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さよなら、ピクピク

今日も私は俯き加減

私を悩ませるもの。
数年来の付き合いである「それ」とは実は何度か対峙してきた。
浮気ばかり繰り返すダメ男と「今度こそ別れる!」という強い意志に似た意気込みを持って。

でもダメ男よりもタチの悪い「それ」はいつまでも私を離してはくれず、一体化し私を支配しようとさえしていた。

もう終わりにしたいよ
少しずつ、いつからか私は人と話すとき俯くようになっていた。
視線をやや下に逸らして。
時に表情を隠すため眼鏡をかけ、マスクを着けた。
街を歩くとき、会議中、お気に入りの服に身を包まれているときでさえも。

「それ」を倒すのが先か、私が死ぬのが先か。
そもそも倒すことなどできるのか。
出口のない迷路のなかをずっと彷徨っているような気がしていた。
俯き加減で。

「それ」の正体

「それ」がそこに居ることをいつから自覚したのかは定かではない。
初めは疲れのせいだと思っていた。

仕事中や仕事帰りの電車の中で認識することが多かったから。
左目の下がピクピクしている。何かの拍子におさまるときもあれば、絶えず脈打っているときもある。

ネット検索したり、周りの友達や同僚などに聞き、おそらく眼瞼痙攣、眼瞼ミオキミアの類であろうと眼科を受診した。
先生はストレスのない生活をしてください、とにっこり微笑み、特に何か処方されることもなく診察は5分足らずで終わった。

ストレスを特段感じていなかった私は途方に暮れた。
別の日に大学病院を受診した。
脳神経内科へ回され、精神的なもの、という診断で抗うつ剤のようなものを処方された。
薬を手にしたことで改善されるかもと淡い期待を抱いたが、数ヶ月続けても特に改善の兆しは見られなかった。
ちょうどパソコンを使う仕事を辞めたこともあり、しばし様子を見るか!と通院もやめてしまった。

その後、結婚や引っ越し、転職などの人生のビッグイベントが続いたためピクピクのことは忘れかけていた。
このまま少しずつおさまってそのうち完治するんじゃないか、と楽観視していた。
仕事内容が変わったのが大きかったのか。
パソコンでの作業は業務の半分くらいになったし、残業も減った。やはり目の使い過ぎだったんだな。
ピクピクの存在を自覚してから4年が経過していた。

がしかし、そんな平和な日々に「逃がすものか」とばかりにピクピクは忍び寄っていたのだ。
契約満了を迎え、再度パソコンを長時間使用する仕事に就いて数ヶ月経った頃だ。
仕事中絶え間なく痙攣し、明らかに周りの人も気づくほどにピクピクはレベルアップしていた。
私は左手で痙攣を押さえながら右手でキーボードを打ち続けた。
そのうち痙攣がおさまる時間はほぼなくなり、24時間フル稼働体制となった。

夫は私の顔を見て言いづらそうに
「ずっと痙攣してるけど疲れてるんじゃない?大丈夫?」
と声をかけてきた。

大丈夫じゃねえ。
痛みなどはないが、自分でも気になるし目の下だけならず口元もピクピクしはじめていた。侵略が進んだのだ。

再度ネットで検索し、目の下の痙攣にボトックス注射が有効の可能性、との情報を得た。
ボトックス治療を行なっている眼科を受診し、注射を希望したが何故か先生はボトックスのデメリットを強調し、注射を打ってもらうことはできなかった。

今日こそは是が非でも治療をと受診した私は落胆しつつ
「パソコンを使う仕事を辞めたら治りますか?原因って何なんでしょうか、目の使いすぎですか?それともストレス的な...」と問うた。
「痙攣する原因はわかりません」
「わからないってそんな」
原因がわからなければ打ち手がない。ストレスと言われたほうがまだマシだ。落胆から絶望に変わりつつある私の心中を察したのか先生は続けた。
「1つだけ原因がわかっているケースがあって、脳の血管が肥大して顔面神経を圧迫することによって顔面痙攣が起きることがあります。」
「顔面痙攣?ですか」
「そうです、ただ頭を開けてみないとわかりません」

