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大丈夫を君たちに。

少しだけ時間を戻し、昨年(2023年)の夏ごろの話をします。

妻と出会って6年目,結婚して3年目の秋でした。
不妊治療を始めて3年目の時期でもありました。

タイミング方法や人工授精など一般的な不妊治療は既に試しました。

でも,子どもを授かることはできませんでした。
「不妊治療→生理→不妊治療→生理」をループした生活を送っていました。

3年=36カ月。
最低でも36回は泣いている妻を見ました。

「大丈夫だよ」とそんな妻に言い続けました。
何が大丈夫なのか,自分でもよくわからなくなっていました。

「次のステップ,体外受精に進んでみませんか。」

昨年7月ごろ,不妊治療先の先生から提案を受けました。
「やりたいです」と僕と妻は返事をしました。
決して前向きな選択ではなかったと思います。

「やるかやらないか」ではありませんでした。
「どうせだめだけど,やるんだ」そんな気持ちでいました。

心を守っておかないと,前に進めなかったのです。
何かが壊れてしまいそうで,決断するしかなかったのです。

それから妻の体の準備を進め,初めて体外受精を行いました。

体外受精から数日後,妊娠判定日の朝になりました。

「生理来そうだから,きっと,無理だよ」と妻は言いました。
大丈夫だよ,とはもう言えませんでした。

その言葉を聞いた日は,顔を洗いながら1人で泣きました。
自分の無力さが本当に悔しかった。苦しかった。

涙を隠して,妻を病院まで車で送り届けました。

「一緒に入ろうか?」
「いや,いい,一人で行く」と妻は僕の提案を断りました。

病院の駐車場で,ひとり僕は待ちました。
慰める言葉をずっと考えていました。

1時間ほど待ったでしょうか。
妻が病院から出てきて,助手席に座りました。

過去一番泣いていました。
私は妻の頭を撫でることしかできませんでした。

重い。逃げたい。投げ出したい。
そんな気持ちを押し殺して,アクセルを踏みました。

自宅方面へ適当に車を走らせていると,妻が言いました。

「妊娠してたわ」

「え?」

「妊娠してたの」

えええ~~~~~?
そちらの言葉は準備していませんでした。
不覚でした。

「とりあえず,マックでも食べない?」と言いました。
ビックマックセットを妻の分もおごりました。

「ピクルスが普段よりもおいしいね」

全店舗変わらないピクルスの味をそう評価しました。あの日の自分を殴りたいです。素直に喜ぶのが恥ずかしかったのかな。でも,本当に嬉しかった。心がじんわり温まりました。

妊娠中は本当に大変でした。

胎嚢,胎芽の確認の遅れ。母子手帳を貰うのも,ほかの妊婦さんより遅かった。

悪阻で長期間休職。入院と退院を繰り返す日々。

赤ちゃんの成長に関する指摘。毎週,病院に通いました。最後は羊水過多を指摘され,予定より早く入院。

ただ,そんな困難を乗り越えて,
先日,娘が産まれました。

分娩室で娘を見た瞬間,ガッツポーズをしていました。あの光景は一生忘れません。

現在は,「可愛い→眠い→可愛い→眠い…」をループした生活を送っています。

この生活が落ち着く日は来るのだろうか…とたまに不安になります。

でも,娘が産まれて始まったこのループを,どうにかルートに変えてあげたいです。娘の背中を押すことができるその日までは。

命をかけて出産してくれた妻と。
命をかけて産まれてきてくれた娘に。
37回目以降の大丈夫を与え続けたいと思います。

腱鞘炎気味のパパより。
一生分の大丈夫を込めて。

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