その者に相応しい仕事を任せてきたのを見てきました。このようなことは、度量が無い人にはできないことです」

 そのことでさえも、お前に学んだことなのだ。馮寶は心の中で思った。

 彼女は、とにかく自ら出向いて、いろいろな人々と直接会って話をした。遠方の事情も、よく人をやって情報を集めていた。
 彼女は、兄を何度も説得して、略奪をやめさせた。粗暴な身内を改心させるなど、それだけでも尋常ではない。
 身内でも他人でも、罪を犯す者も、功績を挙げる者も、手心を加えず、公平に扱った。人を公平に扱うということが、どれだけ難しいことか。
 彼女の行いで、反抗的だった付近の部族も、皆、恩義を感じて友好的になった。 
 そして、今度は、隙をついて敵地に乗り込もうというのだ。

「一千の兵を授ける!」

「ありがとうございます!」

「絶対に、生きて戻れ! 子らのためにもな……」

「大丈夫。任せてください!」

 冷珠は、優しい笑顔も見せた。
 去年、二人の間には、双子が生まれていた。

 

◆7

 隋書列女伝にこのような記述がある。
 洗夫人。高涼郡一帯諸部族の首領、洗氏の娘である。
 羅州刺史、馮融は、洗氏の娘の志と行いの高さを聞きつけ、息子の高涼太守、馮寶に彼女を娶らせ(めとらせ)た。

 大宝の初年(西暦五五〇年)侯景(こうけい)の乱が起きた時、高州刺史、李遷士は要害に兵を集め、高涼太守、馮寶を召し出した。
 しかし、洗夫人は李遷士の態度を怪しんで、馮寶を引き留めた。果たして、李遷士もまた、乱を企でていたが、洗夫人は、少数の兵を率いて、油断していた李遷士を攻め李遷士は敗走、逃亡した。

※注

・太守……郡の長官
・刺史……州の長官
・南越……中国南部の辺境地域の地名
・要害……攻めにくく守りやすい地形の場所

小説やエッセイの目次へ

植物のエッセイの目次へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?