いやいや、開けてみないとわからんってそんなギャンブラーじゃねえし!!
しかも生死に関わるような病気ではないのに脳の手術は...
ハンニバルが浮かんだ。
いや、ナシでしょう。。。そんな勇気ない。

がっくり肩を落として帰宅するも「顔面痙攣」「脳の血管」「顔面神経」のキーワードが頭から離れなかった。
目の疲労とばかり思っていたが、原因は脳にある?
手術という具体的な治療法があれば根本的に治せるのでは?

しばらくネットで調べまくって、私の症状は顔面痙攣だろうと自分で診断した。
…頭は開けていないが。

口元の痙攣や顔が歪む、など目の下だけにとどまらない症状が当てはまるのだ。
写真で見るとよくわかるが、私の顔は左右対称ではなくなってしまっていた。目の位置が左右で違う。
痙攣だけでも耐え難いのに、顔まで変わってしまう恐怖。
脳外科の手術なんて初めはそこまでしなくても、と思ったが、日に日に鏡を見るのも憂鬱になっていく。顔を隠して俯いて歩く毎日が今後も死ぬまで続くとしたらそっちの方が100倍辛い。

治る可能性があるのなら、それに賭けてみてもいいんじゃない?
数年も我慢してきたんだから。
これからも俯いて生きていくの?

もう1人の自分が囁いていた。

決別

心が決まってからは早かった。
都内で顔面痙攣の症例を多数持つ病院を探し、診察の予約を入れた。
自分で下した診断通り、片側顔面痙攣で間違いなかった。

先生は私の顔を見て

「結構症状出ていますね、辛いでしょう」

と優しく声をかけてくれた。
たくさんの患者さんを診ている先生から見ても私は重症の部類に入るのだろうな、とそれを聞いて思った。
でも不思議と悲しくはなかった。
病名をあたえられ、手術ができることにむしろ安堵していた。

MRIのデータを見ながら、どういう手術を行うのか丁寧に説明してくれた。
脳の血管が何らかの原因で肥大し顔面神経を圧迫することで痙攣が起きているため開頭し、血管を神経から離す処置を行うのだそう。

リスクも説明してくれた。
聴力に障害が出たり、顔面神経を触るため顔に麻痺が生じる可能性も何パーセントかあること。

全身麻酔のリスクも。
そして、手術を受けても痙攣が止まらないケースもあること。

それでも手術を受けるかどうか。
迷いはなかった。
「手術を希望します」
手術の日は3ヶ月後に決まった。

職場に事情を話し、退職の意思を伝えたら上司が休職扱いにしてくれた。
それからの3ヶ月はもしかしたら死ぬ可能性も0ではないので、実家に帰省し家族に会ったり、ひとり旅をしたりしばらく会っていなかった友達と飲みに行ったりした。

「死ぬまでにやりたい10のこと」と称し、くだらないことをたくさんした。
友達に勧められてやりたいことリストを作ったのだが、今思うとなんで死ぬ前提なんだよとひと言物申したい。
大体はあそこの何々を食べたい、とかあの店で飲みたいとか職場のイケメンと飲みに行きたいとかそんなやつだ。

私が死んだら全額父親に渡してほしいとキャッシュカードと暗証番号を夫に託した。
何かあった時、この人に連絡して欲しいリストも作った。
身辺整理もした。要らないもの、死後発見されて恥ずかしいものは極力捨てた。
逆ナンしたい、は残念ながら叶わなかったので、「死ななかったらやりたいこと」リストにスライドさせた。

年明け、1月の雪が舞う寒い日に入院し翌日手術を受けた。
全身麻酔を受けた時の不思議な感覚ってなんだろうね。
少しずつフワーッとしてきて、体が心地いいだるさに包まれて。
絶対意識失わないぞ、と意地になるんだけど気づいたらもう全て終わってベッドの上だった。
目覚めてからはうっすら気分が悪く、頭が痛かった。
夫と父親と話したような気がするけど曖昧だ。
あ、私生きてる、そう思った。


それからの数日は地獄だった。
目覚めてピクピクしていないことに喜んだのも束の間、
「麻酔がまだ効いているからですね」と看護師さんに指摘され、麻酔が切れたらまさかのピクピク再来!!

