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[島日記:13]自然と生きるということ

ここ最近の大雨は、なかなかだった。
深夜に鳴り響く警報音、
学校は朝から自宅待機か?休校か?とあわて、
小学校には避難所が設置。
防災士の家族が手伝いに行ったところでは
コロナ対策で症状のある人用の別室をつくり対応したという。(結局こなかったが)

人的被害はそこまでは聞かず、幸いだったものの
(でもおばあちゃんの救助はあった)
わたしが住む松山市の高浜地区では
ちいさな道路封鎖や崩落、土砂崩れが起きた。
ほぼ、2年前の西日本豪雨で被災したあたり。
砂防ダムの建築をしている最中、
大型トラックが通る道をつくったその下。
前回崩れた法面をコンクリで固めた場所も
そのまた横が崩れた。

直したんじゃなかったの?復旧したんじゃなかったの?

という声がどこからも聞こえるが
災害のおきない人工物なんて作れるわけがない。
自然の力には対処療法しかないことを痛感する。

山にある自宅を出ると掘りたての土の匂いがする。
水分をたぷんたぷんに溜め込んだ山からは
とめどなく水が流れて落ちる。
その恐ろしい量にちょっと慣れてきた自分もいる。



松山市内だと、ボランティアもまだ集まりやすいけれど
(とはいえ急に集まれるのは地区の役員など、あらかじめ決められた人だ)
島は自分の島の中で対応しないといけない。
島の消防団は、島に住む農家の人たち。
自分の畑を心配しつつも夜警などの対応に追われる。

島全体のこと、そのあと、自分の畑。自分の家。家族。
小さなコミュニティを守りながら生きている。

畑のみかんも被害が出ている。
農道も通れないところや危険な場所も多い。
斜面の多い山を考えたら容易に想像がつくだけに
なにもできないことがもどかしい。

農家の知人が言う
「自然の力にはあらがえないし
自然に背くものなら思い知らされるだけだ」

という言葉がずしんと響く。


島にくるようになって、島の人の話を聞いていると
身近なことこそ大事なのだと気付かされる。
生きることは、守ることなのかもしれない。

島は(田舎もだけど)閉鎖的だ、というけれど
開放することで守れないものができるなら
そのままにしておいて欲しいと思うのはあたりまえだ、と思う。



いただいたサポートで、ちょっと変な経験しにいってきます。