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弱き者に

ちょっとヘビーな話をしたいと思う。
おぞましいぐらいの話なので、 この先を読まれる方は、 そのことを了承していただきたい。
私は病気をしていて、 色々生活上の難しいことがあって 収入はおろか家事全般を親に頼っている。
とても惨めな気持ちがするが、 このままでいいとは思っていなくて、 ゲロが出そうな時があるのだけど極力外に出たり 今の自分と違う人と交流をするようにしている。
ゲロが出そうだというのは、 自分のできることが少なかったり、 自分の体調が安定しないから相手に都合を合わせてもらわなかったりする時、 そういう時の病的な役に立ってない感じ 存在するだけで痛い気持ちになるのだ。
生きていることに対する 罪悪感のようなものを感じる。
特にお金を稼げてないということは強烈な罪悪感を私に産んでいる。
痛みで長時間の外出が難しかったり 長時間座っているのがきつかったり、 状態が不安定すぎて、 体系的に何かを学んだり訓練したりということができないでいる。
物書きと音声配信はやっている。
楽しいと感じることもある 。
どちらも収入につながるほどの技術や内容があるわけではない。
それでも何もやらないよりは何かをやった方がいい。
絶望以外の何かの収穫物がある。
音声配信でも文章を書いていても、 それでさえもしんどくなる時がある。
自分の拙さを思うと 気持ちがへこむ。

友がみな我よりえらく見ゆる日よ

だ。
というようなことを知人に言ったら
「啄木はそんなこと言ってるけど 彼は 友人の誰よりも有名になったよね」
と言われてしまった。
それはそうだ…

話がずれてきた。
私の病気は 悪化すると 全身の激痛がひどくなって寝たきり、 本当に身動きができなく なってしまう人もいる。
その凄まじさは 水が触れても痛い、 風が当たっても痛いと言う レベルのものすらある。
幸いいろんなことをやって、 なんとかそういう状態にならないサイクルにはこぎつけられた。
相当できることは増えた。
しかし皮肉なことに、 睡眠不足と疲労と脱毛で、 明らかに 普通じゃない感じから、 現在は見ただけでは 健康そうに見える。
障害者年金のような 公的な援助を受けられるような 状態というのは、 現実的には寝たきりになってしまった人だ。
一応医療や福祉に関する役所に問い合わせたが、 老人でない限り、 現在の法律ではそういう人を支援する 枠組みはないのだそうだ。
それでも24時間営業で痛いというのは生きる気力を奪うし、 家族に迷惑をかけた上このままではジリ貧だ。
時々死ぬことが一番役に立つんじゃないかと思ってしまう時もある。
家族の負担も減る。 社会に貢献できてない自分が減ったら、 使われる 医療費や資源も 節約できるだろう。

と、 ここまで考えた時に思い出した。
ナチスドイツの T 4作戦のことだ。
T 4作戦というのは、 精神障害者、 身体障害者、 労働を嫌がる者、社会の役に立たないと判断された人間を様々な方法で排除するという作戦で、おびただしい人が殺害された。国家が組織的に、それをやった。
もっとやりきれないのは、 先天異常が見受けられた赤ん坊まで 殺害していることだ。
民族に対する偏見ではない。自分と同じ民族に対しても、 ナチスドイツはそういうことをやった。
障害児を持った親が自分で進んで申し出た例もあったらしい。
Wikipedia で確認したが、 ざっと15万人ぐらい殺害されている。
ただ これで終わりではない。公的に ガス室送りにされた人ばかりではないのだ。
宗教関係者やローマ法王からの大反対が起こり、 表向きには作戦は中止された。
しかし、一般の病院の医師や看護師の間で、 障害者や 回復の見込みが薄い患者を殺害することが横行するようになってしまった。 それはナチスが崩壊するまで続いた 。記録に残ってない犠牲者がたくさんいると思われる。
そういう理由で、実際の犠牲者の数は2倍ぐらいあるのではないかと言われている。
読んでいて めまいがする。
そのやり方に共鳴した 日本人の若者が、 障害者施設で 大量殺人を行った事件は記憶している方も多いかもしれない。
どう考えても間違っている。 
正しいわけがない。
 他人に対してよりは 害毒が少ないかもしれないが、自分に対して その考えを 当てはめるのは 間違っている。
役に立たないものを殺して 負担を減らし、 強いものを活かした方が 社会や国が発展する。
そういう考え方。
ヒトラーは「 弱き者に災いあれ」と言ったという。
大事なことだから2度言う。
どう考えても 間違ってる。
正しいわけがない。
自分に対しても 言い聞かせる。
何か 死ぬこと以外の 道を探さなくては。










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