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猫のたかは考えた「完璧主義」について
まめ子には完璧主義なところがある。まめ子は一日になすべき仕事をたくさん持っている。そして、いつもチェックリストがあって、終わったらチェックをつけているんだ。
僕はまめ子が1日を終わる時に、全てのチェックがついている時のまめ子と、すべてにチェックがつけられなかったまめ子の両方を知っている。
そして、全てにチェックがつけられたまめ子はとても機嫌がいいし、活力にあふれているけれども、全てのチェックがつけられなかった時のまめ子はなんとなく元気がない。
僕は完璧主義という言葉をまめ子から知った。まめ子は自分は完璧主義なところがあると僕に言ってきたからだ。完璧主義というのは、まめ子曰く、完璧なことを良しとする考え方だという。まめ子にはどうもそういう考え方があるようだ。
僕は自分は完璧主義かどうかを考えてみた。そして思ったことは、僕は完璧主義ではないということだ。なぜ僕は完璧主義でないという風に言えるかと言うと、僕の中に、完璧というものが、そもそもないことに気づいたんだ。
僕は何をもって、完璧というのかが全くわからない。だから、完璧が存在しないから、主義にもなりようがない。完璧主義っていうものは、完璧という考え方なり、何かしらの、これが完璧というものがあって初めて、完璧主義になれる気がするんだ。
でも僕にはそれがない。僕には完璧がないし、僕にとっての理想も、僕にとってこれがいいという、そういうものも全くないんだ。
僕の日常は、食べることと、昼寝をすることと、考えることで占められている。そして、僕はある日は食べることが多かったり、ある日は考え事が多かったり、ある日は昼寝が多かったりする。僕の毎日は様々だ。
でも、基本的にこの3つだから、この3つの割合が多少ズレるだけで、それ以外の活動が増えたりすることはない。
僕は今日は昼寝が少なかったから、完璧ではなかったとか。僕は今日は食べる量が少し多かったから完璧ではなかったとか。そういうことは全く思わない。
なぜならさっきも言ったけれども、僕には1日の時間がどのような割合で過ごしていくことを完璧とするのか、そんな基準を定めていないからだ。
僕はまめ子の中には、基準なり、ルールなりが沢山あると思う。自分はこういうことをしたら、オッケーとか、こういうところまでできたらオッケーとか。そういうのを持っているんだろうと思う。
僕が思うには、昨日も2時間の料理の話をしたけれど、まめ子はできたことを全くもって無視する傾向がある。これがまめ子の完璧主義をもたらしているという風に思う。
まめ子は毎日成長しているし、変化している。そしてうまくいってることもたくさんある。それなのに、うまくいってることは全く見ようとしない。良くなかったこと、うまくいかなかったことばかりに注目するんだ。
逆に、僕はできていることしか注目していない。僕は毎日昼寝をして、そして食べて、そして考えている。この事しか注目してないんだ。
でも、まめ子はできていないところに、注目して、自分は十分ではないと思っている。できることが増えて、成長して、進歩して、レベルが上がると、今度はそのレベルが上がった状態で、できていないことに着目するんだ。
そんなことを続けてるから、まめ子はいつまでたっても完璧にならない。そんなの当たり前。だって、まめ子はできないところしか見ていないんだから。
僕はまめ子がどれほどいろんなことを成し遂げているかを知っているし、そしてまめ子がどれほど頑張っているかも知ってる。僕は昼寝と食べることと考えることだけだけど、まめ子は本当に素晴らしいんだ。言葉にできないぐらい、たくさんのことをしているんだ。
だから、まめ子にはもっと自分ができてること、やれてることにも注目してほしい。この僕がこんなにもまめ子のできてることに注目しているんだから、まめ子もどうかそこに気づいてほしい、と僕は思う。
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