おおおおおお、痙攣治ってないやんけえええええええ
くぁwせdrftgyふじこlpくぁwせdrftgyふじこlpくぁwせdrftgyふじこlp(以下略)

そうか、私賭けに負けたんだ。
幸い聴力は無事だったし顔の麻痺もなかったけれど、頭痛がひどく一時は再手術となる可能性もあった。
横になると頭が痛すぎて、眠る時もベッドを半分起こし直角にして寝た。
痙攣は治らず、再手術の可能性有、術後の体調は絶不調。
たいした徳を積んでこなかったからこのザマか、とこれまでの行いを悔い涙した。
でも仕方ない、これが私の運命なのだ。

死にそうになっていたところに「死ぬまでにやりたい10のこと」リストを作るよう勧めてくれた友達がエロ本持参でお見舞いに来てくれた。
食欲もなく頭が痛くてろくに眠れない私に、性欲が湧けば生きる希望になるだろうとの配慮だった。
残念ながら入院中は頭痛がひどく、1ページも拝むことはできなかったが、退院後に有難く熟読させていただいた。
本当に具合が悪い時はエロどころじゃない、1つ学習した。

さよなら、ピクピク

予定よりは延びてしまったが、その後なんとか退院の日を迎えることができた。
ある日突然頭痛が治まったのだ。
何故かはわからない、人体の不思議。
帰宅してまた頭痛がぶり返したらどうしよう、という不安も少しあったが、退院できるのはやはり嬉しい。

先生に手術のお礼を改めて伝えた。

「あのぅ、お、お、お酒はいつから飲んでもいいですか?」
他に聞くことあるだろうが、と自分で突っ込みつつ反射的に確認していた。

2ヶ月後に経過観察で受診の予約を入れ、病院をあとにした。
ピクピクは控え目で、術前のように24時間痙攣はしていない。
これでよし、としようじゃないか。
先生は最善を尽くしてくれた。私も頑張ったと思う。


退院後、2週間ほどして職場に復帰した。
温かく迎えてくれた同僚や先輩、上司たちには本当になんとお礼を言っていいのかわからなかった。
お見舞いに駆けつけてくれた友達、電話やLINEで励ましてくれた旧友たち。
遠方の実家からも家族代表と父親が上京し手術の日は立ち会ってくれた。
夫は入院中毎日お見舞いにきてくれた。
残念ながら痙攣は治らなかったけれど、たくさんの人に私は守られていたのだ。
それで充分ではないか。

少しずつ日常に戻り始め、桜が咲き始めた頃だった。
ふとした瞬間に、あれっと思った。
最近ピクピクしていない。
術後何ヶ月かしてから痙攣が止まるケースもあると先生は退院の日に言っていたっけ。

もしかして、いや、でも。
ぬか喜びでまた数時間したら痙攣し始めるかもしれない。
数日後の受診の際、先生に伝えた。
「最近ピクピクしなくなったのですが…」
「ぎゅーっと目をつぶって開いてください」
何度か繰り返し、果たしてピクピクは姿を現さなかった。

「今日で通院は最後です、卒業ですね。おめでとうございます」
先生は私以上に嬉しそうに笑っていた。
まさかの卒業宣告、完治は諦めていたので予想外のことに動揺しながら先生にありったけの感謝の気持ちを伝えた。

病院から駅までの道。
治ったんだ、半分夢のなかにいるような気持ちで歩いていた。
ずっとずっと私を悩ませてきたものと決別できたんだ。

喜びが込み上げてくる。

暖かい春の日差しが、空が、風が祝福してくれているように感じた。
私は眼鏡とマスクを外して走り出していた。


さよなら、ピクピク。
もう俯かない。

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